a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 15日 1951 保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内!(昭和26年6月15日) 昭和26年6月15日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内」が掲載されている。 「冷菓」とはアイスキャンデーを指しているようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 9日 1951 盛岡市内各銭湯が共同広告「旧の5月5日は菖蒲湯です!」 昭和26年6月9日の「夕刊いわて」の広告欄より。 旧の5月5日は菖蒲湯です!と盛岡市内の各銭湯が共同で広告を出している。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 11日 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 4日 1951 ミシンが3千円でお手元に!(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 盛岡市仁王小路(本町通)のミシン販売会社の広告が出ている。 3千円というのは昭和26年だと平均月収に比べてどうだったんだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1951 盛岡・本町通「川清」の広告に見る衣料品の物価(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」の広告欄より。 盛岡市本町通の衣料品デパート「川清」の広告欄から、当時の衣料品の物価を見ることができるのではないだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 21日 1951 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集している。 弘前無尽とは、後年のみちのく銀行のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 21日 1951 「岩手川」は一升370円(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 後年「岩手川」で知られる浜藤酒造店が広告を出している。 「雄渾」という酒は一升370円だと。 … 続きを読む
l全県 2月 5日 1951 麗人東北投票迫る!(昭和26年2月5日) 昭和26年2月5日の岩手新報より。 この時期「麗人東北」と言う美人コンテストを行っていたようである。 エントリーしたのは、岩手県内の各花街の美人達だったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1951 盛岡・花巻米穀登録店当選御礼広告(昭和26年2月1日) 昭和26年2月1日の岩手新報より。 盛岡と花巻の、米穀登録店当選御礼広告が掲載されている。 当時は、当選しないと米屋になれなかったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 3日 1950 弘前無尽が増資新株式募集(昭和25年12月3日) 昭和25年12月3日の岩手新報より。 弘前無尽では増資して新株式を募集するという。 岩手県内の営業拠点は盛岡と福岡(二戸)にあったようであるが、「支店」ではなく「会場」と呼んでいた模様。 現在のみちのく銀行のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1950 弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(昭和25年12月1日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 弘前無尽では、無人契約30億円を達成したことに対するお礼広告を出している。 これは東北でも例を見ない快挙であったという。 (ちなみに、現在のみちのく銀行) また、「支店」ではなく「会場」と呼んでいたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1950 東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) 昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。 まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 9日 1950 ラジオの準備は出来ているでしょうか?(昭和25年7月9日) 昭和25年7月9日の岩手新報より。 盛岡市内のラジオ店では、ラジオの特売をやっている。 そればかりでなく、地方から来た人には汽車賃+お土産も進呈というサービスぶり。 当時のサラリーマンの月給以上の買い物だったので仕方ない? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 3日 1950 アキラ式完全除草器(昭和25年7月5日) 昭和25年7月5日の岩手新報より。 「アキラ式完全除草器」というのがあったようで、盛岡と水沢で一手に売っていたようだ。 … 続きを読む
l全県 7月 2日 1950 ハエ取り週間で伝染病を予防しましょう!(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県の衛生当局ではハエ取り週間を設け伝染病の予防にこれ努めている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1950 国立公園候補地!夏の浄土ヶ浜観光案内(昭和25年7月1日) 昭和25年7月1日の岩手新報より。 宮古の浄土ヶ浜は国立公園候補地だったようで、観光案内が大々的に出されている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 12日 1950 岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。 &nb… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 4日 1950 花巻の人「緬羊を飼いましょう!」(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 花巻の人が「緬羊を飼いましょう」と勧める広告を出している。 宮沢姓であるが、宮沢賢治との関係は不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 3日 1950 盛岡・松屋デパートで、決算前冬物大見切市(昭和25年2月3日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物の大見切り市を行うという。 「補助切符不要」と言うのがなんとも時代である。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 2日 1950 日中友好協会岩手県支部結成(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 岩手2区選出の社会党議員・北山愛郎により日中友好協会岩手県支部が結成された。 この当時、日本と国交があったのは「国府」の方で、つまり中華民国の台湾の方。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1950 松屋デパートで決算期前の冬物一掃セール(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートで、決算期前の冬物一掃大売り出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1950 盛岡市内の小売店「煉醤油特配しますよ!」(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 広告欄には「煉醤油特配」という知らせがあるが、しかし「煉醤油」とは? 醤油がコンデンスミルク(加糖練乳)みたいになってるということ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1950 川徳デパートで「大棚さらひ」(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、2月3〜5日にかけて「大棚さらひ」を行うという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 14日 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 盛岡市内各病院が連名で広告を出しており、「GHQのお達しもあり、必ず給食を食べましょう!」と。 給食代が払えないから食べませんということだったのだろうか。 … 続きを読む