e釜石・遠野・上閉伊郡 1 12月 1953 釜石では魚の加工施設が不足(S28.12.1岩手日報) 釜石は製鉄の街であるとともに水産都市であるが、魚の加工施設が少ないことが問題になっていたようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 東大通商店会創立記念大売り出し(S28.12.1岩手日報) 東大通商店会が創立したというので大売り出し。 東大通りというのは、桜山神社〜サンビルのあたりで、昔は岩手公園のお堀の上にも商店が密集していたらしい。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 12月 1953 岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) 東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・ … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 11月 1953 水沢花柳界麗人人気投票(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 胆江日日なので水沢の花柳界なのだとは思うが、人気投票をしている。 で、主催はこの胆江日日新聞ではなく「陸中新報社」。 Googleで検索しても出てくるわけではなく、全くわけがわからない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 11月 1953 水沢の服地店「優良スフ碼60円!化繊は碼100円!」で「碼」って?(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 ここによく出てくる「碼」とは? これは「ヤード」のことらしい。 服地系なら「ヤール」になるだろうか。 でも一般的に通用する表現だったのかな。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 11月 1953 水沢でパーマ屋さんが値上げ(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、パーマ屋さんは250円から340円に値上げすると言う。 ただしこれは、洋髪に限ったことで、日本髪は据え置きするのだと言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 11月 1953 胆沢川発電所がいよいよ貯水(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、待望の胆沢川発電所がいよいよ完成し、従来の8倍の発電能力を持つ発電所が稼働を開始しようとしていた。 この時期の胆江日日新聞には非常に珍しい写真入り記事。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 11月 1953 保全経済会旋風、水沢だけでも同業15社(S28.11.20胆江日日新聞) この時期、「保全経済会」が話題をにぎわせていた。 ただし、似たような業態の会社はいくらでもあり、水沢だけでも同業者が15社いたと言う。 それらに、大丈夫だったのかどうかアンケートを取ってみたようだ。 ちなみに、この頃、胆江日日新聞は、大型化の最中であり、この日は大型だったので、紙面が4分の1しか取れ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 11月 1953 一関・中央通りは舗装工事中(S28.11.2岩手日日) 一関市役所に近い中央通りは舗装工事中であったようで、その中央通りに面した一関自動車工業へは裏から入ってほしいという広告。 ちなみに、令和5年現在、同社は同じ場所にあるようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 11月 1953 一関の資生堂サービスショップが移転(昭和28年11月1日) 昭和28年11月1日の岩手日日より。 一関にある資生堂サービスショップが移転することになったようで、記念セールを行うようである。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 11月 1953 一関のキリスト教会がアメリカ衣料バザー(昭和28年11月1日) 昭和28年11月1日の岩手日日より。 一関の日本キリスト教会では、11月4日から6日まで、アメリカ衣料のバザーを行うと言う。 「新品同様」と書いていると言う事は、新品ではないと言うことで、日本人に着せるような服は中古で充分と思われていたのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 11月 1953 冬到来!火鉢を大量にご用意しております(昭和28年11月1日) 昭和28年11月1日の岩手日日より。 一関市内の瀬戸物店では、冬に備えて火鉢の大売り出しをしていた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 10月 1953 ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) 昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は… 続きを読む
i一関・西磐井郡 16 10月 1953 県南バス一関営業所の時刻表(昭和28年10月16日) 昭和28年10月17日の岩手日日より。 岩手県のバス一関営業所のバス時刻表が広告欄に載っている。 一関市内線は一関駅から山目駅まで。 遠距離路線は気仙沼と言うものまである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 10月 1953 水沢電報電話局管内の電話新設案内(昭和28年10月16日) 昭和28年10月16日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢電報電話局で新たに加入した電話について大々的に広告している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 10月 1953 胆江地方のタバコ消費状況(昭和28年10月9日) 昭和28年10月9日の胆江日日新聞より。 専売公社出張所(盛岡にあるのか水沢にあるのか不明)によれば、胆江地方での4月~9月のたばこの消費状況は目標を超える53,637,450本(75,665,694円)であったという。 銘柄別には最高と最低は以下の通り。 最高:バット 23,349,600本(39… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 10月 1953 水沢の時計店「乾電池時計ならゼンマイを巻く必要がありません!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 水沢市内の時計店では乾電池時計の宣伝をしている。 単1電池は35円だったらしい。 …で、「光星舎」とは何ぞや? 「精工舎」(現:SEIKO)ではなくて? もうそのあたりから「昭和20年代」なのかも知れない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 10月 1953 水沢の食料品店「鰹角煮100円!椎茸昆布80円!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 現在でもスーパーマーケット「タカトヨ」として盛業中の高豊の価格表。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 10月 1953 優良こども銀行に胆沢(水沢)管内から8校を推薦(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 「こども銀行」とはいっても、紙幣のおもちゃではなかったようで、小学校児童の貯蓄を奨励する運動であったようだ。 昭和28年度の優良こども銀行表彰は11月19日に東京で大蔵大臣や日銀総裁により表彰が行われることになったが、岩手県知事や岩手県貯蓄推進委員会は、胆沢… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 10月 1953 水沢職業安定所「静岡にミカン採取の出稼ぎに行きませんか!」(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 水沢公共職業安定所が、静岡におけるミカン採取の農業労務者を募っている。 人員は150名で、10月5日までに各町村役場に申し込んでほしいとしている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 23 9月 1953 カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。 Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 すわらじ劇団が水沢で公演します!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 京都に拠点を置くすわらじ劇団が水沢で公演。 入場料は大人120円であるという。 このすわらじ劇団、2020年にコロナ禍のために解散してしまった。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 水沢の食料品店「桃屋の江戸むらさき大55円!小35円!」(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 桃屋の江戸むらさきってこの時代も売ってたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 16 9月 1953 一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日) 昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 9月 1953 冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日) 昭和28年(1953年)の東北地方における米作は、記録的な冷害により深刻な被害を受けました。6月から7月にかけての低温、長雨、日照不足が稲の生育を大きく阻害し、特に出穂期から登熟期にかけての気温の低さが致命的でした。 この年の全国的な作況指数は83で不作とされましたが、東北地方ではさらに悪く、各県で… 続きを読む