b経済・産業

イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) l全県

イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌…
農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に…
二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(S3.9.1岩手日報) b二戸・二戸郡

二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(S3.9.1岩手日報)

かつて養豚が盛んだった岩手県二戸郡では、近年その様子が変わりつつある。記事によれば、従来は毎年約2,000頭の豚が飼育されていたというが、昭和3年当時、豚肉価格の低迷や飼料品の不足を背景に、飼育戸数は次第に減少。代わって注目されたのがウサギの飼育であった。 ウサギは手狭な場所でも飼えることに加え、飼…
サンマの季節の貨物列車 d宮古・下閉伊郡

サンマの季節の貨物列車

微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい…
江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10)

昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄…
不景気で酒の捨て売り(S2.1.8岩手日報) f花巻・稗貫郡

不景気で酒の捨て売り(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報には、正月らしからぬ静けさに包まれた街の様子が描かれています。とりわけ打撃を受けたのが、例年であれば“書き入れ時”となるはずの酒屋でした。 本来であれば、新年の祝いや帰省客の接待で賑わい、注文が殺到するはずの酒屋。しかし、この年は事情がまったく違っていました。 背景には二つ…
農家の売り惜しみで米が出回らず f花巻・稗貫郡

農家の売り惜しみで米が出回らず

昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった…
諒闇でも講談社の広告は元気(S2.1.4岩手日報) l全県

諒闇でも講談社の広告は元気(S2.1.4岩手日報)

昭和2年正月――前年末に大正天皇が崩御し、日本全体が厳粛な空気に包まれていたはずの時期である。新聞紙面も「諒闇」(りょうあん)として華美を避ける風潮が一般的だった。 ところが、そうした空気をまるで意に介さないような広告が、昭和2年1月4日付『岩手日報』朝刊に掲載された。発信元は、大日本雄弁会講談社。…
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日) m県外・参考

東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の岩手日報から、当時の岩手県産木炭が東京で大変な売れ行きを見せていたことが分かります。 記事によれば、東京都内・隅田川の近くに岩手県営の木炭倉庫がありました。現在の感覚では少々意外ですが、戦前の都市生活において木炭は暖房や炊事に欠かせないエネルギー源であり、各地方からの出荷拠点と…
大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(S元.12.29岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(S元.12.29岩手日報)

昭和元年12月29日の『岩手日報』紙上に、「社告」として一件の告知が掲載されている。これは、大正天皇崩御にともなう「第1期喪中(50日間)」の期間中、岩手日報社が主催・後援する催しについての方針を読者に示すものであった。 社告によれば、「喪中五十日間に本社主催又は後援の催しものを一切御遠慮申上げる事…
諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報)

昭和元年12月28日付の『岩手日報』には、盛岡の中の橋通りに開業したばかりの「カフェー大安」の広告が掲載されている。これによると、もともとは「大安」という店舗の一部として「食堂部」が営業していたが、このたびその食堂部のみを独立させ、「カフェー大安」として開店する運びとなったようである。 広告には、以…
スキーのシーズン来る!ウインタースポーツメンは花巻温泉スロープへ!(S元.12.27岩手日報) f花巻・稗貫郡

スキーのシーズン来る!ウインタースポーツメンは花巻温泉スロープへ!(S元.12.27岩手日報)

昭和元年12月27日の岩手日報には、花巻温泉のスキー場が掲載した興味深い広告が載っていました。 「花巻温泉スロープ」と銘打たれたこの広告では、冬の到来とともに「ウィンタースポーツメンを歓迎します」とうたい、温泉地ならではの新たな魅力としてスキー場の整備をアピールしています。なお、当時は「ゲレンデ」と…
花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報)

昭和元年、岩手県紫波郡では深刻な旱魃(干害)が発生し、農作物に甚大な被害が出た。この災害は新聞などでも広く報じられ、県内外から支援と同情の声が寄せられていた。 そうした中、花巻市湯本地区(当時の稗貫郡湯本村)の湯本尋常高等小学校では、赤十字少年団に所属する5人の児童が「自分たちにもできることを」と考…
第九十銀行「多少ニ不拘御用命願ヒ候」(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

第九十銀行「多少ニ不拘御用命願ヒ候」(S元.12.26岩手日報)

昭和元年12月26日の『岩手日報』には、盛岡市呉服町に本店を構えていた「株式会社第九十銀行」の企業広告が掲載されています。 この広告は、資本金・利息・取扱業務などが記されているだけでなく、支店網についても小さな文字で紹介されており、盛岡から北にかけて、青森県の八戸や三戸、田子などまで広がる営業範囲が…
川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(S元.12.26岩手日報)

昭和元年(1926年)12月26日の『岩手日報』紙面には、盛岡・肴町で開かれていた「聯合歳の市」の広告が掲載されている。当時の川徳呉服店を中心に、肴町の商店が一体となって年末年始のセールを展開していた様子が伝わってくる。 広告には「十八日より新年三日まで」と右書きで記されており、12月18日から正月…
花巻の台温泉に特設電話局が開局・電話番号一覧(S元.12.26岩手日報) f花巻・稗貫郡

花巻の台温泉に特設電話局が開局・電話番号一覧(S元.12.26岩手日報)

昭和元年12月26日の岩手日報に、花巻温泉郷の一角・台温泉に特設電話局が開設されたという記事が掲載された。あわせて、当時の電話加入者の一覧も紙面に掲載されている。 この「特設電話局」とは、明治35年から昭和7年まで実施されていた制度で、都市部以外の地域において、住民が設置費用を一部負担することで開局…