e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 釜石でホステス募集(S41.3.2岩手東海新聞) 釜石市内の飲み屋でホステスやボーイを募集している広告。 指名料はともかくとして「本番料払戻し」is何・・・?… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 大槌・赤浜でスキワカメ新技術開発(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 三陸沿岸では、ワカメの養殖が盛んになってきたが、短冊状の「スキワカメ」を成形するにはなかなかの技術が必要であった。 それで、宮城県の石巻から技術者を呼ぶなどして講習していたが、大槌町の赤浜では、新しい技術でスキワカメを生成する技術を考案したのであ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 大槌病院が開院式(昭和41年3月2日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 県立大槌病院では、開院式を行なった。 まだ末広町にあった時代。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 3月 1966 宮古善意銀行の預託者が増える(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 宮古善意銀行では預託者が増えていることを喜んでいるという記事。 … 続きを読む
m県外・参考 2 2月 1966 令和でも通じるセンスのキャベジンの広告(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2日の岩手日報の広告欄より。 キャベジンの手書き風広告は令和4年となったこの記事を書いている現在でも通用しそうなセンスである。 … 続きを読む
m県外・参考 30 1月 1966 昭和41年の扇千景(昭和41年1月30日) 昭和41年1月30日の岩手日報の広告欄より。 もはや岩手には関係ないが、パブロンの広告で扇千景が出ているので。 昭和8年5月10日生まれの扇千景はこの時点で32歳。 また、動物実験について誇らしく載せているのも時代相だろうか。 今なら出演するタレントによっては「動物実験には反対だから私は広告を降りる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1966 盛岡の立春の風物詩は金魚売りだった(昭和41年1月29日) 昭和41年1月29日の岩手日報より。 盛岡では立春(2月2~3日頃)になると金魚売りが出始めていたという。 しかし1月の末だとそれには早いので、記事の表現をそのまま使うと「道行く人たちをびっくりさせた」のだという。 つまり道行く人たちは二十四節気の「立春」を常に分かっており、その時期には金魚売りが出… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 1月 1966 花泉町で成人記念の献血(昭和41年1月11日) 昭和44年1月12日の岩手日報より。 この年の西磐井郡花泉町の成人者は205名いたが、会場となる花泉町公民館では「交通事故が増えているので、血液が不足している時でもあり、献血してはどうか」と提案、青年たちも賛成し、盛岡の日赤岩手県本部から献血車「まごころ号」を回送してもらった。 そして新成人30人が… 続きを読む
l全県 1 1月 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 12月 1965 釜石に正月用の酒が届く(S40.12.27岩手東海新聞) 各地から帰省して、正月を過ごす人たちのために、釜石にも酒が届いた。 灘や秋田など、主要な産地からも運ばれてきたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 12月 1965 年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞) 年末年始の規制シーズン、釜石駅では盛岡鉄道管理局に、上野から直通の臨時列車を運行するようお願いしていた。 それが「第2陸中」で、1等車1両、2等車4両の5両編成であったという。 また、釜石線・山田線は自動閉塞化が進んでいたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1965 紫根染(TBSスパークル) これまたTBSスパークルで昭和40年12月18日に公開されたものらしい。 「紫根染」聞いたことがあるような無いような・・・ それより興味深いのは、昭和40年当時の青山町の住宅地の風景である。 青山町のあたりというとそれこそ「団地」然とした風景が広がり、青山小学校は1学年当たり5~6クラスある大規模校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1965 わんこそば(TBSスパークル) 昭和40年12月18日に公開されたものらしい。 基本的に「わんこそば」は岩手県民は日常的には食べない。 あれは観光客向けのもの。 管理人の個人的な思い出では、盛岡を離れて友達を連れて帰省した大学生の頃に初めて食べたが、根性で101杯食べたのが唯一。 https://www.youtube.com/w… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 12月 1965 マスコミで話題の「ピロン」ついに本県進出!(昭和40年12月17日) 昭和40年12月17日の岩手東海新聞より。 「ピロン」という乳酸飲料が話題をさらったのだそうで、それが岩手に上陸するという。 そして釜石に「ピロン東部営業所」というのができて、大槌也遠野など上閉伊郡一体に営業拠点を募集している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 12月 1965 らばさん「モンキーダンス」(昭和40年12月15日) 昭和40年12月15日の岩手東海新聞より。 この当時連載されていたのは「らばさん」という4コマ漫画で、丸光デパートが提供していたようである。 また、この時期は「モンキーダンス」が流行しており、学校のPTAでも問題にされるなどしていた。 それで「そんなにモンキーダンスが好きなら動物園で動物と仲良くして… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 12月 1965 釜石はボーナス・サンデーで商店街や釜鉄購買部が大賑わい(昭和40年12月12日) 昭和40年12月12日の岩手東海新聞より。 釜石は12月12日、製鉄所でボーナスが出て初めての日曜日を迎え、商店街や釜石製鉄所の購買部は大賑わいになった。 商店街には慈善鍋も出た。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 12月 1965 新年会・忘年会は釜石・丸光5階食堂で!(昭和40年12月4日) 昭和40年12月4日の岩手東海新聞より。 広告欄には、前の年にオープンしたばかりのデパート・丸光が広告を出している。 食堂部で、新年会や忘年会の利用を呼びかけている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 12月 1965 巨人軍の王選手が1月に宮古に来ます!(昭和40年12月2日) 昭和40年12月2日の岩手東海新聞より。 1月12日に、宮古小学校に巨人軍の王貞治が来ると言う。 それで、沿岸一帯にチェーン店を広げる洋品店では招待券付きののキャンペンを繰り広げていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 12月 1965 4コマ漫画「らばさん」:フェミニストのいなかった時代(昭和40年12月1日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 この時期になると、東海新聞にも4コマ漫画が出ていたようである。 今回は、整形外科を題材にしたもの。 2コマ目までは、美容整形をする女性を、それほど否定的には描いていない。 問題は3コマ目と4コマ目。 美容整形をした中年女性を、旦那は逃げてしまう。 このような… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 11月 1965 釜石の老人ホームで避難訓練(昭和40年11月30日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 年の瀬に向けて年縄作りに一生懸命取り掛かっていたところ、11月30日に釜石の老人ホーム「五葉寮」では火災避難訓練が行われた。 非常ベルが鳴り、スピーカーから「裏手で火事が発生したので正面玄関から避難してください」と呼びかけたら、52人の入寮者がお互いかばい合… 続きを読む
l全県 22 10月 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
l全県 21 10月 1965 1平米で設置できるコンパクトな風呂「ほくさんバスオール」(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 1平方メートルつまり半畳で設置できるという風呂「ほくさんバスオール」の広告。 当時であれば、集合住宅などに当然のように風呂があったわけではなく、「もらい湯」という習慣も残っていただろうからそれなりに重宝したのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 10月 1965 盛岡・亀半で秋冬物奉仕会(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 盛岡の呉服店「亀半」では、秋冬物の特別奉仕会を行う。 一定の世代であれば、テレビやラジオで〽️呉服の亀半〜 は覚えているだろう。 … 続きを読む
l全県 18 10月 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 10月 1965 南極観測隊に川徳デパートから岩手県の特産品をどっさりプレゼント(昭和40年10月15日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 11月から南極観測隊が再開されるに際し、川徳デパートでは岩手県の特産品350,000円相当をプレゼントすることにした。 南極観測は昭和40年で第7回目を迎えることとなった。 それまでは、南極観測統合推進本部から川徳デパートに対し、岩手県の特産物が注文されていた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 10月 1965 盛岡の呉服店「七五三の準備はお済みですか」(昭和40年10月15日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡・東大通りの呉服店「京藤」では、七五三に向けたセールを行っている。 男児のお祝いは一万2000円と言う価格。 … 続きを読む