e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 大槌町で公営住宅工事進む(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 大槌町蟇川原の公営住宅の工事が進んでいるという。 というか蟇川原ってどこ? ・・・と思ったら、大槌町第21地割という、大槌川の河口の安渡側だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石のミシン店「シンガーミシンは24回月賦で31,200円から!」(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 広告欄にはシンガーミシンの広告が載っており、月賦で買えるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1960 釜石もいよいよテレビ時代へ(昭和35年1月7日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 盛岡などでは既に、昭和33年にテレビ放送が始まっていた。 しかし、電波の届かない釜石ではまだだったのだ。 それが、釜石市と遠野市の境界の箱根山に中継所が計画され、いよいよ釜石にもテレビ時代の到来が期待された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1960 釜石・及新デパート「冬物衣料大特売会」(昭和35年1月7日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートでは冬物の大特売会であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 6日 1960 釜石市消防団の出初式(昭和35年1月6日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石市消防団は、釜石市中心部で出初式を行った。 写真は錦館前であるという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 5日 1960 東北一の商港は釜石港(昭和35年1月5日) 昭和35年1月4日の岩手日報より。 昭和34年1月~12月の港別の輸出入で、釜石港は輸出55372トン、24億8300万円、輸入は99万1600トン、61億9300万円で東北で一位であったという。 輸出はブラジル・タイ・台湾向けのレールが主で、輸入は鉱石・スクラップ・石炭といずれも釜石製鉄所に関係す… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 昭和35年の釜石の初売り広告たち(S35.1.1岩手東海新聞) 昭和35年、元旦の岩手東海新聞は、釜石市内の各店舗の初売り広告で埋め尽くされている。 この記事を書いている令和5年現在、現存する店は無いのではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・錦館で「薄桜記」「鉄火場の嵐」公開!(S35.1.1岩手東海新聞) 釜石・錦館で「薄桜記」「鉄火場の嵐」を公開する。 「薄桜記」は昭和34年11月22日初公開の大映作品。出演は市川雷蔵・勝新太郎・真城千都世など。 「鉄火場の嵐」は昭和35年1月15日公開の日活作品。出演は石原裕次郎・北原三枝・芦田伸介など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・シネマセンターで「パイナップル部隊」「夜霧の決闘」公開!(S35.1.1岩手東海新聞) 釜石のシネマセンターで「パイナップル部隊」「夜霧の決闘」を公開する。 「パイナップル部隊」は昭和34年12月27日初公開の松竹作品。出演は杉浦直樹・小坂一也・伴淳三郎・十朱幸代など。 「夜霧の決闘」は昭和34年12月1日公開の東宝作品で、出演は鶴田浩二・三橋達也・神戸一郎など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1960 元旦の釜石発盛岡行きの始発バス(昭和35年1月1日) 昭和35年1月4日の岩手東海新聞より。 仙人トンネルが開通して初めての正月、岩手東部バスの釜石発盛岡行きの急行バスの乗車記。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 10年後の釜石の未来図(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 昭和35年の元旦を記念して、「10年後の釜石の理想図」と言う記事が出ている。 それを、釜石市都市計画課の23歳の職員に聞いてみたのである。 まずは、工業都市として、人口増加をどうするか、また観光客の楽しめる都市としての名を轟かせようと言うことであった。 また、工場… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・国際劇場の新春第2弾は「丹下左膳 妖刀濡れ燕」「べらんめえ芸者」(昭和35年1月3日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場の新春映画第2弾は「丹下左膳 妖刀濡れ燕」と「べらんめえ芸者」を公開する。 「丹下左膳 妖刀濡れ燕」は昭和35年1月15日公開の東映映画で、大友柳太朗・丘さとみ・青山京子などが出演。 「べらんめえ芸者」は昭和34年12月9日公開の東映映画で、美空ひば… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京より先行公開!(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京に先駆けて公開する。 「二人の武蔵」は昭和35年1月3日公開の大映映画で、長谷川一夫・勝新太郎・本郷功次郎・市川雷蔵といった時代劇スターが一堂に出演。 「口笛が流れる港町」は昭和35年1月3日公開の日活映画で、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・シネマセンターの正月映画は「わが愛」「侍とお姐ちゃん」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは正月映画として「わが愛」「侍とお姐ちゃん」を上映する。 「わが愛」は昭和35年1月3日公開の松竹映画で、有馬稲子・佐分利真・乙羽信子などが出演。 「侍とお姐ちゃん」は昭和35年1月9日公開の東宝映画で、三橋達也・草笛光子・団令子・夏木陽介な… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 29日 1959 釜石・国際劇場で「任侠中山道」を東京・盛岡より先行して封切上映(昭和34年12月29日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では、「任侠中山道」を盛岡より先行して封切上映する。 「東京・盛岡より先行封切」というのが力が入っている。 「任侠中山道」は、昭和35年1月3日公開の東映映画で、片岡千恵蔵や萬屋錦之介が出演。 同時上映する「警視庁物語深夜便130列車」は、昭和3… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 23日 1959 釜石市内の帆布店「強くて軽快なビニロン作業服!」(昭和34年9月23日) 昭和34年9月23日の岩手東海新聞より。 釜石市内の帆布店では、ビニロン作業服の広告を打っている。 「強くて軽快な」とは言う物の、ビニロンは熱には弱く、アイロン温度はかなり注意が必要であったと言う。 「強くて軽快な」とは言う物の、ビニロンは熱には弱く、アイロンの温度はかなり注意が必要であったと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 18日 1959 東北随一の円形スタンド・釜石のバーエデンではサントリーハイボール100円!(昭和34年9月18日) 昭和34年9月18日の岩手東海新聞より。 「東北随一の円形スタンドバー」だそうで、釜石のバー・エデンの広告が出ている。 当時であれば製鉄所の工員で賑わっただろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 17日 1959 釜石市内の自転車店「高級自転車1万6千円!」(昭和34年9月17日) 昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では自転車を1万6千〜2万1千円ぐらいのところで販売している。 オートバイのメーカーでもあったようだが過当競争で昭和38年に倒産の憂き目に遭う。 しかし丸紅傘下となり「丸紅山口」となる。 その後昭和57年の丸紅が資本を引き上げ「関根サイクル… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 17日 1959 サンマ加工労務者のために臨時列車を走らせます! 昭和34年9月17日の岩手日報より。 盛鉄局では、サンマ加工労務者や、通勤通学客のために臨時列車を走らせることにしたという。 山田線(9月22日〜10月31日、日祝を除く) 釜石6:38〜両石6:51〜鵜住居6:56〜大槌7:04 気仙沼線(9月16日〜10月31日) 陸前階上5:20〜松岩5:25… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 13日 1959 岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日) 昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスが、5つの路線を申請していたところ、正式認可となり9月13日から運行開始することとなった。 その5つの路線とは以下の通り。 釜石〜遠野(7往復) 盛岡〜釜石(5往復)岩手中央バスとの共同運行 大槌〜遠野(2往復)笛吹峠経由 釜石〜平田(4往復) … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 12日 1959 仙人トンネル開通(昭和34年9月12日) IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和34年9月12日、仙人峠にトンネルが開通。 この当時はまだ有料道路であり、なおかつ「国道283号線」ではなく「県道盛岡釜石線」の時代。 バスは県南バスカラーのようであるが「IKB」ではなく「TBK」とある。 岩手東部バスは昭和32年に岩手県南バスの傘下に入っ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 11日 1959 仙人トンネル開通と共に岩手東海新聞社の社屋も新築!(昭和34年9月11日) 昭和34年9月11日の岩手東海新聞より。 仙人トンネルが開通するという、釜石における道路交通の一大イベントと同じタイミングで、岩手東海新聞社も社屋を一新し、タブロイド版からブランケット版に紙面を一新することとなった。 … 続きを読む