l全県 1月 1日 1989 年始広告も「初春のお慶び」ではなく「初春のごあいさつ」(昭和64年1月1日) 昭和64年1月1日の岩手日報の広告欄に掲載された県内各企業の広告は、ことごとく「初春のお慶びを申し上げます」ではなく「謹んで初春のごあいさつを申し上げます」。 天皇陛下が御危篤の状態で自粛ムードとなっており「慶び」という雰囲気ではなかったのだ。 … 続きを読む
l全県 10月 28日 1986 東北農政局岩手統計情報事務所が米の作況指数を107と発表(S61.10.28) 本県の6年産稲作は、3年連続の豊作となりました。残暑が好影響し、水稲の収穫量は約43万8千6百石に達しましたが、減反策が戻ったため、前年より収穫量はやや減少しました。7月までの冷害型の天候や8月初めの大雨による冠水被害がありましたが、その後は好天に恵まれ、沿岸部や北部を除く地域では生育が回復しました… 続きを読む
l全県 5月 31日 1974 国民春闘の岩手県内の状況(S49.5.31) 1974年に行われた「国民春闘」は、賃上げ要求や労働時間短縮、インフレ抑制を中心に大規模な労働争議が全国で展開されたものです。この春闘には約930万人の労働者が参加し、労働組合の80%がこの時期に賃上げ交渉を行いました。春闘共闘委員会は「国民的要求を前面に出す」として「悪性インフレ阻止」をスローガン… 続きを読む
l全県 1月 26日 1973 政府が「土地対策要項」策定(S48.1.26) この時期は、急速な土地ブームによって岩手県を含む日本の地方が影響を受けました。 高度経済成長期、インフレの影響や「日本列島改造論」によって、大手資本や土地ブローカーが土地投機や買い占めを進め、公共用地や住宅地の需要が高まったことで地価が急騰しました。 特に、盛岡市周辺では宅地や工業用地の価格が大幅に… 続きを読む
l全県 1月 16日 1972 台湾坊主と低気圧で県内に甚大な被害(S47.1.16) 47年1月13日に台湾坊主と呼ばれる気象現象(南岸低気圧)が三陸沿岸を襲い、その後1月16日には三陸沖に発生した低気圧によって豪雨と大雪がもたらされ、堤防が決壊し、養殖施設も壊滅的な被害を受けました。送電線や道路が寸断され、林業にも甚大な損害が発生し、被害総額は49億円に上りました。特に気仙沿岸では… 続きを読む
l全県 3月 25日 1970 電話料金が3分10円に(昭和45年3月25日) 昭和45年1月30日から公衆電話は3分10円に。 しかし、下のIBC「いわてアーカイブの旅」では「3月25日から~」と書いてある。 電話局によって違いがあったのか、はたまた市内と市外の違いとか? https://www.youtube.com/watch?v=IeyGvY0_Vfg … 続きを読む
l全県 12月 25日 1967 日活映画で’68年の夢をタックル!楽しさいっぱいの新春番組!!(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報の広告欄より。 日活の正月映画についてのラインナップが載っている。 当時は県内各地の映画館も健在だった。… 続きを読む
l全県 12月 3日 1967 読者が決める昭和42年の岩手の10大ニュースは?(S42.12.3岩手日報) 昭和42年も12月に入り、10大ニュースを募る時期となっていた。 それで、11月までの主だったニュースを列挙している。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 14日 1967 県内12市の1人当たりの売上高(昭和42年11月14日) 昭和42年11月14日の岩手東海新聞より。 県内12市の1人当たりの売上高について記載があり、釜石市は盛岡・花巻・一関・北上に次いで5番目。 また、二戸市はこの時点ではまだ市制していない。… 続きを読む
l全県 5月 8日 1967 農繁期になると子供の線路遊びが増える 昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ… 続きを読む
l全県 7月 1日 1966 興産相互銀行が「北日本相互銀行」に改称(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行は、この7月1日より、「北日本相互銀行」と解消することになった。 現在の北日本銀行である。… 続きを読む
l全県 3月 2日 1966 新しい興産相互銀行のマークです(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行の新しいマークをお披露目。 北日本相互銀行になってからも使用してたはず。 … 続きを読む
l全県 1月 1日 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
l全県 10月 22日 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
l全県 10月 21日 1965 1平米で設置できるコンパクトな風呂「ほくさんバスオール」(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 1平方メートルつまり半畳で設置できるという風呂「ほくさんバスオール」の広告。 当時であれば、集合住宅などに当然のように風呂があったわけではなく、「もらい湯」という習慣も残っていただろうからそれなりに重宝したのだろうか。 … 続きを読む
l全県 10月 18日 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
l全県 10月 11日 1965 新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異… 続きを読む
l全県 10月 11日 1965 本屋のハタキとミニスカート(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画「ケロちゃん」では、本屋がテーマとなっている。 本を買いもせず立ち読みしていると、店主が叩きを持って追い払いに来ると言うのはよくある風景であった。 本を買いもせず立ち読みしていると、店主がハタキを持って追い払いに来ると言うのはよ… 続きを読む
l全県 10月 9日 1965 岩手でも蔓延る「睡眠薬遊び」(昭和40年10月9日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 この時期、若者の睡眠薬遊びやシンナー遊びが社会問題になっていたようだが、岩手でもそれは例外ではなかったようだ。 この記事では、その被害を説いている。 … 続きを読む
l全県 4月 6日 1965 あなたのお宅も… 日立パネコン冷蔵庫!(昭和40年4月6日) 昭和40年4月6日の岩手日報より。 日立ではパネコン冷蔵庫の広告を出している。 月賦でも販売するらしい。 考えてみれば、冷蔵庫が一般的ではなかった時代はどんな食生活を送っていたんだろう? … 続きを読む
l全県 4月 2日 1965 全逓が超勤拒否で郵便物に影響か(S40.4.2岩手日報) この頃の全逓は「戦う労組」だった。 この時も超勤拒否闘争で給与体系の不均衡を改正させようとしていた。 … 続きを読む
l全県 4月 1日 1965 今年は天明以来の飢饉?(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年は、天候が異常で「天明以来の飢饉になるのではないか」と恐れられていた。… 続きを読む
l全県 11月 24日 1964 茶の間さん「オリンピックでアテが外れた分を取り戻せ」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月24日の岩手日報より。 連載されていた4コマ漫画では、東京オリンピックをテーマにしている。 この年の東京オリンピックは10月24日に閉幕している。 それは国内のどの商売をする店にとっても一大商機であったはずだが、この漫画の店ではアテが外れたようだ。 それで「取り返してこい!」と旦那に… 続きを読む
l全県 8月 1日 1964 東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 東京オリンピックを10月に控え、カラーテレビ商戦が白熱していた。 … 続きを読む