l全県 15 2月 1950 進駐軍岩手民政部により導入された週休2日制はどうなった?(S25.2.15新岩手日報) 進駐軍の岩手民政部長官により、岩手県内の学校は週休2日制が導入されたようだ。 で、どんな経過を辿ったかという記事。… 続きを読む
l全県 12 2月 1950 岩手県公会堂で供米早期完遂感謝祭(S25.2.12新岩手日報) 当時は食糧管理制度が完全に国営化されており、供米は義務のようなものだった。 こうして早期完遂すれば感謝もされたのだ。… 続きを読む
l全県 10 2月 1950 公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) 昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。 … 続きを読む
l全県 6 2月 1950 これからのこれからの税金早わかり(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 地方税制改正案の要項がまとまり、どのくらいの税負担になるのかの図解が出た。 … 続きを読む
l全県 4 2月 1950 ラジオ番組案内(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日新岩手日報より。 ラジオ番組案内は以下の通りとなっていた。 この当時は、ラジオ岩手すら開局しておらず、NHKのみだった時代。 … 続きを読む
l全県 4 2月 1950 シベリアからの引揚促進に県民の声を結集(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 この時期、シベリア抑留は社会問題になっていた。 そこで、引揚促進の全国大会が開かれるに、先立ち、県内でも声を集めようと言うことになっていたようだ。 … 続きを読む
l全県 2 2月 1950 山のボンペイ街のチャコ(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 連載されていた「山のボンペイ街のチャコ」では、スズメ捕りにについて扱っている。 この時のスズメの鳴き声は「チューチュク」と表現されている。 … 続きを読む
l全県 7 1月 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む
l全県 12 11月 1949 大豆を1俵供出したら「大豆宝くじ」(S24.11.12岩手新報) この時期、米と同様に大豆も「供出」の対象だった。 この供出をスムーズに進めるために「大豆宝くじ」を企画したのだという。 これがどれだけ大豆の供出に役に立ったかは不明。… 続きを読む
l全県 9 11月 1949 県「11月10〜16日は結核予防週間です!」(昭和24年11月9日) 昭和24年11月9日の岩手新報より。 岩手県衛生部・各保健所・岩手県医師会の連名で結核予防週間に関する広告が出されていた。 個人的なことを言うと、BCG検査に関しては小学校の頃(昭和50年代末頃)受けたことがある。 結核は恐ろしい病気だったのだ。  … 続きを読む
l全県 1 11月 1949 岩手県教育委員会発足1周年(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 昭和23年7月15日に「教育委員会法」が公布・施行され、各都道府県に教育委員会が設立されて1周年となった。 令和現在の教育委員会と違うのは、この当時は教育委員も選挙によって選ばれていたと言うことである。 ともかくも、戦前の「地方学事通則」から変わった教育委員会と… 続きを読む
l全県 1 11月 1949 全国交通安全週間が始まります!人は右、車は左ですよ!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 11月1日から全国交通安全週間が始まるという。 「人は右、車は左」の対面交通を盛んに喧伝していた。 … 続きを読む
j生活 1 9月 1949 ブドーの実もたわわに揺れる(昭和24年9月1日) 昭和24年9月1日の岩手新報より。 「九月のこよみ」という、9月の予定を列挙した記事。 どこのブドー園かは不明であるが、ブドー(記事原文ママ)の実もたわわに揺れて実りの秋を迎えようとしている。 二百十日にはキッティ台風(記事原文ママ)が来て農家の厄日となりそうだ・・・と書いている。 そして、「サンマ… 続きを読む
l全県 1 9月 1949 昭和24年9月15日のダイヤ改正では旅客サービスが良くなりますよ!(昭和24年9月1日) 昭和24年9月1日の岩手新報より。 国鉄では9月15日からダイヤ改正を行うという。 そのダイヤ改正の眼目は、日本国有鉄道が発足し、戦中の貨物列車中心のダイヤから、旅客サービスを中心としたものに変わるということ。 Wikipediaにも、独立して以下のような項目がある。 盛鉄管内でも、通勤者に優しくな… 続きを読む
l全県 17 7月 1949 岩手が輩出した野球選手・久慈次郎や白坂長栄を語る(昭和24年7月17日) 昭和24年7月17日の岩手新報より。 岩手県の球界についての対談。 久慈次郎や白坂長栄といった名前が挙がる。… 続きを読む
l全県 15 7月 1949 第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) 昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく… 続きを読む
l全県 12 7月 1949 観光岩手の誇り10傑(昭和24年7月12日) 昭和24年7月12日の岩手新報より。 「観光岩手の誇り十勝」ということで読投票で選ぶ観光地は右の通りだった。 「釜石海洋名称地帯」とは現在の三陸海岸であると思うが、北山崎以上に釜石だったらしい。 … 続きを読む
l全県 12 7月 1949 岩手県造林宝くじ当選番号表(昭和24年7月12日) 昭和24年7月12日の岩手新報より。 岩手県造林宝くじというのをやっていたようで、その当選番号表は右の通り。 請け負っていたのは当時の日本勧業銀行で、現在でも宝くじはその後身のみずほ銀行がやっている。 … 続きを読む