a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) 昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原… 続きを読む
i一関・西磐井郡 13 9月 1931 西磐井郡萩荘村で29歳の男が復縁目当てに放火(S6.9.13岩手日報) 昭和6年9月13日の岩手日報によれば、西磐井郡萩荘村(現在の一関市)で、ある村議の次男(29歳)が、なんとも浅はかな理由から放火事件を起こしました。 記事の大見出しは「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」。 ここでいう「お七」とは、井原西鶴『好色五人女』にも登場する、恋人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 9月 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報) 昭和6年9月12日の岩手日報によれば、盛岡鉄道工場で建設が進められていた車輪・仕上職場が、いよいよ完成間近となった。着工は同年4月24日で、約7か月の工期を経て12月1日からの作業開始が予定されている。 この新しい職場では、客車や貨車の車輪交換、洗浄といった整備作業が行われることになる。写真には、工… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報には、当時の中華民国で発生した未曾有の大水害に対し、岩手県内でも義援金募集が始まったことが報じられています。 1931年中国大洪水は、黄河・長江・淮河流域を襲った一連の洪水で、記録上最悪級の自然災害とされます。前年までの旱魃に続く豪雨と雪解け、さらに活発だった台風活動が重… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11 9月 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者が、従来の汽火熱式(スチーム式)牛乳消毒殺菌器に代わる、新しい「かまど式殺菌器」を発明したという。 この装置は、昔ながらのかまどの構造を応用したもので、価格は3斗(約54リットル)容量で150円程度。従来の汽火熱式では300円ほどかかるた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日の盛岡・内丸座では、洋画と邦画の抱き合わせ上映が行われていた。 洋画はコンラート・ファイト主演のドイツ映画『最後の中隊』。広告文句には「深刻悲壮の犠牲愛血史」とあり、第一次世界大戦下の戦場で繰り広げられる重厚で悲壮な愛と犠牲の物語であることを強調して… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 10 9月 1931 石鳥谷で秋の祭り(S6.9.10岩手日報) 昭和6年9月10日の岩手日報より。 この日の紙面には、石鳥谷町で行われた秋の祭典の様子が掲載されていた。 天候にも恵まれ、近隣の村々からも多くの人々が訪れ、町は朝から活気に包まれた。 記事によれば、人出はなんと1万人にのぼり、通りは祭り客で埋め尽くされたという。 写真には、提灯や旗で飾られた通りを歩… 続きを読む
g北上・和賀郡 9 9月 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典(S6.9.9岩手日報) 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社・諏訪神社では、9月7日から9日にかけて祭典が行われた。町内は紅白の幔幕で彩られ、まさにお祝い一色の雰囲気に包まれたという。 農家も比較的暇な時期であったため、近在からも多くの人々が押し寄せ、神社境内は一層の賑わいを見せた。境内には見世物小屋が掛けられ… 続きを読む
l全県 6 9月 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(S6.9.6岩手日報) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の1面トップは、なんと雑誌「キング」の全面広告であった。 戦前の新聞では、こうした大判広告が1面を占拠することもあったようだが、岩手日報のような地方紙でも実際に行われていたのは興味深い。 新聞といえばニュース記事が並ぶという現代の感覚からすると、かなり意外な紙… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4 9月 1931 水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) 昭和6年9月4日の岩手日報には、水沢〜岩谷堂間のバス時刻表が掲載されている。 運行は「胆江自動車」と「水岩自動車」の共同事務所による共同運行で、午前から夕方まで数本ずつの便が設定されていた。 当時は舗装道路も限られ、路面や天候によって所要時間が変動することも多かったはずだ。 それでも、新聞に定期運行… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1931 小学校落成2題(S6.9.3岩手日報) 昭和6年9月3日の岩手日報より。 滝沢村の篠木小学校と、胆沢郡相去村の相去小学校が相次いで新校舎を落成した。写真には木造校舎の相去小学校が写っており、地域に新しい学び舎が誕生した喜びが伝わってくる。 その脇の記事は、ローマで開かれた日伊学生の交歓会の様子。ここに登場する「青年日本号」は船ではなく、法… 続きを読む
hスポーツ 3 9月 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 昭和6年9月3日の岩手日報に掲載された広告。女子陸上競技の先駆者であり、日本人女性として初めてオリンピックに出場した人見絹枝が亡くなったのは、この1か月前のことだった。死因は過労とされ、その衝撃は大きかった。 広告ではこの出来事に触れつつ、「過労は短命のもと」と警告。体力を回復させるには薬の服用が有… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。 この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している… 続きを読む
m県外・参考 1 9月 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報) 二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。 この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。 昭和6年の「二百十… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1931 盛岡・松屋で創業4周年謝恩の市(S6.9.1岩手日報) 昭和6年9月1日の岩手日報には、盛岡市中ノ橋通にあった百貨店「松屋」による創業4周年記念の広告が掲載されている。 広告によれば、松屋では「謝恩の市」と題し、「年一度の大奉仕」として特別セールを開催。目玉は「秋の新柄発表大会」で、呉服・洋布・モスリンなど秋の装いを揃えた品々が並ぶという。さらには「興趣… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 9月 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工(S6.9.1岩手日報) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 桜木橋がいよいよ九分通り完成し、9月20日頃には祝賀会が行われる予定となった。 この橋は、胆沢郡水沢町と江刺郡愛宕村を結ぶ幹線道路上に架けられたもので、交通の便はもちろん、地域の発展に大きく寄与することが期待されている。地理的には、佐倉河村(現・奥州市水沢佐倉河)と… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 8月 1931 市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) 昭和六年八月三十一日──その日は久慈町の「市日」で、二十八日町は近郷近在からの買い物客でごった返していた。 そんな雑踏のさなか、突如として乗合自動車が群衆をなぎ倒す。 ナンバー「岩二九」のその車両は、軽米自動車組合のものであり、本来であれば軽米〜久慈間を運行しているはずのバスであった。 しかし、事件… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 6月 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の『岩手日報』より。 8月31日に、一関にて自動車強盗未遂事件の公判が開かれた。被告は19歳の少年と21歳の男の2名である。事件は6月3日に発生したもので、自動車強盗を試みたが、未遂に終わっていた。 主犯とされたのは19歳の少年で、青森県下北半島の出身。製材工場でエンジン係として働い… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 1月 1931 花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日) 昭和6年元日付の『岩手日報』には、花巻町の千葉丈之助翁(84歳)が登場する。かつて同紙の記者として筆を執っていた翁は、明治・大正の時代を経て、いまや静かな隠居生活を送っている。 当時の日本人の平均寿命は40代前半。そんな時代において、84歳という年齢は群を抜いた長命であった。記者が翁に長寿の秘訣を尋… 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1931 在仙県人有志からも年始の挨拶(S6.1.1岩手日報) 昭和6年の元日、岩手日報紙面には、仙台で活躍する岩手県出身者や県ゆかりの企業からの新年広告がずらりと並んだ。 「謹賀新年」の大きな題字とともに、「在仙縣人有志不動町」と記された枠には、仙台市で事業や商売を営む岩手出身の人々が名を連ねている。 また、広告を出している企業の多くは、所在地に「仙臺」「青葉… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) 昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 昭和六年新年号(S6.1.1岩手日報) 昭和六年の元旦紙面──羊の年を迎える 昭和6年1月1日、岩手日報の新年号は、未年(ひつじどし)の到来を寿ぐ特別な紙面で飾られている。 冒頭には大きく右書き横書きで「岩手日日新聞新年号」と描かれ、日の出を背景に数頭の羊がゆったりと佇む絵が据えられている。山並みと海原を背に、朝日が昇る構図には、吉兆を祈… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報) 昭和6年元日、岩手日報に掲載された県内企業の年始広告には、当時の岩手経済界の様相がよく現れている。 中でも目を引くのが「岩手軽便鉄道株式会社」の広告である。同社は花巻町に本社を構え、花巻から遠野を経て仙人峠へと至るナローゲージ(軌間762mm)の地方鉄道を運営していた。後年、国鉄に買収されて「釜石線… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 岩手の子宝たち(S6.1.1岩手日報) 昭和6年の元旦、岩手日報では「子福者(こふくしゃ)」──すなわち多くの子どもを持つ家庭──を取り上げた特集記事が組まれた。いずれも子だくさんを喜びとし、家族の和やかな団らん風景が写真と共に紹介されている。 七男七女の子福者(宮古町横町) 宮古町横町では、七男七女の14人きょうだいを育てた一家が登場。… 続きを読む