昭和28年

岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) g北上・和賀郡

岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日)

昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野…
へき地教育の過酷な現実 d宮古・下閉伊郡

へき地教育の過酷な現実

昭和28年12月16日の読売新聞では、全国のへき地教育の過酷な実態を報じている。 降水で丸木橋が渡れなくなると荷物用のケーブルで通学する(群馬県中里中) 山道が険しいので冬季の通学は部落民が交代で提灯を持っていく(岐阜県) 通学路は波が引いたときに数百メートルを命がけで走る(青森県脇野沢村) 子供が…
中央バスの青山町線・上田線が臨時増発(S28.12.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

中央バスの青山町線・上田線が臨時増発(S28.12.1岩手日報)

岩手中央バスの上田線と青山町線が増発するという。 当時の上田線は馬町〜競馬場前(現在の岩大のあたりに黄金競馬場があった)、青山町線は馬町〜青山町。 当時は盛岡バスセンターはなく、また、営業所は松園ではなく上田、滝沢ではなく青山町にあった時代。…
岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) f花巻・稗貫郡

岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報)

東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・      …
外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日) h水沢・江刺・胆沢郡

外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日)

昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 外国航路の船員が、所得税を差し押さえられると言う珍事が発生した。 これは、日本郵船の船員で、胆沢郡佐倉河村出身の23歳の男性。 これは、本籍地の佐倉河村で、昭和26年度以降の所得税9000円余りが滞納になっていたと言うもので、オーストラリアのブリスベーンに…
水沢の電話はあと100台加入できます!(昭和28年11月28日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢の電話はあと100台加入できます!(昭和28年11月28日)

昭和28年11月28日の胆江日日新聞より。 この時点の胆沢郡水沢町の電話加入者は865台で、水沢電報電話局は宮古・釜石と並んで6級局に昇格していた。 ケーブルの張替えや交換台の増設であと200台は入れると呼びかけていたところ、95台が新規加入、あと100台の余裕があることになった。 ただ、水沢駅東・…
ソ連からの帰還を待つ水沢の一家(S28.11.20胆江日日新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

ソ連からの帰還を待つ水沢の一家(S28.11.20胆江日日新聞)

終戦から8年たってもなお、引揚は100%済んだわけではなかった。 戦時中に朝鮮に渡っていたところ、家庭の事情で、日本に妻と子だけ引き上げていたところ、戦争が終わってしまい、夫と音信不通になってしまったと言うのだ。 それが、終戦から8年経って、ソ連で暮らしていると言う便りが届いたのであった。 &nbs…
保全経済会旋風、水沢だけでも同業15社(S28.11.20胆江日日新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

保全経済会旋風、水沢だけでも同業15社(S28.11.20胆江日日新聞)

この時期、「保全経済会」が話題をにぎわせていた。 ただし、似たような業態の会社はいくらでもあり、水沢だけでも同業者が15社いたと言う。 それらに、大丈夫だったのかどうかアンケートを取ってみたようだ。 ちなみに、この頃、胆江日日新聞は、大型化の最中であり、この日は大型だったので、紙面が4分の1しか取れ…
川に糞尿垂れ流し(昭和28年11月14日) h水沢・江刺・胆沢郡

川に糞尿垂れ流し(昭和28年11月14日)

昭和28年11月14日の胆江日日新聞より。 この時期、水沢では河川への糞尿垂れ流しが問題になっていたと言う。 それは、駒形マーケットの移転問題でゴタゴタを起こした大町川の寺小路橋付近の下流であると言う。 店舗や住宅が川にせり出し、川に杭を打って家を建てているところでは便壺を作ることができず、糞尿が河…
一ノ関機関区の機関庫が解体(昭和28年11月1日) i一関・西磐井郡

一ノ関機関区の機関庫が解体(昭和28年11月1日)

昭和28年11月1日の岩手日日より。 一ノ関機関区の機関庫の解体は始まったのだが、この11月中に終えようと急ピッチで工事が進められていた。 明治44年に建てられたばかりの頃は、東北一の機関区であったと言うが、時代の変遷とともに解体の運命となり、40年余りのお役目が終わりを告げるのであった。 &nbs…