j東磐井郡 1月 9日 1952 東磐井郡薄衣村の日雇が子供を千葉県の農家に売って検挙(昭和27年1月9日) 昭和27年1月9日の岩手新報より。 東磐井郡薄衣村の貧しい日雇いが、娘や息子を千葉県市川市や松戸市の農家に売ったというのである。 それで国警一関地区警察署が逮捕したというもの。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 5日 1952 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 1日 1952 花巻のけなげな納豆売り少女(昭和27年1月1日) 昭和27年1月1日の岩手新報より。 稗貫郡花巻町に、父親の病気にもめげずに納豆を売り歩く健気な少女がいたのだという。… 続きを読む
l全県 1月 1日 1952 「完全独立の年」1952年の新年号(昭和27年1月1日) 昭和27年1月1日の岩手新報より。 昭和27年はサンフランシスコ講和条約が発行し独立を果たす年。 そんな喜びが紙面にも溢れていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1951 美空ひばりが岩手県公会堂で東北地方初公演!(昭和26年8月10日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 美空ひばりが東北地方で初めて、岩手県公会堂で公演を行うのだという。 それは突如決まったことのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 東京大歌舞伎が盛岡劇場でお盆特別大興行!(昭和26年8月9日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 東京大歌舞伎が盛岡劇場で興行を行うという。 前売券は三百五十円とのこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) 昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 8日 1951 「盛岡銀座」肴町納涼祭の広告(昭和26年8月8日) 昭和26年8月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には肴町の納涼祭の広告が。 肴町は「盛岡銀座」をもって自認していたようである。 現在でもあるのは東山堂書店、繁田園、岩舘電気などであろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1951 8月10日に天才歌手・美空ひばり一行が来盛します!(昭和26年8月7日) 昭和26年8月7日の「夕刊いわて」より。 美空ひばり一行が盛岡に来るのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1951 土用の丑の日はみんなで牛肉を食べましょう!(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 8月5日日は土用の丑なので「う」の付く「牛」を食べましょうと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1951 保全経済会の盛岡支部は三戸町(本町通)にあった(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 保全経済会の支部は盛岡にもあった。 三戸町というので現在の本町通2〜3丁目にあったのだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 「街の子」は盛岡にもいた(S26.8.3夕刊いわて) 昭和26年、美空ひばりは「私は街の子」をリリース。 「街の子」とは軒先で歌を歌ってお金をもらい歩いていた子供だ。 それは盛岡にもいたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて) この当時、盛岡で電報が打てるのは中央通にある盛岡電報電話局の他、駅前・本町・上田・仙北町と、仙北町以外は河北で、肴町・八幡町といった河南は電報の打てる所が無い状態だった。 仙北町駅前にしたって、明治橋を渡っていかないといけないわけで、そういう意味では狭義の「河南」には皆無という状態だった。 それで新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1951 盛岡鉄道管理局1周年のご挨拶(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡鉄道管理局は開設され1周年を迎えた。 そこで幹部が挨拶広告。 当時の盛鉄局の問題も見て取れよう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1951 葺手町不動尊祭典(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡市葺手町(バスセンター周辺)の長福院では祭典を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 都市は電気設備から街の美化!(S26.7.31夕刊いわて) 広告欄より。 盛岡市内の電気工事業者の広告が掲載されているが、あの岩舘電気もある。 当時から肴町にあったようだ。… 続きを読む