e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1978 釜石製鉄所が合理化へ(S53.2.1) 昭和53年度、新日本製鐵釜石製鉄所(釜鉄)の合理化計画が正式決定され、釜石市や岩手県を揺るがす事態となった。 昭和50年8月に合理化問題が表面化して以降、釜石市や県は新日鉄本社に合理化回避を要請したが、昭和53年2月1日の現地経営審議会で正式決定された。 その後、昭和53年8月22日には日鉄鉱業釜石… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 10月 1977 盛岡・薬局店主殺害事件(S52.10.14) 昭和52年、盛岡市で薬局経営者が刺殺される強盗殺人事件が発生しました。この事件は、同市内で連続して起きた重大事件の一つとして捜査が進められました。 事件は10月14日夜、大通りにある薬局前で被害者が倒れているとの通報から発覚しました。被害者は薬局経営者で、胸や腹部などを複数箇所刺され失血死しており、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 8月 1977 盛岡・バー経営者殺害事件(S52.8.28) 昭和52年8月28日未明、岩手県盛岡市八幡町付近で、一人の女性が自宅近くの路上で何者かに襲撃され、死亡する事件が発生した。被害者は39歳の女性で、盛岡市八幡町でバーを経営していた。その晩、バーを閉店後に客と食事をした後、午前3時半ごろタクシーで帰宅したが、自宅の手前約10メートルの場所で襲撃を受けた… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7 6月 1977 第32漁吉丸遭難事件(S52.6.7) 昭和52年6月7日、宮古港を母港とするサケ・マス漁船「第32漁吉丸」が北洋で遭難・転覆し、多数の乗組員が死亡・行方不明となった。この事故は宮古港所属漁船としては戦後最大の漁船海難事故とされ、漁業関係者に大きな衝撃を与えた。 事故の背景には、サケ・マス漁の国際的な漁獲制限(二百海里問題)による制約の強… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 5月 1977 盛岡で相次ぐ殺人事件(S52.5.13) ① 教諭撲殺・死体遺棄事件(5月13日発生) 昭和52年5月13日朝、盛岡市山王町・山八幡宮付近の路上で、定時制高校に勤務していた教諭が通勤途中に何者かに撲殺された。翌14日夕方、盛岡市大田地区の空き地に止められていた小型トラックの荷台から遺体が発見された。 被害者はかつて北海道大学在学中から革マル… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 5月 1977 谷村新興製作所で合理化反対スト(S52.5.9) 国が出資する企業があり、大蔵大臣が経営の重要な決定権を持つ会社も存在する。県内企業では合理化案が相次ぎ、生産性向上やコスト削減が進められている。製品の標準化や生産コスト削減のため、新技術の導入や合理化が行われており、青森工場では高性能の設備を導入して生産効率の向上を図っている。企業の合理化に伴い、従… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 4月 1977 ブラック企業のノルマ地獄で3人の子供を殺す(S52.4.5) 昭和52年4月5日、岩手県江刺市稲瀬地区にある住宅で、28歳の父親が3人の実子を浴槽内で溺死させた殺人事件が発生しました。事件が発覚したのは午後6時30分過ぎ、江刺市消防署から警察に通報が入ったことがきっかけでした。現場は江刺警察署から北に約5キロの県道沿いに位置する新築の木造2階建て住宅で、被害者… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 3月 1977 盛岡で「大型店対策委員会」発足(S52.3.23) 盛岡商圏では、地元百貨店支持派と県外大型店支持派の対立が激化しており、特に川徳とニチイの進出計画が注目されています。川徳は盛岡の一等地に大型店を出店する計画を進め、丸紅も別の地域で商業開発を計画しています。一方、地元の商工会や商業者は、大型店の進出に強い懸念を抱き、反対の意向を表明しています。特に都… 続きを読む
g北上・和賀郡 26 1月 1977 北上のバス女車掌殺害事件(S52.1.26) 昭和52年1月26日、岩手県北上市里分の住宅街で、20歳の女性が新聞拡張員を装った男に襲われる事件が発生しました。被害者は、和賀町出身で、北上市内の高校を卒業後、念願のバス会社に車掌として勤務していました。当時、北上市里分で婚約者と共に生活を始めたばかりの彼女は、自宅でくつろいでいた際に事件に巻き込… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 1月 1977 岩手大学に人文社会科学部創設(S52.1.18) 岩手大学は新たに人文社会科学部を創設し、翌年度に開設することが決定した。この学部は、法学、政治学、経済学、歴史学、哲学、社会学、言語学、文化研究などを専門とする。特に、法学分野の拡充が重視され、新学部の準備が進められてきた。 学部は地域文化、社会科学、欧米研究、アジア研究の4つの専門コースで構成され… 続きを読む
i一関・西磐井郡 18 1月 1977 一関出身の三好京三が直木賞受賞(S52.1.18) 三好京三氏は、彼の作品『子育てごっこ』で直木賞を受賞しました。彼は一関高校卒業後、教師として働きながら文学活動を続け、長年の努力の末にこの栄誉を手にしました。『子育てごっこ』は、彼自身の小学校教師としての経験をもとに描かれた作品で、地方で地道に執筆を続けてきた作家にとって大きな励みとなっています。作… 続きを読む
l全県 1 6月 1976 「岩手県交通」発足するも前途多難(S51.6.1) 昭和51年6月1日、岩手県内のバス会社である岩手中央バス、県南バス、花巻バスの3社が合併し、新会社「岩手県交通株式会社」が発足した。この合併は、マイカー普及や過疎化による経営悪化を受け、路線の合理化や安定経営を目指したものだった。新会社の資本金は約1億6,488万円で、従業員は2,704人、バス台数… 続きを読む
l全県 16 5月 1976 社会党岩手県本部大会で執行部が総辞職(S51.5.16) 衆院選における公認候補問題が、社会党の内部対立や派閥抗争によって1年以上も混迷を極めました。この問題は、旧体制からの交代論や現職議員の勇退を巡る意見対立に端を発し、党内の社会主義協会派と反協会派の対立が表面化しました。特に、反協会派が新体制への移行に強く反発し、党本部への異議申し立てや調整工作が繰り… 続きを読む
l全県 1 5月 1976 混乱する学校主任制度(S51.5.1) 岩手県で導入が進められている学校の主任制度(学年主任、教務主任、保健主事など)に対し、教職員組合(岩教組・県高教組)は強く反発。主任制度が労働運動を縛るものだとして、県教育委員会の条件を拒否し、春闘統一行動でストライキを実施した。 その後、県教委は譲歩案を提示したが、ストを中止しなければ撤回すると通… 続きを読む
l全県 14 3月 1976 苦悩する地方財政(S51.3.14) 昭和50年度の地方財政は、高度経済成長から低成長への移行に伴う構造的変化や、不況による税収減、人件費の増加などを背景に、戦後最悪の危機を迎えた。県と市町村ともに深刻な財源不足に直面し、県は60億円の不足を見込んで財政緊急対策を実施。授業料や施設使用料の値上げを断行し、人件費抑制のため管理職の給与返上… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 17 1月 1976 宮古でチンピラが猫虐待に腹を立て殺人(S51.1.17) 昭和51年1月17日未明、岩手県宮古市黒森町の住宅地で、男性が刺殺される事件が発生しました。午前3時半頃、近隣住民が「怒鳴り合う声」を聞き、静かになった後、不安を感じて自宅の窓から確認すると、雪明かりの中で空き地に倒れている人影を発見しました。この空き地は、宮古市中心部の繁華街から北西約2kmに位置… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 23 12月 1975 運輸省が花巻空港拡張を認可(S50.12.23) 昭和五十年十二月二十三日、運輸省が花巻空港の拡張計画を正式に認可した。空港の拡張構想が持ち上がってからすでに六年が経過しており、その間、花巻市と岩手県が推進する一方で、周辺農民を中心とする反対運動が続いていた。現地では座り込みやデモが繰り返され、十月には反対派が県庁を包囲する事態にも発展した。運輸省… 続きを読む
l全県 26 11月 1975 公労協のストに県民大迷惑(S50.11.26) 昭和50年11月26日から始まった公労協のストライキは、最終的に192時間に及ぶ長期ストとなり、県内の交通や郵便に大きな混乱をもたらした。高校では遠距離通学者の大量欠席が相次ぎ、観光地や商店街の経済にも深刻な影響を与えた。 ストの目的は、公務員のスト権奪還だったが、政府の強硬な姿勢により成果を得られ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 8月 1975 種市に火力発電所計画(S50.8.14) 昭和50年8月14日、東北電力は岩手県九戸郡種市町有家地区に火力発電所を建設する計画を発表した。県内の電力供給不足や東北新幹線の建設による電力需要の増加を背景に、燃料の受け入れが可能な海岸、強固な地盤、豊富な水源、国立公園外であることなどを立地条件として選定した。発電所は段階的に建設され、最初に発電… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 5月 1975 国鉄盛岡工事局が新幹線用地の権利取得申請(S50.5.31) 東北新幹線と東北自動車道の予算が据え置かれたため、開業が遅れる見通しが強まっています。特に東北新幹線は、人件費や資材の高騰により、実質的な工事量が大きく減少し、当初予定の5年以内の開業が2年以上遅れることが確実となりました。政府の予算抑制により、工事費が高騰し、資材も不足しています。用地買収が進んで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1975 全日空雫石事故で自衛官に厳しい判決(S50.3.1) 1971年に発生した全日空機と自衛隊機の空中衝突事故について、1975年3月1日に盛岡地裁で判決が言い渡されました。この事故では全日空機に乗っていた162人が死亡し、被告の航空自衛隊員・隈太茂津一尉と市川良美二曹が業務上過失致死で起訴されました。裁判では、事故の責任が自衛隊側か全日空側にあるのかが争… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 7月 1974 長距離トラック運転手殺害事件(S49.7.10) 昭和49年7月10日午前、宮城県気仙沼市港町の岸壁付近で、海面を漂うロープで縛られたシートが発見され、その中から遺体が確認された。この遺体は北海道恵庭市の男性で、札幌から群馬県へ乳牛を運搬中に殺害されたと判明した。同時に乳牛を積んだトラックも行方不明となっていた。 午後、宮城県警から手配を受けた岩手… 続きを読む
l全県 31 5月 1974 国民春闘の岩手県内の状況(S49.5.31) 1974年に行われた「国民春闘」は、賃上げ要求や労働時間短縮、インフレ抑制を中心に大規模な労働争議が全国で展開されたものです。この春闘には約930万人の労働者が参加し、労働組合の80%がこの時期に賃上げ交渉を行いました。春闘共闘委員会は「国民的要求を前面に出す」として「悪性インフレ阻止」をスローガン… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 4月 1974 田野畑〜普代にシーサイドライン開通(S49.4.1) 昭和49年4月1日、岩手県下閉伊郡田野畑村明戸と普代村太田名部を結ぶ観光有料道路「シーサイドライン」が開通し、同月25日には千田知事らが出席して盛大な開通式が行われた。この道路は、田野畑村北山崎から普代村までの男性的で荒々しい断崖の海岸美を生かし、観光ルートとして整備されたもので、県内では八幡平、小… 続きを読む
l全県 31 3月 1974 旱魃や豪雪で農作物に被害(S49.3.31) 昭和48年6月下旬から始まった干ばつは、岩手県に大きな被害をもたらした。農作物の被害面積は約4万9800ヘクタール、被害額は約69億6000万円と見積もられ、水稲、牧草、野菜などが特に影響を受けた。被害率はホップが55.3%、牧草47.6%、野菜43.1%と高く、水稲の被害額は約29億7200万円に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 3月 1974 県民会館で県民による「第九」演奏会(S49.3.2) 昭和49年3月2日夜、盛岡市の県民会館大ホールで、県民オーケストラと一般公募の「第九を歌う会」によるベートーベン「第九」の演奏会が開かれた。会場は満席となり、合唱団260人、オーケストラ90人による迫力ある演奏は、聴衆に深い感動を与え、「音楽を聴いて初めて涙が出た」といった声も聞かれた。 県民オーケ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 2月 1974 都南週末処理場問題(S49.2.11) 盛岡地区広域下水道事業の終末処理場建設は、紫波郡都南村東見前地区に計画されていたが、地権者の強い反対により用地取得が困難となっていた。処理場の建設予定地は、肥沃な農地であり、地権者たちは農業経営の破綻や生活基盤の喪失、地域発展の妨げなどを懸念し、強硬に反対していた。地権者たちは「終末処理場建設反対見… 続きを読む
b経済・産業 1 2月 1974 県に「物価Gメン」発足(S49.2.1) 昭和48年10月17日、中東戦争を契機にアラブ産油国が原油生産制限と輸出削減を決定し、日本は友好国と見なされず25%の削減を通告されました。石油に大きく依存していた日本経済は混乱に陥り、家庭や産業で灯油やガソリン、石油化学製品の不足が深刻化しました。昭和49年1月16日には電力使用制限が発動され、公… 続きを読む
l全県 31 12月 1973 県内の交通事故死者数が過去最悪に(S48.12.31) 昭和48年、県内の交通事故による死者数が219人と過去最悪を記録し、10年前の倍以上に達した。全国では事故件数や死者数が減少傾向にある中、県内では増加が続き、全国でも4番目の増加幅となった。この状況を受け、県警は「100日作戦」や「交通死亡事故半減非常体制」を展開し、交通規制の強化や安全啓発運動を推… 続きを読む
m県外・参考 17 10月 1973 東北新幹線盛岡以北が八戸ルートに決定(S48.10.17) 東北新幹線は昭和52年春の開業を目指して建設が進められていたが、政府の総需要抑制策や埼玉県大宮市以南の住民の反対により、開業が1年延期される可能性が高まっていた。国鉄の藤井総裁は、大宮以南の住民が早期に同意すれば昭和52年開業も可能と述べたが、住民側は高架方式に強く反対し、国鉄に計画の白紙撤回を求め… 続きを読む