e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 22日 1957 釜石では北洋サケマス独航船が出港したり製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人殺したり(S32.4.22岩手日報) 釜石港では北洋サケマス独航船が盛大な見送りと共に出港した。 そうかと思えば釜石製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人を死なせるなど。 釜石とはそんな場所だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 19日 1957 北上で頑張る美容師の卵(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 仕事をがんばっている若者に特化した囲み記事で、北上で頑張る美容師の卵について取材している。 和賀町の中学校を卒業して、花巻の理容美容学校を卒業し、北上の床屋でがんばっているのだと言う。 … 続きを読む
l全県 4月 19日 1957 ゴールデンウィークに天文ショー3つ(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 ゴールデンウィークには、天文ショーが3件予定されていたと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1957 盛岡で梅に続いて桜の開花(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 盛岡市北山の清養院では、17日の梅の開花に引き続き、18日には桜が咲いたと言う。 これは、いつもよりは4日ぐらい遅いのだそうだ。 ただし、気象庁のホームページによれば、今年の盛岡の桜の開花は4月27日と言うことになっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 3日 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 2日 1957 「八甲田山死の行軍」生き残りの水沢の男性が78歳で死去(昭和32年4月2日) 昭和32年4月2日の岩手日報より。 「八甲田山死の行軍」を、両足切断しながら生き残った水沢の男性が、78歳で肺炎で死去したという。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 2日 1957 花巻の山奥で高村光太郎の一周忌を偲ぶ(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 高村光太郎は、晩年を花巻市太田山口で過ごしていたが、昭和31年4月2日になくなる。 それで、地元住民は、高村桜を偲ぶ集まりをしていた。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 1日 1957 二戸郡浪打村の鳥越小学校に県内6人目の女性校長(S32.4.1岩手日報) 二戸郡浪打村(後の一戸町)の鳥越小学校に県内6番目の女性校長。 この当時、鳥越小には241人の児童がいたという。 2017年に閉校した時には16人であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 13日 1957 盛岡電話局は8月には自動化へ(S32.2.13河北新報) 当時の盛岡の電話は共電式であったが、自動電話化の工事が進んでいた。 盛岡電話局の局舎も新しくなり、8月にはそれが完成する見込みであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1957 部活勧誘を拒否した1年生に暴力沙汰(昭和32年1月16日) 昭和32年1月16日の岩手日報より。 盛岡一高で、ラグビー部やスケート部への勧誘を拒否した1年生に暴力を振るうという事件が発生し、警察沙汰となった。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 8日 1957 新里村ではラワン材を6万石輸入へ(昭和32年1月8日) 昭和32年1月8日の河北新報より。 新里村の主産業は林業であるが、ベニヤ板の製造に、ラワン材をフィリピンや台湾から輸入するのだという。 それで、宮古港に水揚げされた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 5日 1957 釜石の人が独特な漢字を考案(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報より。 釜石の人が、独特な漢字を考案した。 しかし、例で見る限りではまるで地図記号だ。… 続きを読む
hスポーツ 1月 4日 1957 一関はバトミントンラケットの主要な生産地(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報より。 一関は、須川岳のブナ材によるバトミントンラケットの生産が盛んだったようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 3日 1957 川村松助北海道開発庁長官がお国入り(S32.1.3河北新報岩手版) 石橋内閣で北海道開発庁長官に任命された岩手県選出の川村松助がお国入りし。盛岡駅で万歳三唱した。 ちなみに、当時の盛岡の2大デパートであった「川徳」「松屋」の創業者は兄弟で、松屋の「松」は川村松助の松。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 25日 1956 高校野球春の布陣(沼宮内高校・橘高校)(S31.4.25岩手日報) 春の高校野球県大会に挑むチーム紹介。 今回は沼宮内高校と橘高校。 橘高校とは令和6年現在の江南義塾盛岡高校。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 24日 1956 八甲田山死の行軍の生き残りの大工が厚生大臣表彰(S31.4.24岩手日報) 明治35年の「八甲田山死の行軍」で吹雪に見舞われながらも、両手の指と両足を失いながらも生き残った大工が厚生大臣表彰されることになったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1956 盛岡の2大デパートの広告の定位置(S31.4.23岩手日報) 当時の盛岡の2大デパートは川徳と松屋であったが。岩手日報における広告の位置は決まっていた。 この時は松屋が大処分市、川徳がさくらまつりで大売り出し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1956 IBC歌うこども大会は大盛況(S31.4.23岩手日報) 4月22日に岩手県公会堂で行われた、「IBC歌うこども大会」は大盛況だったようだ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 23日 1956 北洋サケ・マス独航船が釜石や宮古を出発(S31.4.23岩手日報) この時期、ソ連が北洋漁業に関して制限を設けるなど、北洋漁業は緊迫した情勢になっていた。 そのような中を、釜石港や宮古港からサケ・マスの独航船が次々と悲壮な覚悟で出発をしていった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 23日 1956 県内各地でお花見ムード(S31.4.23岩手日報) 県内各地では花見ムードとなった。 盛岡では桜の名所・高松の池でお花見、一関では桜まつりが開催された。 … 続きを読む
m県外・参考 4月 23日 1956 北朝鮮からの帰国船「こじま」舞鶴港に到着(S31.4.23岩手日報) 戦争が終わって11年、大陸からの帰国者はまだ全て帰還できたわけではなかった。 北朝鮮からの帰国船「こじま」が舞鶴に到着し、それぞれの故郷に旅立っていったというニュース。 ここには、岩手県関係者がいるかどうかは書いていない。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 21日 1956 県内の漁港からカムチャッカへの北洋独航船出発(S31.4.21岩手日報) 日ソ漁業交渉の方向性がわからない時期であったが、カムチャッカの沖合へ北洋独航船が県内の漁港からも出発。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 21日 1956 盛岡・国民劇場で「オズの魔法使」「ロメオとジュリエット物語」上映(S31.4.21岩手日報) 「洋画の国劇」として知られた盛岡・紺屋町の国民劇場では「オズの魔法使」「ロメオとジュリエット物語」を上映するという。 「今日か明日必ずお母さんに連れていってもらいましょうね」といったあたりが、当時の映画がどのような位置付けだったかというのが見てとれる。 … 続きを読む