c久慈・九戸郡 2 2月 1956 久慈や八戸の行商は新しいディーゼルカーに統制して乗りましょう(S31.2.2デーリー東北) 昭和31年3月から、八戸線には新しいディーゼルカーが導入されることとなった。 これは10系気動車であるが、称号規程改正以前なので「四五〇〇〇型」となっている。 それで、行商組合では「統制して乗車しましょう」と取り決めたのであった。… 続きを読む
l全県 1 2月 1956 木炭は減産で高値続く(S31.2.1デーリー東北) 木炭は収穫の減少もあり減産で、高値が続いていたようだ。 デーリー東北であるが盛岡市場の市況も書いているので。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 29 1月 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
l全県 23 1月 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 23 1月 1956 国土開発調整費の対象は北上地域が有力(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 当時の経済企画庁の国土開発調整費の予算案が示され、その対象として北上川流域地域が有力ではないかというニュース。 このほかに、1万円札がお目見え、軽米の葉タバコのニュースなども。… 続きを読む
l全県 27 11月 1955 県内では高校進学率に偏り(S30.11.27岩手日報) 岩手県高校教員組合が行った定時制高校の実態調査の中間報告によると、県内の定時制教育は全国平均と比べて財政面などで後進的であることが明らかになった。県では定時制高校の統廃合が進められていたが、高教祖はこれを教育の発展ではなく破壊と捉え、現場の教員の手で勤労青少年対策を築こうとしていた。盛岡や穀倉地帯で… 続きを読む
l全県 3 11月 1955 森永ヒ素ミルク事件の発覚当初の広告(S30.11.3岩手日報) 森永乳業の牛乳を飲んだ赤ちゃんに異常が出始めた頃。 まだ会社側が政府とグルになって被害者を押さえ込んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡・丸正が増築開店(S30.11.2岩手日報) 盛岡の衣料品デパートである丸正が増築開店との広告。 「トンコ節」「初恋ヤットン娘」の久保幸江のサイン会もあったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 21 9月 1954 二戸郡福岡町は「福岡市」になれず(昭和29年9月21日) 昭和29年9月21日の岩手日報より。 上閉伊郡遠野町や気仙郡高田町が次々と市勢を決めていく中、二戸郡福岡町も、周辺の爾薩体村や金田一村を合併して「福岡市」になろうと頑張っていたが、金田一村が市制協議会から脱退してしまい、それが不可能となってしまった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 9月 1954 岩手県で11番目の市名は「陸前高田」と決まる(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 昭和の大合併で、県内の各町村が市に昇格していたが、その11番目は気仙郡高田町が「陸前高田市」になるものであった。 … 続きを読む
l全県 18 9月 1954 台風14号にサンマ漁船は戦々恐々(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 太平洋の沖合にある台風14号が東日本にも接近しそうだと言うことで、サンマ漁船は戦々恐々としていた。 ちなみに、この次の台風15号は「洞爺丸台風」となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 16 9月 1954 東洋一の威容を誇る田瀬ダムが貯水開始(S29.9.16岩手日報) 県の総合開発の目玉となっていた田瀬ダムが谷内村(のちの東和町)に完成、貯水を開始した。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 9月 1954 水害記念日を迎える一関(S29.9.15岩手日報) 一関では昭和22年9月15日にキャサリン台風が、翌昭和23年9月16日にはアイオン台風が襲来した。 その慰霊祭が磐井川で挙行されようとしていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 15 9月 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 9月 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1954 ビキニ「死の灰」で宮古でも原水禁運動(S29.9.1岩手日報) 3月1日のビキニ環礁の「死の灰」は日本社会にショックをもって伝えられた。 この時点で、久保山愛吉さんはご存命中で、危篤が伝えられる状況であった。 そのような中、宮古でも原水禁運動が繰り広げられた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 8月 1954 北福岡駅〜斗米村〜田子町に国鉄バス開業(S29.8.1岩手日報) 8月1日から、国鉄バスの北福岡駅から斗米村と青森県境を越えて田子まで国鉄バスが開業したようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 8月 1954 戦時中にヤギの乳を飲ませてやった老人は高村光太郎その人だった(S29.8.1岩手日報) この当時、終戦から10年が経とうとしていた。 終戦ごろ、飢えた老人がいたので、ヤギの乳を飲ませてやったところ、詩をもらったのだが、それは高村光太郎その人であったという話。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 8月 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
m県外・参考 25 7月 1954 お盆の餅用に近くシャム米が到着(S29.7.25岩手日報) テキサス米には危険な朝鮮朝顔の種が入っていた。 お盆の餅用に近くシャムの米が到着する。 全てが時代を物語る。… 続きを読む