備考※3a-2

観光岩手の誇り10傑(昭和24年7月12日) l全県

観光岩手の誇り10傑(昭和24年7月12日)

昭和24年7月12日の岩手新報より。 「観光岩手の誇り十勝」ということで読投票で選ぶ観光地は右の通りだった。 「釜石海洋名称地帯」とは現在の三陸海岸であると思うが、北山崎以上に釜石だったらしい。        …
盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日)

昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。  …
盛岡中劇で「地下街の弾痕」公開(S24.5.8新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡中劇で「地下街の弾痕」公開(S24.5.8新岩手日報)

盛岡中劇で「地下街の弾痕」を翌日(S24.5.9)に公開するという。 「地下街の弾痕」は、昭和24年5月2日に初公開の大映作品で、「大映京都が国家警察大阪管区本部の指導を受けて制作する密輸団検挙に活躍する警官隊の労苦をえがいた映画」なのだそうだ。 出演は二本柳寛・京マチ子・志村喬など。  …
西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報) i一関・西磐井郡

西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報)

西磐井郡金沢村の金沢小・中学校は全焼してしまったので「青空教室」に。 ところで、昭和の大合併まで岩手県には「金沢村」が2つあり、この西磐井郡金沢(かざわ)村(のちに花泉町となり現在は一関市)と、上閉伊郡金沢(かねざわ)村(現在は大槌町)があった。  …
新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日)

昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &…
岩手山遭難の盛高生の遺体発見(昭和24年5月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手山遭難の盛高生の遺体発見(昭和24年5月3日)

昭和24年5月3日の新岩手日報より。 岩手山に登り遭難死した盛岡高校生の死体が収容された。 当時は、死体画像でも平気で掲載していたようである。 また、盛岡高校は旧制盛岡中学・盛岡高女・盛岡商業の3校が統合して発足したが、程なくして盛岡一高・盛岡二高・盛岡商業に分離している。    …
金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日) b二戸・二戸郡

金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日)

昭和24年5月3日の新岩手日報より。 青森県の新郷村から岩手県の二戸郡にかけて、盆踊りで「ナニャドヤラ」(新聞の文中では「ニヤニヤトヤラー」)が歌われるが、これはヘブライ語由来ではなく、方言が添加したものであると言う金田一京助の学説を紹介した。  …