b二戸・二戸郡 1 5月 1936 田山セツルメント生活日誌(S11.5.1岩手日報) 盛岡友の会による田山セツルメントの生活日誌であるという。 「盛岡友の会」は確か現在の盛岡スコーレ高校を経営している向中野学園と何か関係があったような・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 4月 1935 盛岡の銀座・肴町一丁目商店街(S10.4.14岩手日報) 広告弾には大々的に肴町1丁目商店街の宣伝をしている。 令和6年現在でもあるのは川徳・村源・平金・東山堂ぐらい?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 4月 1935 凶作に恵まれて?女の失対事業花盛り(S10.4.13岩手日報) 昭和9年は史上稀見る凶作の年だった。 そのせいでか、県内に84ヶ所の農村主婦向けの授産場ができたという。 盛岡市内の浄土宗の寺に設けられた軍服の修繕工場もその1つ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡・松屋デパートが少年店員募集(S10.3.3岩手日報) 盛岡の松屋デパートでは少年店員を募集していた。 15歳以上ということであったが、松屋デパートが閉店した昭和40年代には40代。 その閉店を見届けたこの時の少年店員もいたのだろうか。 … 続きを読む
l全県 3 3月 1935 事変従軍徽章は県内3000名(S10.3.3岩手日報) 「今次事変の従軍者」・・・とあるが、この時点の「事変」とは、昭和6〜7年の満州事変だろうか。 ともかくもその事変に従軍したのが岩手県内では3000名であるとのことで、その徽章が届いたと言うニュース。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 3月 1935 サンパウロに「愛宕村」を作りたい(S10.3.2岩手日報) 江刺郡愛宕村からブラジルへは、50家族150人余りが移住していたが、「サンパウロに愛宕村を作りたい」と意気盛んであった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1935 騎兵第三旅団が花巻から繋温泉まで雪中行軍(S10.3.11岩手日報) 観武ヶ原を衛戍地とする騎兵第三旅団は、花巻で演習をしていたが、そこから御所村の繋温泉まで雪中行軍をするようにしたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1934 祝・岩手日報社釜石支局新築(S9.9.5岩手日報) 岩手日報社の釜石支局が新築したという記事。 かつての岩手日報の社章も出ているが、これは旧岩手日報社で、現在の岩手日報の系統とは少し違う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1934 陸の覇者は下ノ橋、水の王者は城南…?(S9.9.3岩手日報) 盛岡市青年団連合競技会が行われ、陸上の部は下ノ橋、水泳の王者は城南であったという。 盛岡の人だと直感的に「下橋だったら中学校だし、城南だったら小学校じゃね?」という感じがするが、これはあくまで青年団の単位であるという。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1934 祝・細浦〜大船渡間開通(S9.9.3岩手日報) 大船渡線の細浦〜大船渡間が開通した記事。 「三陸の宝庫開かれん」と喜びをあらわにしている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1934 与の字橋際のカフェーの名物女の急死(S9.9.2岩手日報) 盛岡市紺屋町の、与の字橋際のカフェーの名物マダムは、岩手病院に入院して1日で脳膜炎で亡くなったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1934 雫石川改修は進み沢田橋も着工(S9.9.2岩手日報) この時期、「暴れ川」である雫石川の改修工事で大田村や本宮村は水害を免れることができた。 そして、東北一のコンクリート橋である沢田橋も着工し建設途上だった。 沢田橋とは現在の太田橋のこと。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 2 9月 1934 和賀川下流で流木を拾った住民が次々検挙(S9.9.2岩手日報) 和賀川に洪水があって木が流れ出し、その流木を沿岸の藤根・江釣子などの住民が拾って黒沢尻警察署に次々と検挙というニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) この当時、米を東京方面に運び出すとすれば、ほぼ100%は鉄道による輸送だったので、その土地貯蔵のための倉庫は各駅前に置かれた。 矢幅駅前に、県内一の大きな倉庫が建てられたのだと言う。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1934 徴兵検査の攻守合格は下閉伊郡が1位(S9.9.1岩手日報) この年の徴兵検査は、下閉伊郡の甲種合格が36.99%で最も多かったのだという。 前年のトップは東磐井郡で28.13%であったという。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 11月 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) この時期の遠洋漁業の発展に、県内唯一の水産学校であった宮古水産学校の同窓会「二八会」も助力することを誓う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 先般、東北医学大会でリンゴ食療法を提唱した岩手医専の教授は、岩手日報の取材に応じ「おろしがねですりおろして食べれば下痢に効果がある」と主張した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 八戸の男が盛岡や宮古で詐欺行脚(S8.11.1岩手日報) 八戸の男が岩手県内でこんなことをやらかした。 宮古で3円の宿代を踏み倒し、 盛岡で食い逃げ、 盛岡の別の料理店で「女中を世話してやる」と手付金30円を持ち逃げ、 盛岡市内の36歳離婚女性に「一緒になれば宮古で漁業をする」と結婚を約束するも、宮古で売られそうになっていることを察知し逃げられ、 宮古で「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年3月1日、日中戦争で山海関の戦いがあったが、本県出身の将兵も戦いに参加していた。 戦死した兵士は新聞に名前が載り、負傷兵は新聞の取材を受けていた。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 2月 1933 三陸汽船が月3回の東京〜八戸航路を計画中(S8.2.1岩手日報) まだ山田線が開業していない頃、三陸汽船は三陸沿岸の貴重な足で、塩釜〜宮古(毎日)や、宮古〜東京(月1回)航路を運行していた。 そこへ、月3回の東京〜八戸航路を計画中であるというニュース。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 一関小学校の児童の家庭で最も多い楽器を調べたら、三味線とハーモニカであったという。… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 仙台・藤崎の増築完成大売り出し(S7.11.1岩手日報) 岩手日報でも、仙台・藤崎デパートの増築完成大売り出しが宣伝された。 また、当時の藤崎の店舗案内が出ており興味深い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 公会堂の松屋デー(S7.11.1岩手日報) 岩手県公会堂で松屋デーとして特売会をやるという記事。 ところで、一面が広告になってる時代もあったようだ。 … 続きを読む