h水沢・江刺・胆沢郡 1月 26日 1962 江刺市商工会が商工会議所に昇格確実(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市商工会は、商工会議所に昇格するのが確実視されていた。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市で社会党の北山愛郎議員、千田正議員を読んで講演会をしたという。 ただ「農家は共同化が必要」「資本主義から社会主義へ」と、令和の現代では考えられないような発言。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 8日 1962 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工(S37.1.8岩手日報) 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工するという、「水産釜石」と「農業遠野」を結ぶ試みが行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1962 沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話が即時化(S37.1.7岩手日報) 電電公社岩手電気通信部では、沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話を即時化するという。 つまりダイヤル化されるということ。… 続きを読む
l全県 1月 5日 1962 中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日) 昭和37年1月5日の岩手日報より。 この当時…というか平成になっても続いていたのだが、高校入試で「中学浪人」が問題になっていた。 それで、高校全入運動を岩教祖が展開することになった。 ちなみに、岩手中央ゼミナールから「高校受験科」が廃止されるのは、平成20年(2008年)のことであった。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1962 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 盛岡鉄道管理局は、八幡平から東京に直通する列車や、陸中海岸国立公園と十和田湖を結ぶ観光列車を計画しているという。… 続きを読む
l全県 1月 4日 1962 農村を明るくしたテレビ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報より。 昭和33年に岩手県内でもテレビは本放送を開始して、農村にもテレビが普及するようになっていた。 その結果、生活が明るくなり、陰口なども減ったのだと言う。 … 続きを読む
l全県 1月 1日 1962 新産業都市の指定に向けてスタートの1年(昭和37年1月1日) 昭和37年1月1日の岩手日報より。 この年は、「新産業都市」えの指定に向けて、動き出そうとしていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1962 岩手日報社の新社屋は2月に着工します(S37.1.1岩手日報) 岩手日報社の社屋は、前年に火災で焼けていた。 しかし、新社屋が内丸に計画され、2月には着工するということで意気が上がっていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 5日 1961 水沢一高の隻腕投手(昭和41年5月5日) 昭和41年5月5日の岩手東海新聞より。 釜石で行われた県選抜高校野球大会では、水沢一高から隻腕投手が出て活躍したという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 27日 1961 釜石港も真冬に逆戻り(S36.3.27岩手東海新聞) この時期、春の陽気だったのが一転して3月27日には雪が降ったという。 日本の東海上には低気圧が発達していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 24日 1961 釜石の橋上マーケットがいよいよいよいよ3周年(S36.3.24岩手東海新聞) 昭和33年4月1日にオープンした釜石の橋上市場も、3周年を迎えるという記事。 当時は「橋上マーケット」と呼んでいたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1961 岩手にも国内最高齢者がいた(S36.1.1岩手東海新聞) 岩手県にも国内最高齢者はいた。 それが釜石市の中村重兵衛氏で、嘉永5年(1852年)生まれで、この年108歳であったという。 ちなみにこの時点では国内最高齢ではなく、国内最高齢であったのは昭和39年〜昭和44年のこと。 それでも男性としては国内最高齢であっただけに、長寿の秘訣などをインタビューされて… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1961 釜石にも進学専門の強力高校を!(S36.1.1岩手東海新聞) 昭和36年を迎え、釜石市内の児童・生徒たちが座談会を開いている。 やはり当時からも受験というのは重いテーマだったようだ。 県都・盛岡にある盛岡一高は「予備校化」と評価されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 23日 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 23日 1960 釜石高校は県内一の老朽校舎(S35.9.23岩手東海新聞) 釜石高校の校舎は戦時中に建てられ、県内一の老朽校舎であったという。 それで高校を2つにしてはどうかという案も浮上していた。 (結局、その後釜石北高が開港するわけだが)… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 釜石・錦館で「南海の狼火」「男対男」を上映(S35.9.22岩手東海新聞) 釜石・錦館では「南海の狼火」「男対男」を公開する。 「南海の狼火」は昭和35年9月3日公開の日活作品。 出演は小林旭・宍戸錠・浅丘ルリ子・堀恭子など。 「男対男」は昭和35年8月14日初公開の東宝作品。 出演は三船敏郎・池部良・志村喬・加山雄三・白川由美など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 ポリオ禍は釜石にも(S35.9.22岩手東海新聞) 昭和35年は全国的にポリオで子供たちが苦しんだ年であった。 釜石でもその惨状を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む