備考※3a-2AI

釜石国際劇場で「東映こどもまつり」と思いきや…?(S42.3.29岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石国際劇場で「東映こどもまつり」と思いきや…?(S42.3.29岩手東海新聞)

昭和42年3月29日付の岩手東海新聞に掲載された釜石国際劇場の広告は、当時の地方における映画興行の有り様を雄弁に物語る非常に興味深い資料です。 Screenshot 春休み真っ只中の番組として組まれたのは、松方弘樹主演の黄金の盗賊と怪竜大決戦、さらに黄金バットという豪華な3本立てです。しかし、当時の…
釜石線が完全ディーゼル化(S42.3.20岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石線が完全ディーゼル化(S42.3.20岩手東海新聞)

昭和42年3月20日の岩手東海新聞は、釜石線がこの日を期して完全に無煙化されたことを報じています。 Screenshot 釜石駅の2番ホームでは、午前9時20分の第1号列車の出発式が行われ、駅長や機関区長ら関係者約50人が集まりました。岩下釜石駅長が紅白のテープを引いて待機し、汽笛を合図に花巻行きの…
皆様の及新デパート展望ホールをご利用ください!(S42.1.11岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

皆様の及新デパート展望ホールをご利用ください!(S42.1.11岩手東海新聞)

昭和42年1月11日の岩手日報に掲載された、釜石の百貨店「及新」の広告を眺めていると、当時の街の熱気が紙面から伝わってくるようです。新年会やクラス会の案内が躍るこの広告は、かつて釜石最大のデパートとして君臨した及新が、市民にとって単なる買い物の場以上の存在だったことを物語っています。和食から洋食、さ…
千葉・愛媛・大分の回来突棒船団が釜石港を撤収(S41.11.9岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

千葉・愛媛・大分の回来突棒船団が釜石港を撤収(S41.11.9岩手東海新聞)

昭和41年11月9日の岩手東海新聞には、釜石港のにぎわいを象徴するような記事が載っていました。6月以降、釜石港を拠点に操業してきた千葉・愛媛・大分各地の「回来突棒船団」がシーズンを終えて撤収し、釜石漁協がその働きをねぎらって金一封を贈ったという内容です。 Screenshot 突棒漁はカジキ類を狙う…
宮古港・釜石港は豊漁(S41.11.8岩手東海新聞) d宮古・下閉伊郡

宮古港・釜石港は豊漁(S41.11.8岩手東海新聞)

昭和41年11月8日の岩手東海新聞には、「今年は本当に豊漁だ」という空気が紙面全体から伝わってきます。宮古と釜石、それぞれの魚市場の勢いを生き生きと報じていました。 Screenshot 宮古魚市場では、10月の水揚げ量が 12,227トン に達し、前年同月の 8,375トン を大きく上回りました。…
最も安い燃料費で最大の能率の粉炭ストーブで!(S41.11.3岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

最も安い燃料費で最大の能率の粉炭ストーブで!(S41.11.3岩手東海新聞)

昭和41年11月3日、岩手東海新聞の紙面を飾った一枚の広告があります。それは釜石市大渡町の昆野商店が掲載した「イナドメ式粉炭ストーブ」の販売広告です。当時の冬の暮らしを支えた熱源の姿が、細かなキャッチコピーとともに克明に記されています。 広告の主役である粉炭ストーブは、最も安い燃料費で最大の能率を実…
向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(S41.1.12岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(S41.1.12岩手日報)

昭和41年1月12日の岩手日報に掲載された、向中野学園高等学校の生徒募集広告から当時の様子を振り返ります。この記事からは、現在の盛岡スコーレ高校へと続く教育の歩みと、高度経済成長期にあった岩手の社会背景が鮮明に浮かび上がってきます。 広告の紙面で最も目を引くのは、新年より保育科を新設したという力強い…
岩手プリンス自動車の中古車在庫情報(S41.1.12岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手プリンス自動車の中古車在庫情報(S41.1.12岩手日報)

昭和41年1月12日の岩手日報に掲載された岩手プリンス自動車株式会社の広告は、当時の地方におけるモータリゼーションの熱気と、今はなき自動車メーカーの息遣いを今に伝える貴重な史料です。 この広告が掲載された1966年は、日本の自動車史において極めて重要な年でした。というのも、技術力に定評のあったプリン…
岩手日報の編集局長が見たベトナム戦争(S41.1.11岩手日報) m県外・参考

岩手日報の編集局長が見たベトナム戦争(S41.1.11岩手日報)

1966年、ベトナム戦争が激しさを増す中で、岩手日報の渡辺編集局長が自ら現地でカメラに収めた光景が当時の紙面に生々しく記録されています。そこには戦時下の残酷な現実と、その傍らでたくましく生きる人々の日常が同居していました。 紙面の中で最も痛々しいのは、サイゴン市内の病院で治療を受ける二人の少年の姿で…
盛岡の南大通に弘前相互銀行の支店が開店(S40.10.18岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の南大通に弘前相互銀行の支店が開店(S40.10.18岩手日報)

昭和40年10月21日の岩手日報に掲載された広告によれば、弘前相互銀行(現在のみちのく銀行)は、盛岡市に新たな支店「南大通支店」を開設し、10月18日より営業を開始したという。 弘前相互銀行は、もともと「弘前無尽」として設立され、戦後に相互銀行へと移行。地元青森県だけでなく、岩手県内でも積極的に支店…
釜石選出の3県議が語る未来予想図(S40.1.1岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石選出の3県議が語る未来予想図(S40.1.1岩手東海新聞)

昭和40年1月1日付の岩手東海新聞に掲載された新春座談会は、当時の釜石が抱えていた熱気と課題を鮮明に映し出しています。出席者は社会党の栗沢勇治氏、自民党の川端広平氏、そして同じく社会党の菊池伝助氏という、当時の釜石選出の岩手県議会議員三名です。この顔合わせは、党派を超えて釜石の未来をいかに切り拓くか…
昭和40年元旦の抱負(S40.1.1岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

昭和40年元旦の抱負(S40.1.1岩手東海新聞)

昭和40年の元旦、岩手東海新聞の紙面を飾ったのは1965年希望の鼓動という力強い言葉と火花散る工場の熱気でした。一面のトップを飾るこの写真は釜石製鉄所の作業風景であり、まさに鉄の街の新聞である岩手東海新聞らしさが鮮明に表れています。この頃、岩手沿岸部が抱いていた壮大なビジョンが三陸ベルト地帯構想です…
釜石で岩礁を爆破して昆布やワカメの養殖(S39.9.12岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で岩礁を爆破して昆布やワカメの養殖(S39.9.12岩手東海新聞)

昭和39年9月12日の『岩手東海新聞』によると、釜石市の白浜漁協では思い切った新漁法の実験が行われたという。 Screenshot その方法は、なんと岩礁を爆破して海底地形を変え、そこに昆布やワカメを付着させて養殖を行うというものだった。 当時の白浜は、波が荒く岩礁地帯が多い海岸として知られていた。…
釜石にいた長寿日本一「長生きはいいもんだなす」(S39.9.11岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石にいた長寿日本一「長生きはいいもんだなす」(S39.9.11岩手東海新聞)

昭和39年(1964)9月11日の岩手東海新聞には、当時「日本一の長寿者」として釜石市内の男性・中村翁(116歳)が紹介されています。嘉永6年(1853年)生まれ、まさに幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた人でした。 Screenshot 記事によると、中村翁の住む釜石市尾崎白浜地区は「長寿村」とし…
東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(S39.8.1岩手日報) l全県

東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(S39.8.1岩手日報)

昭和39年8月1日の岩手日報に掲載されたこの広告は、東京オリンピック開幕を目前に控えた当時の熱狂と、技術革新への強い憧れを鮮烈に伝えています。紙面を大きく飾るのは、松下電器が世に送り出したナショナル人工頭脳テレビの宣伝です。現在私たちが耳にする人工知能、すなわちAIという言葉とは趣が異なりますが、当…
盛岡の川徳が成人式セール(S39.1.11岩手東海新聞) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の川徳が成人式セール(S39.1.11岩手東海新聞)

昭和39年1月11日の岩手東海新聞に掲載された川徳の全面広告は、当時の岩手県における経済地図を如実に物語っています。岩手東海新聞は釜石を中心とした沿岸南部を地盤とする地方紙であり、県都・盛岡にある川徳が、一関の岩手日日新聞や水沢の胆江日日新聞ではなく、あえてこの紙面にこれほど大きな広告を打った事実に…
釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(S39.1.11岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(S39.1.11岩手東海新聞)

昭和39年1月11日の岩手東海新聞は、釜石郵便局が直面した異例の正月風景を伝えています。当時の日本は高度経済成長の真っ只中にありましたが、郵政現場では全逓による非常に戦闘的な超勤拒否闘争が繰り広げられていました。この実力行使は年末から全国的に波及し、一時は小包の受け付け制限を余儀なくされるほど郵便物…
釜石・錦館では「暁の合唱」「関東無宿」「見上げてごらん夜の星を」の三本立て(S39.1.8岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・錦館では「暁の合唱」「関東無宿」「見上げてごらん夜の星を」の三本立て(S39.1.8岩手東海新聞)

昭和39年1月8日の岩手東海新聞を開くと、当時の釜石・錦館がいかに活気に満ちていたかを物語る映画広告が目に飛び込んできます。1月9日から14日にかけて上映されていたのは、楽しさを満載した豪華3本立という贅沢なラインナップでした。当時の娯楽の王様であった映画の勢いを感じさせるこの紙面には、今では伝説と…
釜石国際劇場で「魚雷艇109」「ドノバン珊瑚礁」上映(S39.1.7岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石国際劇場で「魚雷艇109」「ドノバン珊瑚礁」上映(S39.1.7岩手東海新聞)

昭和39年1月7日付の岩手東海新聞に掲載された、釜石国際劇場の宣伝広告を振り返ります。東京オリンピックを控えた1964年の幕開け、釜石の街で上映されていたのは、奇しくも時代のうねりを象徴するような洋画の2大巨編でした。 Screenshot 広告の左側を大きく飾るのは、ジョン・F・ケネディ大統領の若…
釜石専門店会の次郎長パレード(S38.7.1岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石専門店会の次郎長パレード(S38.7.1岩手東海新聞)

昭和38年7月1日付の岩手東海新聞を紐解くと、当時の釜石がいかに活気と遊び心に溢れた街だったかが鮮明に伝わってきます。中でも目を引くのは、前日の6月30日に行われた釜石専門店会による夏の売り出し宣伝パレードの記録です。 Screenshot このパレードは「次郎長一家罷り通る」と銘打たれたもので、驚…
釜石の市議会選挙を前に(S38.7.1岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の市議会選挙を前に(S38.7.1岩手東海新聞)

昭和38年7月1日発行の岩手東海新聞を紐解くと、そこには高度経済成長期の熱気に沸く釜石の生々しい人間模様が記録されています。この記事の主役は、当時の釜石の心臓部とも言える只越から港町にかけての界隈です。紙面を覆うのは市議選を目前に控えた異様な緊張感であり、記者はそれを争奪戦や戦いという言葉で表現して…
釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開(昭和37年10月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開(昭和37年10月17日)

昭和37年10月17日の岩手東海新聞には、当時の釜石・錦館で上映されていた豪華な映画興行の様子が克明に刻まれています。 まず広告の中央でひときわ目を引くのは、日活の至宝と謳われた芦川いづみが主演を務める「硝子のジョニー 野獣のように見えて」です。本作は、過酷な境遇に置かれながらも純真さを失わないヒロ…
釜石駅前で防犯展示会(S37.10.4岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石駅前で防犯展示会(S37.10.4岩手東海新聞)

昭和37年10月、釜石駅前では「防犯展示会」が開かれていた。 当時の新聞によると、会場には警察署や防犯協会などが協力して作成したパネルが並び、通行人が足を止めて見入っていたという。 Screenshot 昭和20年代の防犯展示といえば、実際の事件現場写真などが並び、かなり刺激の強い内容だったそうだ。…
大槌で大槌で牛のせり市(S37.10.3岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌で大槌で牛のせり市(S37.10.3岩手東海新聞)

大槌町では、秋の恒例となる牛のせり市が開かれた。会場は町方の家畜保健所前と、金沢地区の農協前の2ヶ所。 Screenshot この日、出陳された牛はオス・メス合わせて150頭(それぞれ75頭ずつ)。会場には県内はもとより、隣県・宮城からも多くの買参人が訪れ、その数はおよそ500人にのぼったという。 …
水沢市内の田圃から宋銭が大量に出土(S37.4.8胆江日日新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢市内の田圃から宋銭が大量に出土(S37.4.8胆江日日新聞)

昭和37年4月8日付の胆江日日新聞は、水沢市佐倉河で起きた思いがけない出来事を伝えている。 春の農作業として、水田の底土を低くする作業を進めていたところ、土の中から大量の古銭が見つかったという。 Screenshot 鍬を入れるたびに現れたのは、銅色にくすんだ古い銭貨だった。発見者は農家の人で、私的…
昭和36年度の水沢建設事務所管内の農地改良事業は3.6億円(S37.4.7胆江日日新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

昭和36年度の水沢建設事務所管内の農地改良事業は3.6億円(S37.4.7胆江日日新聞)

昭和37年4月7日付の胆江日日新聞は、建設省水沢建設事務所が昭和36年度の土地改良事業を取りまとめたことを報じている。記事の見出しが強調する通り、この年度は事業費・内容ともに、近年まれに見る規模であった。 Screenshot その背景にあったのが、戦後農地改革の結果として生じた農地の細分化である。…
江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日)

昭和37年1月26日付の岩手民声新聞を開くと、当時の江刺市にあった食品センター「水丹」の活気ある広告が目に飛び込んできます。2月をサービス月間と銘打ったその紙面で、何より目を引くのは「東邦のビスケットまつり」という大きな見出しです。 この東邦製菓は、かつて盛岡市の青山地区でビスケットを製造していた地…
江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(S37.1.12岩手民声新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(S37.1.12岩手民声新聞)

昭和37年1月12日に発行された岩手民声新聞の第1001号には、江刺市選挙管理委員会や同市婦連、同市労協の共催で江刺市役所の大ホールにて開催された国会報告演説会の詳細が克明に記録されています。会場には市労連や市青協などから約500人の市民が詰めかけ、ベルリン問題など緊張する世界情勢や、行き悩む日本経…
江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(S37.1.12岩手民声新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(S37.1.12岩手民声新聞)

昭和37年1月12日の岩手民声新聞を開くと、当時の江刺市の活気ある日常を切り取ったような、一枚の広告が目を引きます。鉄道が通っていない江刺市において、岩手県南バスのバスターミナルは単なる停留所ではなく、街の玄関口であり、人々の生活が交差するもっとも重要な拠点でした。 広告に掲載されているのは、そのタ…
岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(S37.1.12岩手民声新聞) h水沢・江刺・胆沢郡

岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(S37.1.12岩手民声新聞)

昭和37年1月の岩手民声新聞1000号記念号を読み解くと当時の地方メディアのあり方が鮮明に浮かび上がってきます。紙面中央に鎮座する岩手日報社からの祝賀広告は、一地方の週刊紙が県域紙からも一目置かれる存在であったことを物語っています。当時の岩手日報社長である宮福次郎氏らの名が並ぶその佇まいからは、言論…