e釜石・遠野・上閉伊郡 11 9月 1964 釜石にいた長寿日本一「長生きはいいもんだなす」(S39.9.11岩手東海新聞) 昭和39年(1964)9月11日の岩手東海新聞には、当時「日本一の長寿者」として釜石市内の男性・中村翁(116歳)が紹介されています。嘉永6年(1853年)生まれ、まさに幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた人でした。 Screenshot 記事によると、中村翁の住む釜石市尾崎白浜地区は「長寿村」とし… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 10月 1962 釜石駅前で防犯展示会(S37.10.4岩手東海新聞) 昭和37年10月、釜石駅前では「防犯展示会」が開かれていた。 当時の新聞によると、会場には警察署や防犯協会などが協力して作成したパネルが並び、通行人が足を止めて見入っていたという。 Screenshot 昭和20年代の防犯展示といえば、実際の事件現場写真などが並び、かなり刺激の強い内容だったそうだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 大槌で大槌で牛のせり市(S37.10.3岩手東海新聞) 大槌町では、秋の恒例となる牛のせり市が開かれた。会場は町方の家畜保健所前と、金沢地区の農協前の2ヶ所。 Screenshot この日、出陳された牛はオス・メス合わせて150頭(それぞれ75頭ずつ)。会場には県内はもとより、隣県・宮城からも多くの買参人が訪れ、その数はおよそ500人にのぼったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8 4月 1962 水沢市内の田圃から宋銭が大量に出土(S37.4.8胆江日日新聞) 昭和37年4月8日付の胆江日日新聞は、水沢市佐倉河で起きた思いがけない出来事を伝えている。 春の農作業として、水田の底土を低くする作業を進めていたところ、土の中から大量の古銭が見つかったという。 Screenshot 鍬を入れるたびに現れたのは、銅色にくすんだ古い銭貨だった。発見者は農家の人で、私的… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 4月 1962 昭和36年度の水沢建設事務所管内の農地改良事業は3.6億円(S37.4.7胆江日日新聞) 昭和37年4月7日付の胆江日日新聞は、建設省水沢建設事務所が昭和36年度の土地改良事業を取りまとめたことを報じている。記事の見出しが強調する通り、この年度は事業費・内容ともに、近年まれに見る規模であった。 Screenshot その背景にあったのが、戦後農地改革の結果として生じた農地の細分化である。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1961 大槌町金沢で乳牛の品評会(S36.10.2岩手東海新聞) 昭和36年10月2日付の岩手東海新聞は、大槌町金沢地区で開かれた家畜共進会(牛の品評会)の様子を伝えている。 Screenshot 会場となったのは、地区の小学校校庭。金沢地区では実に4年ぶりの開催だったという。現在は大槌町の一部となっているが、この金沢地区は昭和30年まで上閉伊郡金沢村として独立し… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1961 釜石の衣料品店「平尾昌晃ショーにご招待!」(S36.10.2岩手東海新聞) 昭和36年10月2日付『岩手東海新聞』の広告欄に、釜石の街が「映画館」と「デパート」と「流行歌」を同じ線で結んでいた時代の空気が、そのまま残っている。 Screenshot 釜石の衣料品デパート「ミカド」が告知しているのは、11月17日に錦館で開催される「平尾昌章とオールスターズ・ワゴン」ショーの招… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 9月 1960 釜石のキリスト教会でゴタゴタ(S35.9.27岩手東海新聞) 昭和35年9月27日付の『岩手東海新聞』によれば、釜石市大渡町にある日本基督教会・大渡教会で、教会運営をめぐる大きな混乱が生じているという。 この教会では、かつてはバプテスト派の牧師により、教会員による民主的な運営が行われていた。信者一人ひとりの信仰や意見が尊重される共同体として地域に根づいてきたの… 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 11月 1957 久慈に新たな市営病院を(S32.11.15デーリー東北) 昭和32年11月15日のデーリー東北は、久慈市が市直営病院の建設に本格的に乗り出したことを伝えている。10月の市議会で建設が正式に決まり、その後に行われた入札会では市内の建設会社が落札した。新しい病院は、市が所有している久慈県税事務所跡地に建てられることになった。 Screenshot 完成すれば、… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 11月 1957 久慈のアワビ入札は低調(S32.11.12デーリー東北) 久慈沿岸に冬の訪れを告げるアワビ解禁。これに合わせて九戸郡漁連が開いた久慈地区のアワビ入札会には、小袖・野田・玉川をはじめ10の漁協が参加し、会場は初荷らしい熱気に包まれた。 Screenshot しかし今年の相場は、関係者の予想とは裏腹に伸び悩んだ。 生鮑の入札価格は―― 最高 855円/貫、最低… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 3月 1956 久慈職安管内の大工賃金は450円→480円に(S31.3.1デーリー東北) 久慈職業安定所管内の大工賃金は1日450円であったところ、480円にベースアップすると。 Screenshot… 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 2月 1956 久慈の「魔の踏切」(S31.2.15デーリー東北) 久慈市内には飛び込みの多発する「魔の踏切」があったようだ。 そしてそこではまた飛び込みが発生。 それは久慈市内の主婦で、不倫を清算するつもりだったのではなかったと。 また、この3月から八戸線でダイヤ改正と。 Screenshot… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 昭和31年の元旦番組(S31.1.1河北新報岩手版) 昭和31年元日。岩手県内ではまだテレビ放送は始まっておらず、正月の一日はラジオとともにあった。現在のIBC岩手放送は当時「ラジオ岩手」と呼ばれ、新聞に載った番組表は、そのままその年の芸能界の現在地を映す一覧でもあった。放送時間の順に追っていくと、そこには意図のある流れがはっきりと見えてくる。 Scr… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 阿部知事・山本盛岡市長の年頭挨拶(S31.1.1河北新報岩手版) 昭和31年(1956年)1月1日付の河北新報岩手版には、新年を迎えるにあたっての岩手県知事および盛岡市長の信念挨拶が掲載されている。そこに並ぶ言葉は、華々しい成長宣言というよりも、戦後復興期を経た地方が直面していた現実と課題を率直に映し出すものだった。 阿部千一知事 ― 生活重視と財政再建を軸に 岩… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11 6月 1955 九戸地区の巡回映画(S30.6.11デーリー東北) 昭和三十年六月十一日のデーリー東北には、岩手県ゆかりの話題として「巡回映画」の予定が掲載されていた。今回の巡回は久慈を中心に行われるもので、六月十七日までは久慈市、十八日から二十日までは種市町、二十一日は大野村、二十二日から二十八日までは軽米町、二十九日は山形村と続く。上映される作品は、稲作をテーマ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 6月 1955 トマト・ナス・瓜はライ麦畑の間に(S30.6.10デーリー東北) 昭和30年6月10日のデーリー東北に、いかにも北東北らしい興味深い記事が載っていました。 舞台は軽米町にあった岩手県農業試験場九戸分場です。 Screenshot 当時の同分場では、トマト・ナス・ウリ類の苗をライ麦畑の中で育てるという栽培試験を行い、その成績が良好だったと発表しました。ポイントは、背… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 岩手県町村会館の竣工(S29.9.17岩手日報) 昭和29年9月17日付の岩手日報には、「岩手県町村会館 祝・新築落成」と大きく銘打たれた広告が掲載されている。紙面中央には、新しく完成した町村会館の堂々とした建物のイラストが描かれ、右側には祝賀式典の案内、左側には岩手県市長会の名簿が並ぶ、いかにも「節目」を意識した紙面構成だ。 Screenshot… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 東大通のバラック街をどうする?(S29.9.17岩手日報) 昭和29年9月17日付の岩手日報は、盛岡の中心部、岩手公園の「お膝元」で起きていた都市整備をめぐる対立を大きく伝えている。 現在の東大通り一帯、桜山神社の周辺は、戦後しばらくの間、引揚者たちによるバラック街が広がっていた場所だった。終戦直後の混乱期に生まれたこの市街地は、生活の場として定着する一方で… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一ノ関駅の夏の営業成績は旅客が低調、貨物が好調(S28.9.4岩手日日) 昭和28年の夏――戦後復興も本格化しつつあるこの時期、岩手県南の交通の要衝・一ノ関駅では、旅客数は前年より微増したものの、期待されたほどの賑わいには至らなかったようだ。 7月から8月にかけての乗降客数は以下の通りとなっていた: 7月 乗車:123,550人(前年115,127人) 降車:120,50… 続きを読む
hスポーツ 25 8月 1953 三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(S28.8.25岩手日日) 昭和の柔道界を代表する伝説の柔道家・三船久蔵十段が、実は少年時代に一関で暮らしていた――そんな事実が昭和28年、柔道の交流戦を前にして明らかになりました。 昭和28年8月30日、一関小学校で「岩手宮城対県柔道試合」が開催される予定でした。その審判長として招かれていたのが、講道館柔道十段という極めて高… 続きを読む
l全県 9 10月 1952 県内で「おせり」(馬市)盛ん(S27.10.9岩手日報) 昭和27年10月9日の岩手日報に掲載された写真記事は、まさに「馬とともに生きた岩手」の空気を閉じ込めた一枚でした。 いまではトラクターが当たり前になりましたが、戦後まもないこの時代、農家にとって馬はかけがえのない家族であり、働き手であり、暮らしを支える存在でした。 岩手と馬文化 岩手には古くから“馬… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員選挙:最後のお願い(S27.10.4岩手日報) 昭和27年の秋、岩手の町や村では教育委員の選挙が行われていた。 今では考えにくいが、当時は教育委員も公選制で、「先生を選ぶ人を選ぶ」時代である。翌日に投票を控え、候補者たちは「最後のお願い」に駆け回っていた。 Screenshot だがその光景は、いささかカオスだった。 ある村では、「誰が出るのか」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 10月 1952 盛岡公共職業安定所に集まる日雇い労働者(S27.10.4岩手日報) 昭和27年10月4日付の岩手日報には、「朝の生態」というシリーズ記事が掲載されている。 この日のテーマは、盛岡職業安定所に集まる日雇い労働者たちの姿である。 Screenshot 記事によると、当時の盛岡職安は内丸に本所があり、太田橋や簗川にも支所が設けられていた。 朝のうちに仕事を得られるかどうか… 続きを読む
g教育 4 10月 1952 教育委員選挙の風景(S27.10.04岩手日報) 昭和27年10月4日の岩手日報には、県内各地で熱を帯びていた「教育委員選挙」の様子が大きく紹介されています。現在の教育委員は首長による任命制ですが、この頃はまだ“住民が教育行政の担い手を選ぶ”という理想のもと、公選制が採用されていました。 Screenshot 紙面には選挙カーや街頭演説、農村での集… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1951 盛岡では電話交換手にすら繋がらない(S26.8.7夕刊いわて) 昭和二十六年当時の盛岡では、現在のようにダイヤルを回せば自動的に相手につながる“自動式電話”はまだ普及していませんでした。 市内で主流だったのは 「共電式」 と呼ばれる方式。受話器を上げるとまず電話局につながり、交換手に相手の番号を告げて接続してもらう、という仕組みです。 Screenshot とこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 8月 1951 盛岡・肴町商店街と警察・市役所が車馬通行をめぐって対立(S26.8.6夕刊いわて) 夜店計画に“待った” —— アーケード前夜の肴町商店街と交通問題 昭和二十六年八月六日付の「夕刊いわて」には、当時の盛岡市肴町商店街が直面していた“夜店問題”が大きく取り上げられている。 Screenshot 現在の肴町といえばアーケード街として知られ、歩行者がゆったり買い物を楽しめる空間が整備され… 続きを読む
m県外・参考 21 3月 1951 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(S26.3.21夕刊いわて) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」紙面に掲載された、弘前無尽による「宝来定期預金」の広告は、戦後の庶民金融と夢を結びつけたユニークな預金商品を伝えています。 この「宝来定期預金」は、昭和26年3月1日から4月30日までの期間に募集されたもので、1口1,000円から預け入れ可能。満期は8ヶ月後に設定… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1950 弘前無尽が増資新株式募集(S25.12.3岩手新報) 昭和25年12月3日の岩手新報に掲載された広告によれば、弘前無尽株式会社では増資にともない新株式の募集を行っていた。 この「弘前無尽」は、のちに弘前相互銀行を経て現在のみちのく銀行へと発展した金融機関である。無尽会社とは、現在の信用金庫や相互銀行の前身にあたるような地域密着型の金融業態で、相互扶助的… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1950 弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(S25.12.1岩手新報) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 当時の弘前無尽(現在のみちのく銀行)は、無尽契約の累計が三拾億円(30億円)に達したことを記念し、感謝広告を紙面に掲載している。これは昭和25年10月末時点での記録であり、「東北無尽業界に新記録をつくるにいたりました」と誇らしげに記されている。 広告文面では、地… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 2月 1950 盛岡市内各校は卒業シーズン(S25.2.20新岩手日報) 昭和25年(1950年)2月20日付の新岩手日報には、盛岡市内の学校に卒業シーズンが訪れた様子が、写真入りで紹介されている。 Screenshot 戦後間もない時代、まだ物資も十分とは言えない頃だが、紙面からは学び舎に満ちる若い息吹と、新たな門出を迎える高揚感が伝わってくる。 白百合高校 ― 卒業の… 続きを読む