i一関・西磐井郡 8月 13日 1953 一関に田部井大サーカスが来ます(昭和28年8月13日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 田部井大サーカスが一関市営グランドに来るというニュース。 国鉄バス一ノ関営業所や岩手県南バスも後援していた。 … 続きを読む
l全県 5月 18日 1953 昭和28年に岩手県内で売っていた自動車の広告 昭和28年5月18日の読売新聞岩手版に掲載された広告より。 四輪車もさることながら、オート三輪やバイクの広告が目立つ。 日産 ダットサン デラックスセダン ダットサン スリフトセダン 日本内燃機 サンカ― トヨタ トヨペットトラック ホンダ ドリーム号E マツダ CTL(?) エーブ自動車工業 エー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 18日 1953 下閉伊郡の漁場ではブリ・マグロの最盛期 昭和28年5月13日の読売新聞岩手版より。 下閉伊郡沿岸の漁場ではブリ・マグロの最盛期となっていた。 重茂村漁協の根滝漁場では30~40貫内外の大マグロが2~3本ずつ漁獲したほか、1貫500匁という大きなブリも水揚げされたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 5日 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 3月 3日 1953 ローカルラジオ番組案内(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 岩手版の隅では、ラジオ番組の案内を掲示している。 ところが、岩手版であるにもかかわらず、JOIR(仙台放送局)の番組がメインになっており、JOQG(盛岡放送局)の番組はほとんどないに等しい。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 20日 1952 松尾村の松尾中学校の新校舎が落成します!(昭和27年10月20日) 昭和27年10月19日の岩手日報より。 松尾村の松尾中学校の新校舎が竣工し、20日に竣工式典を挙げることになった。 グランドピアノや映写機も備え付けられており、文部省のモデルスクールに指定してもらおうといきごんでいる。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 10月 18日 1952 市制したばかりの大船渡市の細長い町並みの利便性改善の鍵はバスの便(昭和27年10月18日) 昭和27年10月18日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、第38回目は大船渡市。 この時点で、4月1日に市制したばかりという状況であった。 大船渡市は盛の町並みから大船渡の町並みまで20町あまり、子の広さをバスで縮めないといけないと市では頭を悩ませていた。 大船渡市内を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 15日 1952 黒沢明監督「生きる」が盛岡東宝第一劇場で完成披露試写会(昭和27年10月15日) 昭和27年10月7日の岩手日報の広告欄より。 黒沢明監督の映画「生きる」の完成披露試写会を10月15日に盛岡東宝第一劇場で行うという。 「完成披露試写会」とはいうものの、東京では10月9日の時点ですでに封切されているのである。 まあ岩手なんてそんなもんかね・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1952 盛岡駅構内で「動く鉄道博物館」 昭和27年10月8日の岩手日報より。 国鉄開業80周年を記念して、盛鉄局が主催して盛岡駅構内の「片倉線」で7日から「動く鉄道博物館」が開催されているという。 「片倉線」というのは片倉製糸の引き込み線、ということだろうか。 確かに盛岡市内には片倉製糸の工場があったようである。 ただしネット上だけではそ… 続きを読む
l全県 10月 8日 1952 渇水でもないのにまた停電(昭和27年10月8日) 昭和27年10月8日の岩手日報より。 「盛岡市内にて」ということであるが、これは本屋? 10月7日の夕方からまた輪番停電が始まった。 盛岡市内では10月7日17時~19時の間に輪番で10分間ずつ、郡部では15分ずつ消された。 8日に入り、0時~6時の間に1時間ずつ2回の停電が行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 7日 1952 盛岡市青山は「引揚者の町」だった 昭和27年10月7日の岩手日報より。 盛岡市青山町は、住民の実に7割までが引揚者であり、「岩鷲寮」には樺太からの無縁故引揚者が657世帯2785名、「青山寮」には朝鮮・台湾・南方からの引揚者が503世帯2322名入っていたという。 かつては「観武(みたけ)ヶ原」と呼ばれていた帝国陸軍の師団があった場… 続きを読む
l全県 10月 5日 1952 大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報の広告欄より。 この当時、国立の新制大学を受験する人は「進学適性検査」を受けなければならなかった。 そのあたりの詳細は、以下のページに書いてある。 後年でいう共通一次試験、センター試験同様「国立大学受験者はこの試験を受けなければいけない」という性質のものであるようだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 5日 1952 盛岡・中央ホールで「青いヴェール」公開(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報より。 盛岡・中央ホールでは「青いヴェール」を公開する。 「青いヴェール」(原題:The Blue Veil)は1951年米RKO配給で、日本での初公開は昭和27年7月29日。主演はジェーン・ワイマン。 ところで、この広告に「投票済ませ」とあたり、隣の岩手… 続きを読む
l全県 10月 4日 1952 教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 激戦地・一関市の最後のお願い。 戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。 それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。 ちなみに「トヨペット」が自家用車の… 続きを読む
l全県 10月 4日 1952 教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。 しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 1日 1952 盛岡二高の教諭が生徒たちの輸血で快方に(昭和27年10月1日) 昭和27年10月1日の岩手日報より。 旧制の盛岡高等女学校が学制改革で改組された盛岡二高の3年B組の教諭は、小腸炎で入院したというが、輸血がなければ手術もできない状態であったという。 そこへ、担任するクラスの女生徒達が献血を申し出て、手術ができるようになったという。 教諭は非常に感激して感謝しか無い… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 1日 1952 水沢で三菱のオート三輪やモーターバイクの展示会を行います!(昭和27年10月1日) 昭和27年10月1日の岩手日報の広告欄より。 盛岡と水沢に店舗がある自動車販売店・岩手みずしまが水沢でオート三輪やモーターバイクの展示会を行うという。 … 続きを読む
l全県 9月 27日 1952 自由党「先ず政局の安定!」(S27.9.27岩手日報) 自由党が広告を出している。「先ず政局の安定!」 自由党は昭和31年に民主党と合併して「自由民主党」となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 23日 1952 秋分の日は列車に乗ってキノコ狩りや栗拾いへ(昭和27年9月23日) 昭和27年9月24日の岩手日報より。 9月23日は秋分の日で祝日であり、盛岡駅はキノコ狩りや栗拾いに行く行楽客でにぎわった。 特に5:55発の東北本瀬下り(北福岡・八戸方面)、6:11発の山田線、6:12発の橋場線は行楽列車の様相を呈していたという。 奥中山(一戸町)のキノコは最盛期、山田線の大志田… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 21日 1952 湯口村志戸平でリンゴの木に梨が実る?(S27.9.21岩手日報) のちに花巻市となる稗貫郡湯口村志戸平のある農家で、リンゴの木に梨が実ったという。 詳細はわからなかったが、たぶん花粉の影響か?と結んでいる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 21日 1952 大病院の炊事場(S27.9.21岩手日報) 大所帯の炊事場といえば昔は兵舎だったが現在は刑務所か大病院・・・とこの記事では言っている。 ××病院と書いているが、当時であれば医大病院か、盛岡病院(のちの県立中央病院)か。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 21日 1952 釜石港も宮古港もサンマ漁船でいっぱい(S27.9.21岩手日報) サンマ漁のシーズンとなり、岩手からも船団が漁場を目指す。 釜石港も宮古港も賑わっている。… 続きを読む
l全県 9月 19日 1952 衆議院選挙・マイクは街から村へ(S27.9.19岩手日報) 昭和27年に行われた第25回衆議院選挙は9月5日公示、10月1日投票。 選挙戦が各地で繰り広げられていた。 結果は以下の通り。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 19日 1952 花巻駅のラッシュアワー 昭和27年9月19日の岩手日報より。 花巻駅のラッシュアワーは、上り(盛岡方面)が6:04、下り(一ノ関方面)が6:44到着で、通勤・通学者は上りが450名、下りが1640名であるという。 そのすべてが花巻駅で乗るわけではなく、釜石線から640名、温泉電車から810名が乗り換えるという。 花巻始発で… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 18日 1952 稗貫郡八幡村で県内のトップを切って稲の刈り入れ(昭和27年9月18日) 昭和27年9月18日の岩手日報より。 稗貫郡八幡村中寺林では、県内のトップを切って稲の借り入れが行われた。 稗貫郡八幡村は、現在の花巻市石鳥谷町の一部。… 続きを読む