h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 16 9月 1953 一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日) 昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 9月 1953 冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日) 昭和28年(1953年)の東北地方における米作は、記録的な冷害により深刻な被害を受けました。6月から7月にかけての低温、長雨、日照不足が稲の生育を大きく阻害し、特に出穂期から登熟期にかけての気温の低さが致命的でした。 この年の全国的な作況指数は83で不作とされましたが、東北地方ではさらに悪く、各県で… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 9月 1953 一関市内の布団店では布団綿を大売り出し(昭和28年9月9日) 昭和28年9月9日の岩手日日より。 一関市内の布団、では、布団綿の大売り出しを行っている。 当時だと「貫目」単位で売ったらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7 9月 1953 一関市内各商店の電話架設情報(昭和28年9月7日) 昭和28年9月7日の岩手日日より。 「永らくご不自由をお掛けしました」というのは定型句だったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 スキー毛糸は半ポンド1000円!スポーツ毛糸は半ポンド925円!(昭和28年9月6日) 昭和28年9月6日の岩手日日より。 当時一関を代表するデパートだった福原と、もう一軒の専門店と。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 岩手日日ではあらゆる印刷の御用命も承ります!(昭和28年9月8日) 昭和28年9月8日の岩手日日より。 一関の岩手日日では印刷業もやっていたらしい。 これはどこの地方新聞も一緒のよう。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一関・山目小学校の学童の夏休み「悪い映画も見たが総体的には良好」(S28.9.4岩手日日) 一関・山目小学校の学童の夏休みの生活記録からは「悪い映画も見たが総体的には良好」と言う結果が出たようだ。 ところで「許されていない映画」逆にいえば「許されている映画」と言うのはどんなのだったのだろう? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一関市内商店の電話架設広告(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 広告欄には電話架設に関する広告が掲載されている。 「永らくご不自由をおかけ致しました」というのが定型文だったのだろうか。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関に田端義夫が来てなつかしのメロデーを歌います!(S28.8.29岩手日日) 一関に田端義夫(バタやん)が来るという。 そして「なつかしのメロデー」やら新曲やらを歌いますと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 寄る辺ない老人を搾取する悪徳夫婦(S28.8.29岩手日日) 岩手日日に掲載されたゴシップ記事。 この頃の一関には、老人を搾取する悪徳夫婦がいたようである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 8月 1953 水沢の食料品店「あさりの佃煮100匁80円!奈良漬100円!」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店では佃煮や漬物の値段を出している。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関で「ライオン歯磨映画の夕」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 ライオン歯磨ではこうした地方での宣伝活動に力を入れていたようで、一関の地主町角広場で宣伝かねて映画会をやるということであった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 8月 1953 農家の厄日・二百十日は安泰か(S28.8.28胆江日日新聞) 立春から数えて、210日目にあたる「二百十日」は、台風の特異日であり農家からは恐れられていた。 そんな二百十日は安泰ではないかとの仙台管区気象台の予報。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 一関でも上映された映画「バンビ」(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 この時期、上映されていたディズニー映画「バンビ」の映画評が掲載されている。 一関では、8月27日からオリオン座で上映されていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 ある離婚シングルマザーの話(昭和28年8月26日) 昭和26年8月26日の岩手日日より。 囲み記事で、ある離婚の話が書かれている。 夫があまりに頼りなさすぎること、性格が不一致であることで離婚を選んだようだ。 岩手日日の記事ではあるが、一関の人の話かどうかは不明。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 8月 1953 水沢・みその映劇で東宝「青色革命」・東映「玄海の鰐」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の胆江日日新聞より。 水沢のみその映画劇場では東宝「青色革命」と東映「玄海の鰐」を2本立てで封切。 「青色革命」は千田是也、沢村貞子、三国連太郎などの出演で昭和28年6月10日の初公開。 「玄海の鰐」は河津清三郎、日高澄子の出演で、昭和28年7月12日の初公開。 水沢ぐらいだと独… 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 一関映画案内(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 一関市内の映画案内が掲載されている。 ところで、一関市内のどこかの映画館に東映系のスターが来るという広告があったが、これは一関文映のことらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 田端義夫が一関のファンに挨拶(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日の広告欄より。 「バタやん」こと田端義男が「一関のファンの皆様へ」とあいさつしている。 どうも前年12月に一関でコンサートの予定が、急遽「歌くらべ青春三銃士」(松竹)への出演が決まり出演できなくなったらしい。 それでこの年の9月5日に一関映劇に出演することになったのだと… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 8月 1953 水沢松竹で「雲流るる果てに」「落葉日記」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢松竹では8月26日~29日に「雲流るる果てに」と「落葉日記」を公開する。 「雲流るる果てに」は昭和28年6月2日初公開の戦没学生の手記もので、鶴田浩二や木村功等が出演。 「落葉日記」は昭和28年5月20日初公開で、岸田国士の長編小説の映画化。 フランス人… 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 東映スターが一関に来ます!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 そもそもどこの映画館か書いていないのだが、東映系の映画館といえばどこかはすぐに分かったのだろうか。 また、東映スターやニューフェース(原文では「ニユーフヱス」)が挨拶に来るというのだが、西條鮎子・森和子・沖鏡子・宇佐美栄子・川村勘平共にこの記事を書いている令和4… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 しのびよる秋… 布団のお手入れは今が好季!(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には一関市内の布団店の広告が。 布団もやっぱり布地から作る感じだったのかね? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 野間宏の考える「仮名遣いと当用漢字」(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 なぜか、作家の野間宏の記事が載っている。 仮名遣いと当用漢字に関してである。 ちなみに、野間宏自身は兵庫県出身で、関西生寺版として活躍していた小説家であり、岩手とは関係ない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 さすがはほぼ宮城県に片足突っ込んでる一関だけあって、広告も仙台味噌である。 それもカルシューム、ビタミンB1・B2を含有しているという。 令和の今なら、混ぜものがある食べ物なんて安物として敬遠されがちだが、戦後すぐはそうでもなかったようだ。 そして電話番… 続きを読む