l全県 1月 1日 1989 年始広告も「初春のお慶び」ではなく「初春のごあいさつ」(昭和64年1月1日) 昭和64年1月1日の岩手日報の広告欄に掲載された県内各企業の広告は、ことごとく「初春のお慶びを申し上げます」ではなく「謹んで初春のごあいさつを申し上げます」。 天皇陛下が御危篤の状態で自粛ムードとなっており「慶び」という雰囲気ではなかったのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 23日 1988 都南村で合併検討委員会(S63.6.23) 盛岡市や都南村など、岩手県内の市町村合併に向けた議論が活発化しているが、住民の意識が十分に成熟していないため、実現にはまだ多くの課題が残っている。過去にも市町村合併の動きがあったものの、実現には至らなかった。今回の合併機運は、国の行政改革推進によるもので、盛岡市と都南村の合併が中心的な議題となってい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1988 釜石製鉄所の合理化計画(S63.2.5) 新日鉄釜石製鉄所は、鉄鋼業界の合理化に伴い、鉄以外の分野への新事業展開を進めています。特に、キノコ栽培、ヘアセット商品、タンパク質食品「タンパッキー」など、多岐にわたる新事業に取り組んでおり、余剰人員の活用も目的としています。また、製鉄所内に飼料備蓄基地の建設も計画されており、輸入飼料の供給を見込ん… 続きを読む
l全県 10月 28日 1986 東北農政局岩手統計情報事務所が米の作況指数を107と発表(S61.10.28) 本県の6年産稲作は、3年連続の豊作となりました。残暑が好影響し、水稲の収穫量は約43万8千6百石に達しましたが、減反策が戻ったため、前年より収穫量はやや減少しました。7月までの冷害型の天候や8月初めの大雨による冠水被害がありましたが、その後は好天に恵まれ、沿岸部や北部を除く地域では生育が回復しました… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 1日 1986 三陸鉄道は2年連続黒字(S61.4.1) 三陸鉄道は、第三セクターによる運営で開業以来二年連続黒字を達成し、順調な経営を続けています。開業当初のフィーバーには及ばなかったものの、乗客数は目標を上回り、経費削減や定期利用客の増加が黒字に貢献しました。第60年度の決算では、北リアス線と南リアス線の総乗客数が267万人に達し、前年から若干の減少が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 15日 1984 松尾村で全国育樹祭(S59.10.15) 第8回全国育樹祭は、昭和59年10月15日に岩手県松尾村で皇太子ご夫妻を迎え、約9,000人が参加して開催されました。式典では、10年前の全国植樹祭で植えられた南部赤松の手入れが行われ、参加者全員が緑豊かな郷土づくりを誓いました。皇太子殿下は「緑に力を未来に夢を」というテーマを掲げ、全国の森林管理の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1984 岩手県内のサラ金規制法適用第1号(S59.1.5) サラ金(消費者金融)による被害が増加し、自殺や家庭崩壊が相次いだことを受け、昭和58年にサラ金規制のための二法が施行されました。この法律は悪質な取り立てを抑制し、被害を防ぐことを目的としていましたが、施行後も多くの人が厳しい取り立てに苦しんでおり、自殺者が増加するなど深刻な事態が続いています。 特に… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 13日 1978 本州で最後の手動交換局・山根局が自動通話化(昭和53年12月13日) その昔、電話は「電話番号を押せばすぐに通話できる」というものではなかった。 まずハンドルを回して電話局の交換手につなぎ、相手先の電話局と番号を言って交換手につなぐ作業をしてもらう。 その間、いったん電話を切る。 そして向こうがつなぐ作業が完了したら、交換手から電話がかかってきて「お話しください」とな… 続きを読む
i一関・西磐井郡 12月 2日 1978 東北自動車道・一関~築館が全通 昭和53年12月2日、東北自動車道の築館~一関が開通する。 確かに高速道路自体は、昭和52年の時点で盛岡~一関が開通してはいた。 しかし、仙台や東京へ出るとなったら、一関で高速道路を降りて、一関市内を通って国道4号線に出て、築館までいかなければならなかったのだ。 これで1時間ぐらいのロスがあった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 23日 1977 盛岡で「大型店対策委員会」発足(S52.3.23) 盛岡商圏では、地元百貨店支持派と県外大型店支持派の対立が激化しており、特に川徳とニチイの進出計画が注目されています。川徳は盛岡の一等地に大型店を出店する計画を進め、丸紅も別の地域で商業開発を計画しています。一方、地元の商工会や商業者は、大型店の進出に強い懸念を抱き、反対の意向を表明しています。特に都… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 18日 1977 一関出身の三好京三が直木賞受賞(S52.1.18) 三好京三氏は、彼の作品『子育てごっこ』で直木賞を受賞しました。彼は一関高校卒業後、教師として働きながら文学活動を続け、長年の努力の末にこの栄誉を手にしました。『子育てごっこ』は、彼自身の小学校教師としての経験をもとに描かれた作品で、地方で地道に執筆を続けてきた作家にとって大きな励みとなっています。作… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 31日 1975 国鉄盛岡工事局が新幹線用地の権利取得申請(S50.5.31) 東北新幹線と東北自動車道の予算が据え置かれたため、開業が遅れる見通しが強まっています。特に東北新幹線は、人件費や資材の高騰により、実質的な工事量が大きく減少し、当初予定の5年以内の開業が2年以上遅れることが確実となりました。政府の予算抑制により、工事費が高騰し、資材も不足しています。用地買収が進んで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1975 全日空雫石事故で自衛官に厳しい判決(S50.3.1) 1971年に発生した全日空機と自衛隊機の空中衝突事故について、1975年3月1日に盛岡地裁で判決が言い渡されました。この事故では全日空機に乗っていた162人が死亡し、被告の航空自衛隊員・隈太茂津一尉と市川良美二曹が業務上過失致死で起訴されました。裁判では、事故の責任が自衛隊側か全日空側にあるのかが争… 続きを読む
l全県 5月 31日 1974 国民春闘の岩手県内の状況(S49.5.31) 1974年に行われた「国民春闘」は、賃上げ要求や労働時間短縮、インフレ抑制を中心に大規模な労働争議が全国で展開されたものです。この春闘には約930万人の労働者が参加し、労働組合の80%がこの時期に賃上げ交渉を行いました。春闘共闘委員会は「国民的要求を前面に出す」として「悪性インフレ阻止」をスローガン… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 11日 1974 都南週末処理場問題(S49.2.11) 盛岡地区広域下水道事業の終末処理場建設は、紫波郡都南村東見前地区に計画されていたが、地権者の強い反対により用地取得が困難となっていた。処理場の建設予定地は、肥沃な農地であり、地権者たちは農業経営の破綻や生活基盤の喪失、地域発展の妨げなどを懸念し、強硬に反対していた。地権者たちは「終末処理場建設反対見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 16日 1973 オイルショックと岩手(昭和48年11月16日) 昭和48年10月6日、第4次中東戦争が勃発。 イスラエルとアラブ諸国はまた喧嘩を始めた。 イスラエルはアメリカなど西側諸国の後ろ盾がある。 だからあんな小さい国がアラブの大きい国に囲まれていても何十年と国を維持していられる。 日本はそのアメリカの同盟国だ。 アラブから見て、そんな日本など西側諸国をど… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3月 19日 1973 広田湾開発は漁民の反対で棚上げ(S48.3.19) 広田湾埋め立て工業開発計画は、陸前高田市と岩手県が共同で進めた産業振興策でしたが、漁民ら地元住民の強い反対により計画が一時停止されました。埋め立てによる漁場消失や環境汚染への懸念から、漁業団体を中心に反対運動が広がり、最終的に県は計画の規模縮小や無公害企業誘致を含む修正案を提示しました。しかし、「海… 続きを読む
l全県 1月 26日 1973 政府が「土地対策要項」策定(S48.1.26) この時期は、急速な土地ブームによって岩手県を含む日本の地方が影響を受けました。 高度経済成長期、インフレの影響や「日本列島改造論」によって、大手資本や土地ブローカーが土地投機や買い占めを進め、公共用地や住宅地の需要が高まったことで地価が急騰しました。 特に、盛岡市周辺では宅地や工業用地の価格が大幅に… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 29日 1972 花巻市議会で花巻空港拡張反対陳情が不採択(S47.8.29) 花巻空港拡張計画は、利用客の増加と高速交通時代への対応を目的としていますが、地元住民の強い反対により難航しています。昭和47年、県と市議会の審査が行われ、県は拡張整備費用を計上し計画を進める姿勢を示しました。しかし、地元住民は騒音や地域の伝統が損なわれることを懸念し、反対同盟会を結成して空港拡張に強… 続きを読む
l全県 1月 16日 1972 台湾坊主と低気圧で県内に甚大な被害(S47.1.16) 47年1月13日に台湾坊主と呼ばれる気象現象(南岸低気圧)が三陸沿岸を襲い、その後1月16日には三陸沖に発生した低気圧によって豪雨と大雪がもたらされ、堤防が決壊し、養殖施設も壊滅的な被害を受けました。送電線や道路が寸断され、林業にも甚大な損害が発生し、被害総額は49億円に上りました。特に気仙沿岸では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 29日 1971 岩手中央バス上田営業所が移転して河南営業所が開業 昭和46年5月29日の岩手日報より。 岩手中央バスの上田営業所が南大通2丁目の旧盛岡青果支場跡(鐘紡前バス停)に移転し「河南営業所」としてスタートすることとなった。 これにより、盛岡バスセンター発着の一部路線を鐘紡前に移転することとなった。 【鐘紡前を起終点とする路線】 系統変更あり 上田線 厨川線… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1971 盛岡・中央ホールで「猫」「ベニス協奏曲」封切 昭和46年5月27日の岩手日報の広告より。 「明28日封切」として、「猫」「ベニス協奏曲」が洋画専門館・中央ホールで公開する旨の広告が出されている。 「猫」(原題:Eye Of The Cat)は、1969年米ユニバーサル映画による「もし、猫が人間を襲ったら・・・」というショック映画で、日本初公開は… 続きを読む
m県外・参考 8月 12日 1970 特急はつかり脱線事故(S45.8.12) 昭和45年8月12日深夜、東北本線尻内駅(現八戸駅)構内で、特急「はつかり2号」が脱線・転覆する事故が発生しました。この列車には約700人の帰省客が乗車しており、20人が軽傷を負いましたが、駅構内で減速していたため、甚大な被害は避けられました。事故の影響で列車ダイヤが大幅に乱れましたが、翌日には復旧… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 4日 1970 久慈少女行方不明・殺害事件(S45.6.4) この事件は、久慈市で発生した8歳の少女が行方不明となり、後に他殺体で発見された未解決事件です。昭和45年6月4日の午後、少女は豆腐を買いに自宅を出たまま戻らず、母親が午後10時45分頃に警察に届け出ました。翌日から大規模な捜索が行われましたが、手がかりは見つかりませんでした。同日午前8時20分頃、少… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 29日 1970 盛岡からも大阪万博へ行こう!(昭和45年4月29日) 昭和45年と言えば岩手国体の年であるとともに、大阪万博の年でもある。 国鉄ではこれ幸いと切符の売り出しに精を出していた。 IBC「いわてアーカイブの旅」は2016年4月29日の放送であるというので、ちょうどこの時期だったのではないだろうか。 ということで昭和45年4月29日に配する。 https:/… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 8日 1970 釜石大観音が完成(昭和45年4月8日) 昭和45年の花祭りである4月8日に釜石大観音が落成。 https://www.youtube.com/watch?v=4UHjsL8NP4Y … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 8日 1968 難病手術の献血のために37人がバスで釜石から仙台へ(昭和43年3月8日) 昭和43年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石市内に、心室中隔欠損症の中学3年生がおり、手術が必要な状態であった。 このことを昭和43年2月27日の岩手東海新聞で「仙台の東北大学病院で手術が必要だが、愛の献血をお願いします」と呼び掛けたところ、釜石市内の37人がこれに応じ、3月8日の手術に際し、貸し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 松屋デパートの初売りは1月2日から!(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 松屋デパートの初売りは1月2日からである旨。 かつては松屋ストアーというスーパーマーケット事業もやっていたらしい。 いずれも現存しない。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 県立図書館が竣工(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 内丸の岩手公園内に、岩手県立図書館の建物が竣工したという広告。 開館は年が明けて昭和43年2月10日となる。 現在では、県立図書館は盛岡駅裏のアイーナに移転して、この建物は「もりおか歴史文化館」となっている。… 続きを読む