a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・文化劇場で「阿修羅四天王」「東京暴力団」公開!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の文化劇場では「阿修羅四天王」と「東京暴力団」を公開する。 「阿修羅四天王」は昭和30年4月26日初公開の東映時代劇で市川右太衛門が主演。 「東京暴力団」は昭和30年5月25日初公開の大映映画で、菅原謙二や川崎敬三等が出演。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・中央ホールで「男の争い」「肉体の怒り」封切!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールで「男の争い」と「肉体の怒り」を封切する。 「男の争い」(原題:Du Rififi chez les Hommes)は昭和30年製作のフランス映画で、日本での初公開は昭和30年9月22日。 「肉体の怒り」(原題:La Rage Au Corps)… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1955 東北本線に清水原駅開業 花泉町にある清水原駅は、昭和19年の開設当初は信号場であったところ、地元民や隣接の金沢村によって駅昇格運動が起こっていた。 そうしたところ、いよいよ7月1日に駅として開業することとなったのである。 費用は全額地元負担で、鉄道側の組んだ予算は495万円、そのうち70万円の人件費は地元の人たちの労力奉仕… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 平金商店(電話盛岡48番)ではブルースター計算機を絶賛販売中 昭和30年5月18日の岩手日報に掲載された広告より。 コンピューターなんてものがなかった昔、計算機といえば「タイガー計算機」とかそういうのが主流だった、ということは知っている。 ブルースター計算機というものがどういうものであったかというと、統計資料館(総務省統計局)のページによれば、以下のとおりであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 盛岡警察署と盛岡税務署が濁密を摘発 盛岡税務署は盛岡警察署の応援を得て、市内で「第三国人を主とする濁酒密造ならびに密売所を急襲」(昭和30年5月18日の岩手日報の記述ママ)した。 一部では抵抗もあったようだが、市内7か所での戦果としては以下の通り。 オケ9個 カメ7個 一升ビン12本 玄米7斗 密造道具3点 「濁密」つまりドブロクのこ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) 稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 北上バス転落事故(昭和30年5月14日) 瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 21日 1954 二戸郡福岡町は「福岡市」になれず(昭和29年9月21日) 昭和29年9月21日の岩手日報より。 上閉伊郡遠野町や気仙郡高田町が次々と市勢を決めていく中、二戸郡福岡町も、周辺の爾薩体村や金田一村を合併して「福岡市」になろうと頑張っていたが、金田一村が市制協議会から脱退してしまい、それが不可能となってしまった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9月 18日 1954 岩手県で11番目の市名は「陸前高田」と決まる(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 昭和の大合併で、県内の各町村が市に昇格していたが、その11番目は気仙郡高田町が「陸前高田市」になるものであった。 … 続きを読む
l全県 9月 18日 1954 台風14号にサンマ漁船は戦々恐々(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 太平洋の沖合にある台風14号が東日本にも接近しそうだと言うことで、サンマ漁船は戦々恐々としていた。 ちなみに、この次の台風15号は「洞爺丸台風」となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 17日 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 16日 1954 東洋一の威容を誇る田瀬ダムが貯水開始(S29.9.16岩手日報) 県の総合開発の目玉となっていた田瀬ダムが谷内村(のちの東和町)に完成、貯水を開始した。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 15日 1954 水害記念日を迎える一関(S29.9.15岩手日報) 一関では昭和22年9月15日にキャサリン台風が、翌昭和23年9月16日にはアイオン台風が襲来した。 その慰霊祭が磐井川で挙行されようとしていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 15日 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 花巻温泉郷に響く豊年歌(S29.9.1岩手日報) この年は稲穂が実り、花巻温泉郷の鉛温泉や志戸平温泉は豊作を祝う歌声が響いていた。 しかしよくもまあ女湯で撮影しようと思ったものである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1954 ビキニ「死の灰」で宮古でも原水禁運動(S29.9.1岩手日報) 3月1日のビキニ環礁の「死の灰」は日本社会にショックをもって伝えられた。 この時点で、久保山愛吉さんはご存命中で、危篤が伝えられる状況であった。 そのような中、宮古でも原水禁運動が繰り広げられた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 1日 1954 岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1954 志和村は紫波郡南部の合併に参加したくない(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 この時期「昭和の大合併」で各市町村は合併が進んでいた時期である。 4月には花巻市・北上市・水沢市が誕生している。 紫波郡の南側は、日詰町を中心に古舘・水分・志和・赤石・彦部・佐比内・赤沢・長岡の各村を合併させようと県では考えていた。 しかし人口7千で財政規模がそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む