a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 10月 1950 県営グランド宝くじ抽選会(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 「県営グランド宝くじ抽選会」というのが10月1日に県公会堂で開催されるのだという。 これは岩手県が主催するのだそうで、受託しているのは日本勧業銀行。 後年も宝くじは第一勧銀が行っており、現在でもみずほ銀行が行っている。 この「県営グランド~」というものがどういう… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 10月 1950 国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 国鉄バス久慈自動車営業所では10月1日からの新ダイヤを発表した。 沼宮内東線 上り 久慈発 7:00、9;30、11:30、16:30 下り 陸中山形発 6:30、9:00、13:00、17:10 軽米線 上り 久慈発 7:05、9:30、12:30、16:15… 続きを読む
l全県 1 10月 1950 山のボンペイ街のチャコ(353)猫が生のイカ食べちゃいけません 昭和25年10月1日岩手日報より。 当時掲載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、チャコの飼い猫「ニイ」が台所の生のイカを食べてしまう。 このあたりは獣医師による以下のページに書いてある。 いわく、 生のイカを猫に与えるのは絶対にダメです。鮮度が落ちた生のイカには、チアミナーゼという成分が含… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 28 9月 1950 花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n… 続きを読む
l全県 28 9月 1950 山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 当時連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」より。 ボンペイとチャコは七輪での焼き魚を見ているようチャコのお母さんに頼まれる。 ところが焼き過ぎて黒焦げにしてしまった。 それをお母さんは怒るでもなく「がまんしていただきましょうね」と。 後年であれば、発がん性… 続きを読む
l全県 28 9月 1950 国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年の10月1日に国勢調査が予定されていた。 日本では大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われ、昭和20年に行われなかった以外は「0」「5」の付く年に行われ、1950年は第6回目となった。 この国勢調査の意義として「日本再建の基礎となる重要資料」として… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) 昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。 まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ… 続きを読む
l全県 27 9月 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1950 盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 2月 1950 盛岡市内各校は卒業シーズン(S25.2.20新岩手日報) 昭和25年(1950年)2月20日付の新岩手日報には、盛岡市内の学校に卒業シーズンが訪れた様子が、写真入りで紹介されている。 Screenshot 戦後間もない時代、まだ物資も十分とは言えない頃だが、紙面からは学び舎に満ちる若い息吹と、新たな門出を迎える高揚感が伝わってくる。 白百合高校 ― 卒業の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 2月 1950 ドッジ不況で盛岡市内に貸間・売家が続出(S25.2.19新岩手日報) 昭和25年(1950年)2月19日の『新岩手日報』より 戦後の盛岡市では営業不振が相次ぎ、店舗や事務所を貸間に転用する動きが急増していた。 ある木材会社では、2階建て約90坪の建物を70〜80万円で売り出し、さらに東大通りとみられるマーケットのバラック小店舗も20万円で売却に出されたという。 Scr… 続きを読む
m県外・参考 18 2月 1950 東京・麻布盛岡町の梅花薫る(S25.2.18新岩手日報) 東京・港区には「麻布盛岡町」という地名があった。 現在でも「麻布警察署 盛岡町交番」としてその名残を残している。 管内には、有栖川宮公園があり、梅の名所だったようだ。 現在の東京都立中央図書館のある位置である。 Screenshot… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 17 2月 1950 水沢税務署のドブロク摘発隊に密着取材(S25.2.17新岩手日報) 新岩手日報の記者が水沢税務署のドブロク摘発部隊に同行取材。 細野地区というので、金ヶ崎町細野だろうか。… 続きを読む
l全県 15 2月 1950 進駐軍岩手民政部により導入された週休2日制はどうなった?(S25.2.15新岩手日報) 進駐軍の岩手民政部長官により、岩手県内の学校は週休2日制が導入されたようだ。 で、どんな経過を辿ったかという記事。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 2月 1950 農村の衣食住学校「セツルメント」(S25.2.14新岩手日報) 県内各地で農村女性の衣食住学校「セツルメント」が開催されていた。 その中の一つ、紫波郡赤石村のセツルメントについて触れている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 盛岡中劇で「一匹狼」公開!(昭和25年2月13日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 盛岡中劇では「一匹狼」を公開する。 「一匹狼」は昭和25年2月5日初公開の大映作品で、出演は藤田進、菅井一郎、三條美紀など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 盛岡・松竹内丸座で「宵待草恋日記」封切!(昭和25年2月13日) 昭和25年2月13日の新岩手日報より。 盛岡の松竹内丸座では、「宵待草恋日記」を封切する。 「宵待草恋日記」は、昭和25年1月29日の松竹作品で、出演は若原雅夫・森川まさみ等。 … 続きを読む
l全県 12 2月 1950 岩手県公会堂で供米早期完遂感謝祭(S25.2.12新岩手日報) 当時は食糧管理制度が完全に国営化されており、供米は義務のようなものだった。 こうして早期完遂すれば感謝もされたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 2月 1950 岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 2月 1950 輸出品として期待される江刺郡黒石村の寒天(S25.2.10新岩手日報) 江刺郡黒石村(現在の奥州市水沢黒石)では寒天生産が盛んだったようで、輸出資源としても期待されていた。 … 続きを読む
l全県 10 2月 1950 公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) 昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 2月 1950 山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日) 昭和25年2月10日の新岩手日報より。 連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、開墾者の所に行っていたようで、熊の肉でお別れという一幕となっている。 しかし「くまのにぐ かわねスか」とは、声に出して読みたい盛岡弁である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 3月には盛岡にも第二放送(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 この当時、岩手県内はJOQG(NHK盛岡)の第一放送しかなかったが。3月には第二放送ができると言うことで期待されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 春の訪れは銀翼と銀輪に乗って(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 飛行機と自転車が春の訪れを伝えると言う写真記事。 自転車の方が渡っている橋は、明治橋であると言う。 … 続きを読む