f花巻・稗貫郡 4月 2日 1943 大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 稗貫郡大迫町では、北方前線で敵である米国の撃滅に戦闘をしている皇軍に指人形を送って慰問しようとしていた。 国民学校では指人形を作り、婦人会では衣装を作ったと言う。 そして4月2日に600個が出来上がり、町役場に持ち込まれたので、街では近日中に荷造りをして盛岡連隊… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 1日 1943 萩荘村の凍み豆腐が前線へ(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 西磐井郡萩荘村の凍豆腐は、県内で唯一の軍需凍豆腐として前線に送られることになった。 3月29日には、製品検査が行われたが、その成績も極めて良好で近いうちに発送することになったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1943 盛岡中劇・国民劇場で「兵六夢物語」公開!(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 盛岡中央劇場と国民劇場では、「兵六夢物語」を公開する。 「兵六夢物語」は昭和18年4月1日初公開の東宝映画で、出演はエノケンや高峰秀子など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 28日 1943 釜石の電話が共電式に(昭和18年3月28日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 釜石郵便局の電話方式が、3月28日から共電式に改正されると言う。 この電話は、エボナイト製のスマートなもので、小声で通話しても非常に感度は良く気持ちよく通話できるのだと言う。 仙台逓信局からは工務部長と電務課長が来て、作業の陣頭指揮に当たった。 新しい方式の電話… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 3日 1942 西磐井郡真滝村の狐禅寺で落下傘を供え蚕霊供養(S17.7.3新岩手日報) 西磐井郡真滝村(現:一関市)の狐禅寺で、蚕業婦人会が絹糸で生産された落下傘を供えて、蚕の霊を供養していた。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 7月 3日 1942 気仙郡地方事務所はさかり町記念館(S17.7.3新岩手日報) 岩手県では「地方事務所」制度を設けることになったようだが、気仙地方の事務所は、盛町にある記念館に決まった。 国鉄時代の大船渡線では、盛岡との混同を避けるために、盛を「さかり」とひらがな表記していたが、この当時からその伝統はあったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 盛岡魚市場に鮪ドッサリ入荷(S17.7.2新岩手日報) 盛岡魚市場に、釜石や八戸方面からマグロがドッサリ入荷したという。 当時であればすでに山田線が開通しており、輸送も容易であっただろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 岩手県公会堂で前線を偲ぶ演芸会(S17.7.2新岩手日報) 岩手県公会堂で、白衣の勇士を招き「前線を偲ぶ演芸会」が開催された。 白衣の勇士とは傷痍軍人のこと。 このような福祉事業は、皇后陛下の御心のもとに行われるということになっていた。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 2日 1942 翼賛議員による初の花巻町議会(昭和17年7月2日) 昭和17年7月4日の新岩手日報より。 記事そのものの表現を借りると「花巻町翼賛選良の新町会」。 既に政党は「大政翼賛会」となっていた。 地方議会レベルでも翼賛会の動きが出ていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 盛岡市で隣組配給制を再検討する懇談会(S17.7.2新岩手日報) この時期、盛岡市では配給制に不満のある市民もいたようで、近く懇談会が開かれると言うことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 岩手牛乳のあのロゴ(昭和17年7月2日) 昭和17年7月2日の新岩手日報より。 岩手牛乳の企業広告が出ているが、お馴染みのあのロゴは既にできている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 24日 1942 ノモンハン事件で戦死した釜石市出身勇士の遺族に皇后陛下が御下賜品(昭和17年1月24日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 満蒙国境で展開されたノモンハン事件で戦死した日本兵は7000人とも9000人ともいわれている。 この戦死者に対し、釜石市出身者遺族に1月24日、盛岡の県庁本庁舎で御菓子と御歌複本の伝達式が行われるという。 対象者は14名であった。 &… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 20日 1942 松平晃・三原純子・森光子が盛岡で公演します…よね?(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報の広告欄より。 タイヘイレコードの松平晃とその楽団、三原純子、森光子が公演を行うという。 ところが、盛岡市内のどこで公演するかが全く書いていないのである。 岩手日報の広告に「公演」と書いているくらいなので、来て公演するのは確かなのだろう。 しかしどこで公演するかが全く書… 続きを読む
l全県 1月 16日 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1942 盛岡・中劇で「舞姫記」公開(昭和17年1月15日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 盛岡・中央映画劇場で「舞姫記」を公開する。 「舞姫記」(原題:FANNY ELSSLER)は1936年製作のドイツ映画で、日本での初公開は昭和16年。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 13日 1942 稗貫郡八重畑村で三つ子が生まれる(昭和17年1月13日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 稗貫郡八重畑村のある農家で、23歳の母親が男2・女1の三つ子を生んだ。 村役場で母親は「2人は兵隊にやり、1人は家を守らせる」と元気に語っていたという。 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 11日 1942 東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 8日 1942 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭の名産地・津軽石川の川開きは全国的に有名となっており、東京方面からも見物客が来ていたという。 昭和17年の川開きは1月8日。 魚の魚体は小さいが2万~2万5千本ぐらいは漁獲できるのではないかと予想していた。 また、魚自体が品不足で見物方々食糧獲得で颯… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1942 新興キネマ「花嫁剣法」封切します!(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 新興キネマ「花嫁剣法」が封切するという。 主演は大友柳太郎で初公開は昭和16年9月18日 ・・・が、新興キネマというのは当時の映画配給会社であり、この記事の3日後に大都映画と合併して大日本映画製作(大映)が発足するのであるが、別に盛岡にそのような劇場があったわけで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1942 盛岡・内丸座で松竹映画「君と僕」封切!(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 盛岡・内丸座で松竹映画「君と僕」を封切するという。 主演は小杉勇で、李香蘭が特別出演するという。 初公開は昭和16年11月15日であったので、タイムラグは2か月弱。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 5日 1941 盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」 昭和16年12月5日の岩手日報より。 線前期の岩手県の最高学府と言えば盛岡高等農林学校であり、宮沢賢治もここを卒業している。 また、このブログの「教育」のカテゴリーのアイコンは、この盛岡高等農林学校の本館である。 この盛岡高農の上村勝爾校長は、構内のネグンド楓からヒントを得て、日本で多く産しているイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 28日 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む