e釜石・遠野・上閉伊郡 5 6月 1964 釜石製鉄所の溶接用の鋼材にもJISマークを認可(昭和39年6月5日) 昭和39年6月5日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の重要製品として、線材とともにSM材(溶接構造用圧延鋼材)があった。 これを高級化し、品質の研究改善が行われ、ついには通産省からJIS表示の正式認可を受けたのだと言う。 SM材は、特に溶接性に優れており、船舶造船や建築プランとや橋梁や車両など幅広く使… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 釜石・第一劇場で「剣」「仔鹿物語」を上映(昭和39年6月4日) 昭和39年6月1日の岩手東海新聞より。 釜石・第一劇場では、「剣」「仔鹿物語」を上映する。 「剣」は昭和39年3月14日公開の大映映画で、検索は三島由紀夫、主演は市川雷蔵。 「子鹿物語」(原題:The Yearling)は、昭和21年のアメリカ映画で、出演はグレゴリー・ペックなど。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 早く国道45号線古廟坂トンネルを開通させて大槌への架け橋を(昭和39年6月4日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 当時、国道45号線で釜石から大槌方面に行くには、室浜の山道を通っていかないといけなかった。 それで、古廟坂トンネルの開通が待ち望まれていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 6月 1964 釜石商工会議所議員選挙の公示(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石商工会議所の議員選挙の公示は以下の通りであった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 6月 1964 大雨の影響で釜石市内に大被害(昭和39年6月3日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 日本海に、982ミリバールにまで発達した猛烈な低気圧の影響で、釜石市内にも大洪水が発生した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 6月 1964 釜石のメインストリート・浜町はジグザグで危険(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石のメインストリートである浜町は、この当時、戦災復興補助の打ち切りで、メインストリートがジグザグな状態になっており、危険であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 6月 1964 釜石・錦館で「潮騒」「蟻地獄作戦」「現代金儲け物語」公開(昭和39年6月3日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 釜石・錦館では「潮騒」「蟻地獄作戦」「現代金儲け物語」を公開する。 「潮騒」は三島由紀夫の小説が原作で、昭和39年4月29日公開の日活映画。出演は浜田光夫・吉永小百合など。 「蟻地獄作戦」は昭和39年4月29日公開の東宝映画。出演は仲代達矢・夏木陽介など。 「… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 6月 1964 宮古海上保安署は新庁舎建築中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 宮古海上保安署は、それまで宮古海運局の2階を間借りをしていたものであるが、海事振興会が中心となって、宮古・下閉伊地区の船主や漁協に協力を求めて、全額地元負担で新しい庁舎を建設することになったのである。 それで、宮古市鍬ヶ崎の県有地をに、総工費250万円、木造モ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 6月 1964 ブラザーミシン釜石営業所では社員募集中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 広告欄では、ブラザーミシン釜石営業所が社員募集の広告を出している。 学歴が「旧制中学卒以上」と言う時代でもあったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 6月 1964 映画「奇跡の人」を見た釜石市民の感想(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 6月9日から18日にヘレン・ケラーを描いた映画「奇跡の人」を上映するに際し、試写会を行ったようである。 その試写会の感想を数点広告欄に書いている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1964 釜石・鈴子温水プールが解体開始(昭和39年6月1日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 一時期は「東北唯一の温水プール」として、冬季水泳大会も行われた釜石製鉄所の鈴子プールが、6月1日から解体を始めた。 鈴子プールは、三鬼隆が昭和11年に防火用の貯水池として作ったのが始まりであり、それまでプールのなかった釜石市のために、プールとして釜石市民に開放… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1964 給食の牛乳に大腸菌が発見され保健所が厳重注意(昭和39年6月1日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 釜石市内で、学校の給食の中から大腸菌の汚点のついた牛乳が発見されたのだと言う。 このことを釜石保健所は重く見て、市内の保健所を集めて厳重注意を行うことにした。 そして、4月から5月にかけて行われた牛乳の調査の結果、6つの業者のうち、4つの業者から大腸菌が発見さ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 31 5月 1964 釜石製鉄所の大運動会(昭和39年5月31日) 昭和39年6月1日の岩手東海新聞より。 毎年恒例の釜石製鉄所の大運動会は、5月31日に釜石製鉄所松倉グランドで開催された。 県南バスのストで開催が危ぶまれたが、ストが回避され、各社宅から多くの人が集まって、爆笑と共に各競技が進行された。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 2月 1964 中国・武漢訪問記(S39.2.8岩手東海新聞) 中国の工業化と社会主義建設の現場では、鉄鋼コンビナートの建設が進められていたが、機械が未設置の工場や動力機械が不足している工場もあり、労働者の不満が高まる状況だった。それでも「自力更生」を掲げ、薄板工場や線材工場、パイプ工場の建設が進められていた。労働者は三交代制で働き、休暇を返上して増産に励み、生… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 2月 1964 ‘64川徳オリジナル新入学用品(S39.2.8岩手東海新聞) 昭和39年も新入学商戦に入ろうとしていた。 盛岡の川徳が釜石の岩手東海新聞に広告を出す。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 2月 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 2月 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1964 釜石の人が中国・広州に行ってきた(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人が中国に行ってきたようで、広州に行ってきた印象を語っている。 ちなみに当時は中華人民共和国との国交は無く、国交があった「中国」は中華民国つまり台湾の方。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石の衣料品店は一斉休業日を設けます!(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内の衣料品店で結成される「釜石線維同友会」では、一斉休業日を設けるようにした。 2月は第2・第4火曜日に休むという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 日本計算機は35,000円(S39.2.1岩手東海新聞) 広告欄より。 機械式の「日本計算機」は35,000円であったという。 この時期の大卒初任給は2万円だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 東海製鉄の社長が釜石を訪問(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 愛知県の東海製鉄では、その操業開始に当たって釜石製鉄所の労働者も7〜800人欲していた。 そこで、社長自らが釜石まで来たのである。 希望者は1000人程度いたが、800人弱まで絞ったのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 釜石で「ビル」といえば浜町の市営ビルだった(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の肉屋が広告を売っている。 その名も「ビルの工藤」。 まるで釜石市内にはビルは釜石市営ビルしかないかのように。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 赤羽根スキー場でスキー場開き(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 遠野市と釜石市の間にある赤羽根スキー場でスキー場開きを行ったという。 釜石でスキー場といえば赤羽根スキー場で、昭和の終わりごろになると、笛吹峠の近くに「青ノ木スキー場」がオープンする。 … 続きを読む