備考※6h

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校)    …
「学生野球の父」飛田穂洲が盛岡と福岡で講演(昭和25年7月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「学生野球の父」飛田穂洲が盛岡と福岡で講演(昭和25年7月5日)

昭和25年7月5日の岩手新報より。 「一球入魂」で知られた学生野球の父・飛田穂洲はこの1週間、松尾鉱山にいたのだという。 その飛田穂洲が7月6日に盛岡高校上田校舎で、7月7日には福岡高校で講演するのだという。 一般参加も受け付けるとのこと。      …
新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) l全県

新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報)

昭和25年7月2日の岩手新報の紙面を埋め尽くす熱狂的な記述からは、当時の岩手県民が東北銀行の設立にいかに大きな希望を託していたかが痛いほど伝わってきます。終戦から5年が経過したこの時期、日本経済はドッジ・ラインによる強烈な引き締め政策の渦中にあり、深刻な現金不足とデフレが地方の隅々まで襲っていました…
アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報) l全県

アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報)

昭和25年(1950年)1月15日付の岩手新報に、戦後の空気をよく伝える小さな国際ニュースが載っている。 アメリカの少年少女から贈られた 65個のギフトボックス が、米国赤十字社を通じて日本赤十字社本部に渡り、さらに岩手県支部へと届けられたという記事だ。 Screenshot この贈り物の原資となっ…
釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日付の岩手新報に掲載されたこの広告は、当時の釜石における味噌と醤油の小売店登録に関する挨拶文です。戦後の混乱期を経て、物資の流通を管理していた需給調整規則が改正されたことに伴い、改めて「指定店」として登録を受けた店主たちが連名で広告を出したものです。 文面からは、指定店としての誇り…
入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報に掲載されたこの公告は、現代の私たちにとっては当たり前の存在である病院給食が、実はGHQ主導による医療改革の大きな転換点であったことを物語っています。 当時の日本では、入院患者の食事は家族が付き添って調理したり外部から持ち込んだりする自炊制度が一般的でした。しかし、この…
盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報の紙面を眺めていると、終戦からわずか5年という激動の時代に、当時の盛岡の人々が抱いていた熱い情熱がダイレクトに伝わってきます。 Screenshot 紙面の中央を飾る県都五年後の夢という言葉には、戦後の混乱を乗り越え、新しい都市を自分たちの手で築き上げようとする強い意志…