l全県 7月 2日 1950 新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) 戦後地銀として盛岡に「東北銀行」が誕生する運びとなり、いよいよ大蔵省の認可も通った。 この東北銀行に対する県内の期待の程が伝わってくる。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1950 国立公園候補地!夏の浄土ヶ浜観光案内(昭和25年7月1日) 昭和25年7月1日の岩手新報より。 宮古の浄土ヶ浜は国立公園候補地だったようで、観光案内が大々的に出されている。 … 続きを読む
j東磐井郡 7月 1日 1950 千厩銘酒「玉の春」の井戸が梅雨で埋没(S25.7.1岩手新報) 梅雨による大雨で県南に土砂崩れが発生し、千厩の銘酒「玉の春」の井戸も埋没してしまったというニュース。 ただ、仕込みの時期ではなかったのが不幸中の幸いか。 ちなみに「玉の春」は令和6年現在も千厩で盛業中。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1950 釜石線の土倉トンネルが完成(S25.7.1岩手新報) この時期、釜石線の工事が進んでいるところであったが、陸中大橋〜上有住の土倉トンネルが開通し、路線の敷設を待つばかりとなった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 14日 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 盛岡市内各病院が連名で広告を出しており、「GHQのお達しもあり、必ず給食を食べましょう!」と。 給食代が払えないから食べませんということだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1950 盛岡は5年後こうなる(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 岩手県観光協会では「盛岡の5年後の将来像」を描いている。 そして、これを国分憲吉知事に提出したのだという。 女子師範の跡地に5階建ての県庁を建設。 現在の県庁には盛岡市役所を移す。 市役所と旧警察練習所は取り壊して緑地帯に。 公会堂はホールを3階に。 その周辺を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 13日 1950 繋温泉曙町料亭組合の広告(昭和25年1月13日) 昭和25年1月13日の岩手新報より。 繋温泉曙町料亭組合の広告。 繋温泉にわざわざ「曙町」と入れているということは、他にも町があったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 12日 1950 一関に競輪場?(S25.1.12岩手新報) この時期、一関に競輪場が設置される計画があったようで「5月ごろには完成」などという計画があったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 12日 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 盛岡電話局は機械も古く人手不足(S25.1.12岩手新報) 盛岡電話局管内の加入電話数は1573件であったというが、機械も古く人手不足で、容量はなかったのだと言う。 特に、日中の県庁や市役所は最も通話数が多かったのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1950 岩手郡各町村が「A happy new year!」(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 岩手郡各町村が新春広告。 戦後なので取ってつけたような英語。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 7日 1950 三戸や八戸あたりからも新春広告(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 新春広告は県境を越えて三戸や八戸あたりからも出されていた。 … 続きを読む
l全県 1月 7日 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 11日 1949 宮古や釜石で南海ホークス対大陽ロビンスの試合?(S24.11.11岩手新報) 広告には宮古高校のグランドや釜石・昭和園グランドでプロ野球の南海ホークス対太陽ロビンスの試合が行われるとある。 しかし「スタメンアーカイブ」を見る限りでは、そんな形跡は見られないのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 9日 1949 中央バス上田線がダイヤ改正(S24.11.9岩手新報) 岩手中央バスの上田線がダイヤ改正をするという。 ただし、上田線とはいっても、盛岡バスセンターがある時代ではないので、中の橋の松屋前が出発点だったようだ。 そしてまた、松園営業所があるわけでもないので、終点は上田の師範学校前であったようだ。 2段にわたる記事なので、ついでに他の記事もご覧ありたい。 &… 続きを読む
l全県 11月 9日 1949 県「11月10〜16日は結核予防週間です!」(昭和24年11月9日) 昭和24年11月9日の岩手新報より。 岩手県衛生部・各保健所・岩手県医師会の連名で結核予防週間に関する広告が出されていた。 個人的なことを言うと、BCG検査に関しては小学校の頃(昭和50年代末頃)受けたことがある。 結核は恐ろしい病気だったのだ。  … 続きを読む
c久慈・九戸郡 11月 7日 1949 九戸郡の奥地にも電灯が(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 九戸郡山根村や山形村小国では、それまで電気が通っていなかったが、農林省から補助金が下りることが決まり、「無点灯部落」を脱することができるのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 7日 1949 炊事や採暖にはスズキ式ストーブを!(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 炊事にも使用できるという「スズキ式ストーブ」の広告が出ている。 燃料は「亜炭でも何でも完全燃焼します」とある。 亜炭は、石炭化度の低い、石炭としては質の低いものではあったが、製鉄用などとは違い、家庭用にはこの程度でも十分で重宝されたのだという。 &… 続きを読む