a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1950 アキラ式完全除草器(昭和25年7月5日) 昭和25年7月5日の岩手新報より。 「アキラ式完全除草器」というのがあったようで、盛岡と水沢で一手に売っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1950 盛岡・松竹内丸座で「春の潮」公開!(昭和25年7月3日) 昭和25年7月3日の岩手新報より。 盛岡の松竹内丸座で「春の潮」を公開する。 「春の潮」は昭和25年6月19日公開の松竹作品で、出演は高峰三枝子・若原雅夫など。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 7月 1950 県南バスに35人乗りの大型バス(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県南バスでは35人乗りのいすゞの大型バスを導入するという。 ちなみに180万円とのこと。… 続きを読む
l全県 2 7月 1950 ハエ取り週間で伝染病を予防しましょう!(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県の衛生当局ではハエ取り週間を設け伝染病の予防にこれ努めている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1950 暑波襲来(S25.7.2岩手新報) 盛岡に夏が訪れ、「オフィス・ガール」も日傘を差して歩いている。 おそらくは旧県立図書館のところから中の橋を望んだ写真。 向こうは現在の岩手銀行赤レンガ館。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1950 新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) 戦後地銀として盛岡に「東北銀行」が誕生する運びとなり、いよいよ大蔵省の認可も通った。 この東北銀行に対する県内の期待の程が伝わってくる。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1950 国立公園候補地!夏の浄土ヶ浜観光案内(昭和25年7月1日) 昭和25年7月1日の岩手新報より。 宮古の浄土ヶ浜は国立公園候補地だったようで、観光案内が大々的に出されている。 … 続きを読む
j東磐井郡 1 7月 1950 千厩銘酒「玉の春」の井戸が梅雨で埋没(S25.7.1岩手新報) 梅雨による大雨で県南に土砂崩れが発生し、千厩の銘酒「玉の春」の井戸も埋没してしまったというニュース。 ただ、仕込みの時期ではなかったのが不幸中の幸いか。 ちなみに「玉の春」は令和6年現在も千厩で盛業中。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1950 釜石線の土倉トンネルが完成(S25.7.1岩手新報) この時期、釜石線の工事が進んでいるところであったが、陸中大橋〜上有住の土倉トンネルが開通し、路線の敷設を待つばかりとなった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 盛岡市内各病院が連名で広告を出しており、「GHQのお達しもあり、必ず給食を食べましょう!」と。 給食代が払えないから食べませんということだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 盛岡は5年後こうなる(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 岩手県観光協会では「盛岡の5年後の将来像」を描いている。 そして、これを国分憲吉知事に提出したのだという。 女子師範の跡地に5階建ての県庁を建設。 現在の県庁には盛岡市役所を移す。 市役所と旧警察練習所は取り壊して緑地帯に。 公会堂はホールを3階に。 その周辺を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1950 繋温泉曙町料亭組合の広告(昭和25年1月13日) 昭和25年1月13日の岩手新報より。 繋温泉曙町料亭組合の広告。 繋温泉にわざわざ「曙町」と入れているということは、他にも町があったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 1月 1950 一関に競輪場?(S25.1.12岩手新報) この時期、一関に競輪場が設置される計画があったようで「5月ごろには完成」などという計画があったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
j東磐井郡 12 1月 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 盛岡電話局は機械も古く人手不足(S25.1.12岩手新報) 盛岡電話局管内の加入電話数は1573件であったというが、機械も古く人手不足で、容量はなかったのだと言う。 特に、日中の県庁や市役所は最も通話数が多かったのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1950 岩手郡各町村が「A happy new year!」(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 岩手郡各町村が新春広告。 戦後なので取ってつけたような英語。 … 続きを読む
l全県 7 1月 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む