b二戸・二戸郡 7月 2日 1952 荒沢村の少年窃盗団捕まる(S27.7.2岩手新報) この当時の荒沢村には、少年窃盗団が跋扈していたという。 荒沢村とは、現在の八幡平市安代町。 当時は二戸郡でありながら、警察は沼宮内地区警察署であり、既に「岩手郡」としての実態はあったようだ。 二戸郡安代町が岩手郡となったのは、平成14年(2002年)のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 1日 1952 江刺郡広瀬村では婦人会が卵を売って中学校にミシンを寄付(昭和27年7月1日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 江刺郡広瀬村では中学校が建ったものの、財政が貧乏でミシンすら買えなかった。 それで、婦人会が一念発起して卵を売り、ミシンを寄贈したというのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1952 夏枯れに備え百円セール(昭和27年7月1日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 盛岡市内の商店街は「夏枯れ」の時期が近づいていたが、あの手のこの手で誘客を図っていたようである。 盛岡市大通では「百円セール」を開催していた。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 6月 28日 1952 一戸〜伊保内の県北バス試乗記(昭和27年6月28日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 県北バスの一戸〜伊保内線は6月29日に開業したようだが、それに先立つ6月28日、試乗会が行われた。 その記録。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 17日 1952 花巻職業安定所の庁舎完成(昭和27年5月17日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 花巻職業安定所の庁舎が完成し、県労働部長などが臨席し、竣工式を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 16日 1952 盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 盛岡市日影門外小路(現在の盛岡中央郵便局の通り)の四ツ家教会で和装ながらカトリック式の結婚式。 記事では「牧師は厳かに式を進める」と書いているが、牧師とはプロテスタントの表現で、ここでは「神父」となるはず。 四ツ家教会は令和4年現在でもカトリック教会として現存す… 続きを読む
l全県 5月 8日 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 5月8日のラジオ番組表が掲載されている。 JOQGとはNHK盛岡放送局のこと、JOKRとはTBSラジオのこと。 … 続きを読む
l全県 5月 7日 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月7日) 昭和27年5月7日の岩手新聞より。 ラジオ番組表は以下の通り。 「JORK」とは「JOKR」(現在のTBSラジオ)の誤植だろうか。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 6日 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
l全県 5月 3日 1952 ルチン服用の心得(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、複合ルチンの広告が出ており、「ルチン服用の心得」というのが出ている。 今では、日本そばによく含まれていると言われているが、ルチンというのは一体どのような効能をもたらすのか。 それは、脳溢血の薬だったようである。… 続きを読む
l全県 5月 3日 1952 魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、レスタミンコーワの広告がある。 当時は、「蕁麻疹になるから魚を食べない」と言う人がいたようである。 今では、このような言説はあまり聞かないような気もするが、これは当時の魚の鮮度の問題だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 2日 1952 岩手殖産銀行が創立20周年(昭和27年5月2日) 昭和27年5月2日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手殖産銀行が創立10周年を迎えた事の挨拶広告が掲載されている。 現在でこそ「岩手銀行」となっている岩手殖産銀行であるが、昭和6年当時の金融恐慌から岩手県内の銀行が大同合併して誕生したものである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1952 講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1952 休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 …というか岩手新聞? それはどこの新聞? …と思うところであるが、岩手新報と同じマイクロフィルムのリールに入っていたので、これが4月1日に休刊した岩手新報の後継となるのだろう。 しかし、下の広告には「岩手新報からの復刊」というよりは、全く新しい「創刊」というニュア… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1952 岩手新報は印刷機器の更新のために休刊(昭和27年4月1日) 昭和27年4月1日の岩手新報より。 読者向けに「謹告」が出ている。 それは、輪転機などの印刷機器の更新のために、4月2日以降新聞の発行を休刊すると言うものである。 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 9日 1952 東磐井郡薄衣村の日雇が子供を千葉県の農家に売って検挙(昭和27年1月9日) 昭和27年1月9日の岩手新報より。 東磐井郡薄衣村の貧しい日雇いが、娘や息子を千葉県市川市や松戸市の農家に売ったというのである。 それで国警一関地区警察署が逮捕したというもの。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 5日 1952 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の… 続きを読む