b二戸・二戸郡 1月 10日 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにしたのである。 知事は、二戸警察署長の案内で、馬橇に乗って小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かった。 谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけたが返事がない。 それでもに二戸署長の案内で奥に入ると、中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋では上等うさぎ肉が400<ruby><rb>瓦</rb><rp>(</rp><rt>グラム</rt><rp>)</rp></ruby&g… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡〜日詰のバスは「佐藤自動車部」という事業者が運営していたようだ。 戦時合併で「岩手中央バス」が発足するのは昭和18年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、スケートやホッケーといえば高松の池であったが、暖冬で氷が張らずインカレもできない状態だった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 4日 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(昭和7年1月4日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日に、宮古町で下閉伊郷軍仮装動員がおこなわれた。 職員召集令状によって集められたようで、集まってからは林大佐からの訓示があったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(昭和7年1月1日) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 岩手日報では写真コンクールを行なっていたようで、「皆で笑って」という作品が入選したようである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 30日 1931 村議の男(29)が復縁目当てに放火 昭和6年9月30日の岩手日報より。 記事では「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」とい見出しとなっている。 「お七」とは、井原西鶴「好色五人女」に登場した「八百屋お七」のこと。 八百屋のお七は、江戸の大火で近所の寺で避難生活を送ることになる。 その時に寺小姓の少年と恋仲に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 20日 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工 昭和6年9月20日の岩手日報より。 4月24日に着工した盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場は近く完成の見込みであり、12月1日から作業を開始するという。 完成すれば、客貨車の車輪の交換や洗浄などが行われるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(昭和6年9月15日) 昭和6年9月15日の岩手日報より。 工兵第8大隊と輜重兵第8大隊の連合演習が、日詰付近の北上川両岸で行われることとなった。 これは一定の想定の下に材料授受や渡河の訓練を行うものである。 写真は9月14日盛岡(観武ヶ原?)から日詰に行軍する工八、輜重八の両大隊の隊列。 おそらくは盛岡市内… 続きを読む
l全県 9月 11日 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金 昭和6年9月11日の岩手日報より。 1931年の中国における大水害は、Wikipedia日本語版にも項目が立っているほどである。 このことは当時の岩手県内でも話題になっており、岩手県社会課では1口1円以上で、9月25日まで義捐金を募ることとした。 岩手県庁だけではなく、愛国婦人会岩手県支部でも同様に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者(原文ママ)が、従来の汽火熱式の牛乳消毒殺菌器に替えて、昔のかまどを応用した安上がりな殺菌器を発明したのだという。 汽火熱式の殺菌器は300円かかるが、かまど式の殺菌器であれば、3斗で150円程度だという。 そして燃料も半減できるのだとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日は内丸座でコンラート・ファイト主演のドイツ映画「最後の中隊」と、高田稔・田中絹代主演の松竹映画「朗らかに泣け」を公開するという。 やっぱり邦画と洋画の抱き合わせ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 10日 1931 石鳥谷で秋の祭り 昭和6年9月10日の岩手日報より。 石鳥谷町でも秋の祭典が行われていた。 天気も良く、近在の村々から来客で賑わい、1万人の人出があった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 9日 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社である諏訪神社では9月7~9日の間、祭典が行われた。 黒沢尻の全町では紅白の幔幕を張ってお祝い気分である。 諏訪神社の境内に小屋掛けした見世物も盛況を博していたという。 … 続きを読む
l全県 9月 6日 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 4日 1931 水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) 昭和6年9月4日の岩手日報より。 水沢〜岩谷堂のバス時刻表が掲載してある。 当時は「胆江自動車」と「水岩自動車」が共同運行していたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1931 小学校落成2題(S6.9.3岩手日報) 滝沢村の篠木小学校と、胆沢郡相去村の相去小学校の校舎が相次いで落成したというニュース。 その脇では「日伊のファシスト学生が交歓」と。 ファシストね・・・… 続きを読む
hスポーツ 9月 3日 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 女子陸上選手のさきがけ、人見絹枝はこの1ヶ月前に死去し、話題となっていた。 その原因は過労によるものであるから、薬を飲んで体力をつけましょうという広告。 イラストの野球帽に「M」とあるが、東京の薬屋なので別に盛岡中学(現:盛岡一高)のことではないだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 盛岡市では水道を設置する計画を進めており、米内川にその水源地を求めていた。 盛岡市議会一行が上米内駅で降りて、米内川沿いに歩いてその調査を行なっていた。 … 続きを読む
m県外・参考 9月 1日 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) 一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 1日 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工 昭和6年9月1日の岩手日報より。 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り完成し、9月20日頃祝賀会を行うという。 大まかに言えば水沢と江刺を結ぶ道路上に架けられたのだが、実際には胆沢郡佐倉河村と江刺群愛宕村ということになる。 祝賀会の会場は愛宕村にするべきか、岩谷堂町(昭和33年に江刺市が発足する際の中心… 続きを読む
c久慈・九戸郡 8月 31日 1931 市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日の久慈は市日であり、二十八日町は近郷から来ていた客で雑踏となっていた。 そこへ、軽米自動車組合のナンバー岩29の乗合自動車が突っ込んでくるではないか! 結局、重傷者4名、軽症者2名の大惨事となってしまった。 負傷者は直ちに田村医院と石川医院に運び込まれた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 3日 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日に19歳の少年と21歳の男を被告に開廷された自動車強盗事件の裁判があった。 これは、6月3日に自動車強盗をやろうとして失敗した。というものである。 主犯は19歳の小柄な少年。 青森の下北半島の生まれで、製材工場のエンジン係として働いていた。 そこで主人のト… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 1日 1931 花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日) 昭和6年1月1日の岩手日報より。 この当時の平均寿命はなんと40代前半だった。(厚生省資料より) だから、84歳まで生きたとあっては非常な長寿命だったのである。 … 続きを読む