日: 1926年12月29日

新帝陛下が初の東京御帰還(昭和元年12月29日) m県外・参考

新帝陛下が初の東京御帰還(昭和元年12月29日)

新帝となられた裕仁陛下におかれては、葉山御用邸から御召し列車で東京駅に御帰還される。 昭和元年12月29日の岩手日報に掲載されたもの。 当時であれば電送写真も無かったと思うので郵送されたものだろうか。 また、当時であれば機関車は18900(昭和3年以降はC51)であっただろうか。   &n…
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日) m県外・参考

東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の岩手日報より。 隅田川(墨田川沿い?それとも隅田川貨物駅の近く?)には、岩手県営の木炭倉庫があったのだという。 大正15年の前期は3,000俵が売れたのであるというが、ここ最近の10日間だけで2,500俵が売れたという素晴らしい売れ行きであったという。 これは、中央の木炭問屋が…
大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の岩手日報より。 大正天皇の崩御による第1期喪中(50日間)は、岩手日報で講演する催し物を一切「ご遠慮」することにしたのだという。 「恒例によるもの」という表現の仕方がよく分からないが、以下の行事は自粛しますということ? それとも「他の催しは自粛視点もこれだけは恒例通り行います」…