日: 1927年1月6日

貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 盛岡駅北側の貨物列車入換線で、貨車連結中の19歳の連結手は10両編成の貨車に飛び乗ろうとしたら、「寒気の為に」靴を滑らせて線路上に転倒し、悪いことにその貨車に引かれて両肩と顔面に重傷を負い人事不省で岩手病院に収容されたのだという。 このように、貨車の連結は特に危険な…
盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(昭和2年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(昭和2年1月6日)

昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正天皇崩御の諒闇のうちに昭和は始まったが、盛岡市内ではすでに24人の赤ちゃんが生まれていた。 それで「和子」ちゃん、「和一」くん、「昭一」くんと、元号にちなんだ名前が多数生まれていた。 記事では「つい最近まで大正っ子なんて言って新しがっていたのに」と移り変わりの速…