a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 2月 1933 今度は川徳が呉服雑貨大売出しを1面広告(昭和8年2月28日) 昭和8年2月28日の岩手日報より。 この時期にたまにあった1面トップの広告。 今度は川徳の呉服雑貨大売出し。 … 続きを読む
備考※1 24 2月 1933 【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」 岩手とは直接関係ないニュースではあるが、時代相を知る資料として。 満州事変の事実関係の調査を行った「リットン調査団」の調査報告書を国際連盟の場で採択することになった。 要は「日本が悪い。満州から手を引け」と。 松岡洋右は流暢な英語で長広舌の演説を行ったが、結局は42対1で採択される。 これに対し、松… 続きを読む
l全県 24 2月 1933 映画広告より多かったレコード広告(昭和8年2月24日) 昭和8年2月24日の岩手日報より。 戦前の新聞広告は、映画広告よりレコード広告の方が圧倒的に多い印象がある、 これはコロムビアレコードの広告。 … 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年2月2日付の岩手日報を開くと、当時の岩手の人々がどのような緊張感の中にいたのかが鮮明に伝わってきます。この記事が書かれた当時、満州事変から続く情勢は緊迫の度を増していました。その象徴ともいえるのが、1月初旬に発生した山海関での衝突です。万里の長城の東端に位置し、満州と中国本土を繋ぐ要衝であっ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 2月 1933 三陸汽船が月3回の東京〜八戸航路を計画中(S8.2.1岩手日報) 昭和初期の三陸において、海路は人々の暮らしと経済を繋ぐ最大の大動脈でした。昭和八年二月一日付の岩手日報には、当時の三陸沿岸を象徴する企業である三陸汽船株式会社が、八戸、三陸沿岸、そして東京を結ぶ新たな航路の開拓を計画していたことが詳細に報じられています。 この記事の主役である三陸汽船は、明治四十一年… 続きを読む
j東磐井郡 1 2月 1933 東磐井郡興田村で電灯引く引く詐欺(S8.2.1岩手日報) 昭和八年二月一日付の岩手日報を開くと、当時の岩手県における光と影が混ざり合った二つの事件が目に飛び込んできます。 まず右側の記事に綴られているのは、電灯のない村の希望を逆手に取った卑劣な詐欺事件です。犯人は宮城県牡鹿郡石巻町新田町に住む西城一郎という三十五歳の男でした。彼は岩手県東磐井郡興田村、現在… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 昭和8年2月1日付の岩手日報に掲載された「三味線とハーモニカ ― 最も多かった二つ」という記事は、当時の家庭における音楽文化の変遷を鮮やかに描き出しています。一関小学校が情操教育の参考資料として、児童の家庭にある楽器を調査したこの記録からは、和の伝統と洋の新しい波が混ざり合う、当時のモダンな生活風景… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む