i一関・西磐井郡 3 11月 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 毎月1日は興亜奉公日(S16.11.2新岩手日報) 昭和十四年以降、毎月1日は「興亜奉公日」として、弁当は日の丸弁当にすることなどが定められていた。 盛岡市内でも、興亜奉公日の遥拝などが展開されていた。 … 続きを読む
l全県 2 11月 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1941 電撃宰相東條さん「国を強くする為に皆んな働かう!」(S16.11.1新岩手日報) 時の宰相東條英機が大政翼賛会の会合で演説をする。 「国を強くするために皆んなで働こう!」 戦争とは例外なく職場をブラックにするものだ。 … 続きを読む
m県外・参考 3 8月 1941 アメリカが対日石油輸出停止(S16.8.3新岩手日報) 【歴史の断片】昭和16年8月3日、運命の「石油禁輸」が報じられた日 今回、昭和16年(1941年)8月3日付の「新岩手日報」の紙面を入手しました。 真珠湾攻撃のわずか4ヶ月前、日本が国際的な孤立を深め、太平洋戦争へと突き進んでいく緊迫した時代の空気が生々しく伝わってきます。 Screenshot 当… 続きを読む
m県外・参考 28 7月 1941 オランダ・メキシコも対日資産凍結令(S16.7.28新岩手日報) 【歴史遺産】昭和16年7月28日「新岩手日報」が伝える、開戦直前の緊迫 今回入手したのは、今から80年以上前、昭和16年(1941年)7月28日付の「新岩手日報」の紙面です。 Screenshot 真珠湾攻撃のわずか4ヶ月前。世界が、そして日本が決定的な破局へと突き進んでいたその瞬間の「空気」が、こ… 続きを読む
m県外・参考 27 7月 1941 アメリカ資産凍結令に対抗措置(S16.7.27新岩手日報) 歴史の断片:昭和16年7月27日 【新岩手日報】開戦4ヶ月前、世界が凍りついた日の記録 今回ご紹介するのは、今から80年以上前、昭和16年(1941年)7月27日発行の「新岩手日報」の一面です。 Screenshot この日付は、歴史的に極めて重要な意味を持ちます。太平洋戦争(真珠湾攻撃)が始まるわ… 続きを読む
m県外・参考 27 7月 1941 アメリカ対日資産凍結令(S16.7.27新岩手日報) 【歴史の断片】昭和16年7月27日、新聞が伝えた「開戦前夜」の緊迫 先日、非常に貴重な歴史的資料を目にする機会がありました。昭和16年(1941年)7月27日付の「新岩手日報」です。 Screenshot 同年12月の真珠湾攻撃まであと半年足らず。日米関係がいよいよ破局へと向かう、まさに「開戦前夜」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 2月 1941 岩手医専・岩手病院で防空演習(S16.2.5新岩手日報) 昭和16年2月という時期は、その年の12月に控えた太平洋戦争の開戦から遡ることわずか10ヶ月前という非常に緊迫したタイミングでした。当時の日本は前年に日独伊三国同盟を結び、アメリカとの対立が抜き差しならない状況にありましたが、その一方で駐米大使が交渉のために現地へ到着するなど、外交による破局回避を模… 続きを読む
l全県 24 12月 1940 大政翼賛会岩手県支部発足(S15.12.24新岩手日報夕刊) 皆さん、こんにちは。 今日は、歴史の1ページを紐解く貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から84年前、昭和15年(1940年)12月24日付の『新岩手日報』夕刊(実際の発行は23日)です。 この日の紙面を埋め尽くしているのは、岩手県における戦時体制の大きな転換点、**「大政翼賛会 岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1940 紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報) 昭和十五年八月四日の『新岩手日報』には、紀元二千六百年を祝う「聖戦博覧会」の地鎮祭の様子が報じられている。 会場となったのは、盛岡市内丸の商品陳列所前の広場。桜山神社の宮司を招き、盛大に執り行われたという。 Screenshot 記事の見出しには「豪華殿堂輝やく礎」「聖戦博の地鎮祭」とあり、戦時色が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1940 盛岡の花柳街も戦時体制(S15.8.3新岩手日報) 戦時体制も本格的になり、盛岡の花柳街の八幡町・本町でもカンバン(閉店時間)の厳守など締め付けが厳しくなってきた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1940 盛岡で「聖戦銃後博覧会」、興亜奉公日は芸妓さんも「一日戦死」(S15.8.2新岩手日報) この時期は戦争モードとなっており、パワーワードが並ぶ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 9月に盛岡で紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会を開催!(S15.8.1新岩手日報) 9月には盛岡の岩手公園や桜山神社境内などで「紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会」を盛大に開催するのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理親任式のタイミングで盛岡市民旗行列大会(昭和15年1月16日) 昭和15年1月17日の岩手日報より。 総理大臣就任を受諾した米内光政の親任式は1月16日に行われることとなった。 このタイミングで郷里・盛岡市では岩手公園広場で市民旗行列大会が行われた。 この日の朝の最低気温は-16.3℃。 それでも岩手公園は日の丸で埋め尽くされることになった。 親任式の始まった午… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 岩手県から3人目の総理大臣に、米内光政生家の近隣住民も盛岡弁で喜びを語る(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 何しろ岩手から3人目の首相が選出されたことに地元は大歓喜である。 そもそも、前任の首相・阿部信行のミッションが日中戦争の収拾であり、それがうまくいないなかったということは周知の事実だったようである。 そして後任は同じ陸軍の畑俊六陸相がなるのだろう。 「銃後民衆の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1940 燃料代の高騰で盛岡市内の銭湯の休業が相次ぐ(昭和15年1月14日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 盛岡市内の銭湯は、燃料代の高騰で休業が相次いでいたのだという。 「自宅に風呂があるのが当たり前」という時代ではない。 風呂に入りたければ銭湯に行くというのが当たり前の時代だった。 盛岡市の中心部である菜園には460戸の家があったが、「南部浴場」が休業していたので… 続きを読む
m県外・参考 14 1月 1940 米内光政海軍大将(盛岡出身)に大命降下し総理大臣に!!!(昭和15年1月14日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 1面トップで、海軍大将の米内光政が内閣総理大臣の大命が下り、それを拝することとした旨を伝えている。 岩手県出身者としては原敬、斎藤実に次ぐ3人目の総理大臣となる。 前任の阿部内閣は昭和14年8月に発足したものの、半年あるか無いかのうちに倒壊してしまった。 予備役… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 8月 1939 盛岡・城南小学校で日独伊親善図書展覧会(昭和14年8月11日) 昭和14年8月11日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市立城南小学校で「日独伊親善図書展覧会」を行うという。 公演しているのは外務省・文部省・陸軍省・海軍省・ドイツ大使館・イタリア大使館。 完全に国策行事であった。 時代相としては、ベルリンで日独伊三国同盟が調印される前年となる。 しかし昭和12年の時点… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1939 米内内閣の政務次官・鶴見祐輔が来県し対米情勢について語る(昭和14年8月10日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 米内内閣で内閣政務次官となった鶴見祐輔代議士は、岩手県選挙粛清委員会のため盛岡に来ていた。 そして水沢と一関にも立ち寄ってあわただしく帰京したが、岩手日報の記者に対米問題について語っていた。 米国の通商条約破棄(日米通商航海条約)はあまりに突然の通牒で、アメリカ… 続きを読む
m県外・参考 9 8月 1939 鉄道省「不要不急の旅行は止めましょう!…でも健康の為に徒歩旅行はしましょう」(昭和14年8月9日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 かねて、鉄道省では「不要不急の旅行は止めましょう!」と呼び掛けてきた。 それは、軍需輸送の為に貨物を優先するためである。 ・・・が、運動をしないことで青年たちの健康に差し障っている事も問題とされていたようである。 それで、「青年徒歩旅行コース」として全国に30か… 続きを読む
l全県 20 7月 1939 愛国婦人会岩手県支部が各町村を回り慰問映画会 昭和14年7月20日の岩手日報より。 愛国婦人会岩手県支部では、映画班を組織し応召軍人の家族などの為に映画会をして歩くことにした。 そのことで愛婦精神を高めようという目的もあったのだ。 そこで、6,000円を投じて16ミリトーキー映写機や18編のフイルムを購入、7月17日には上閉伊郡達曽部村で、18… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 7月 1939 県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業 昭和14年7月20日の岩手日報より。 この年、戦時中の技術力確保を目的として全国に7校の高等工業学校が開校した。 (室蘭、盛岡、多賀、大阪、新居浜、宇部、久留米) そのうちの1校である盛岡高等工業学校は最初は盛岡夜間中学校(現:杜陵高校)の敷地に仮開校した。 本校舎を上田(現在の岩手大学工学部)に設… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 19 7月 1939 黒沢尻(北上)の踏切の自殺は徴兵検査に不合格を悲観?(昭和14年7月19日) 昭和14年7月21日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)の黒沢尻中学校前の踏切で、列車が驀進中に白面の青年が飛び込み自殺したのだという。 調べるとそれは稗貫郡宮野目村(現:花巻市宮野目)の21歳の洗濯店外交員で、平常通り店から外交に出たまま行方が分からなくなっていたという。 先日の徴兵検査に不合… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 19 7月 1939 なぜ陸前高田の徴兵検査は甲種合格が2割5分しかない?(昭和14年7月19日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 気仙郡3町20村での徴兵検査は7月13日~17日の間に各小学校の校庭で行われた。 甲種合格はの最高は下有住村で73%、最低は高田町で25%であったという。 なぜこうも陸前高田で低かったのか・・・? 各町村の甲種合格の状況は以下の通り。 唐丹村 50% 横田村 4… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 7月 1939 日支事変2周年で飲食店ではアルコール自粛(S14.7.8岩手日報) 昭和14年7月8日付の岩手日報には、日中戦争の開戦から2周年を迎えた前日の岩手県内の様子が詳細に記されています。昭和12年7月7日の盧溝橋事件に端を発した事変の記念日として、県内では酒類の販売や飲酒を自粛する動きが徹底されました。 Screenshot 記事の冒頭では、盛岡警察署管内において酒のサの… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1939 朝香宮殿下は花巻・黒沢尻(北上)から釜石へ(S14.7.4新岩手日報) 昭和14年7月4日の新岩手日報の紙面を紐解くと、当時の岩手県が国策の重要拠点としていかに緊張感と活気に満ちていたかが鮮明に浮き彫りになります。 Screenshot この日の報道の中心となっているのは、昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦王殿下の県内視察です。朝香宮殿下は陸軍大将として軍部でも重きをなし… 続きを読む