a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡市長選挙に南部家の末裔が立候補?(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 この日が、夕刊いわての創刊号であったが、トップ記事は盛岡市長選挙。 なんと、南部家の末裔が立候補するのではないかと言う記事。 … 続きを読む
m県外・参考 28 9月 1948 岩手県教組が教育委員選挙に関するデマに対する反論声明(昭和23年9月28日) 昭和23年9月28日の岩手新報より。 この頃、教育委員は選挙で選んでいた。 教育委員の選出の対立軸はやはり保守対革新で、組合側も各自治体で教育委員候補を擁立していた。 そこへ「多数の候補を擁立して選挙事務の妨害を図っている」というデマが流されたようである。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 4月 1947 第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり 自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 7月 1942 翼賛議員による初の花巻町議会(昭和17年7月2日) 昭和17年7月4日の新岩手日報より。 記事そのものの表現を借りると「花巻町翼賛選良の新町会」。 既に政党は「大政翼賛会」となっていた。 地方議会レベルでも翼賛会の動きが出ていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む