農業

矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報)

昭和9年9月1日の岩手日報を開くと、そこには当時の矢巾地域が誇った圧倒的な活気と、世界を見据えた壮大な物語が記録されています。 徳田信用組合と、不動村・煙山村が経営する矢幅信用組合が共同で進めてきた県下一の巨大倉庫が、この日ついに業務を開始しました。この大事業は本春3月から着工されたもので、収穫期を…
あまりの凶作に犬猫まで殺して食べることに e釜石・遠野・上閉伊郡

あまりの凶作に犬猫まで殺して食べることに

昭和9年は天候不順により凶作の年となった。 どこかの村では、楢の実を食べて露命をつないでいたが、ついにそれも食べ尽くし、犬や猫まで殺して食べることにしたのだという。 この情報を聞いた県では、救済策を講じることになった。 ちなみに、小学校の児童は給食で命をつないでいるという。  …
ブラジル移民大募集(S8.3.2岩手日報) l全県

ブラジル移民大募集(S8.3.2岩手日報)

昭和8年、日本がブラジル移民を強力に推進した背景には、当時の社会が直面していた深刻な行き止まり感がありました。1920年代後半からの経済不況は、1929年の世界恐慌で決定的なものとなり、特に農村部は壊滅的な打撃を受けました。当時の日本は人口が急増していた一方で、国内の耕地面積には限界があり、あふれた…
岩手県商品陳列所で菊花品評会(S7.11.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県商品陳列所で菊花品評会(S7.11.3岩手日報)

昭和7年11月3日付の『岩手日報』には、盛岡の岩手県商品陳列所で行われた菊花品評会の様子が写真入りで紹介されている。 場所は、現在のもりおか歴史文化館の位置、すなわち戦前は岩手県立図書館が置かれ、その前身的機能として商品陳列所が使われていた場所である。 Screenshot この日、商品陳列所の館内…
凶作地で身売りをする前に愛国婦人会が100円貸して更正させます(S7.1.25岩手日報) l全県

凶作地で身売りをする前に愛国婦人会が100円貸して更正させます(S7.1.25岩手日報)

【歴史の断片】娘の身売りを食い止めろ――昭和7年、凶作の岩手に差し伸べられた「救いの手」 先日、非常に重みのある歴史資料を目にする機会がありました。昭和7年(1932年)1月26日付の「岩手日報」の記事です。 Screenshot そこには、現代の私たちには想像もつかないほど過酷な、当時の東北地方の…
石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) b二戸・二戸郡

石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報)

昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた…
農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報) m県外・参考

農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報)

二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。 この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。 昭和6年の「二百十…
「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報) d宮古・下閉伊郡

「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報)

昭和4年(1929年)9月5日、東京帝国大学(現・東京大学)の渡辺助教授が、下閉伊郡小国村での農村調査を終えて盛岡を訪れ、その晩21時28分発の列車で青森へ向かった。その調査結果は、きわめて厳しいものであった。 調査によれば、小国村は原始共産制に近い共同体構造を持っており、さらに「隠し念仏」と呼ばれ…
仙北町裏田んぼでイナゴ取り(S4.9.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

仙北町裏田んぼでイナゴ取り(S4.9.3岩手日報)

この日の紙面に掲載されたのは、わずか1枚の写真記事でした。 盛岡市仙北町の裏田んぼにて、数人の女性や子どもたちが、虫取り網や手桶を携え、イナゴを採っている風景が写っています。 記事の見出しは「イナゴはとられる」と簡潔にして印象的。 夏の終わりから初秋にかけて、農村ではイナゴを食料として採集する風習が…
二百十日は無事に過ぎる(S4.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

二百十日は無事に過ぎる(S4.9.2岩手日報)

昭和4年9月2日の『岩手日報』によれば、農家にとって最も恐れられる「二百十日(にひゃくとおか)」——台風の来襲が多い厄日——が、今年は大きな被害もなく無事に過ぎたという。 掲載された写真は、盛岡市梨木町の田んぼの様子と思われる。黄金色にたわわに実った稲が、風にそよぎ、秋の穏やかな陽射しのもとに静かに…
震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) l全県

震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報)

昭和4年9月1日付の岩手日報には、「けふは二百十日、そして震災記念日」と題された記事が掲載されている。 9月1日といえば、関東大震災の発生日として広く記憶されている。1923年(大正12年)のこの日、首都圏を中心に未曾有の大地震が襲い、多数の死傷者と甚大な被害をもたらした。この出来事を契機に、9月1…
農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に…
盛岡市加賀野の田んぼで苗代かき(S2.4.22岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市加賀野の田んぼで苗代かき(S2.4.22岩手日報)

昭和2年4月22日の岩手日報に掲載された一枚の写真は、当時の盛岡の日常を鮮やかに切り取っています。 Screenshot この日付は日本経済が大きく揺れ動いた昭和金融恐慌の真っ只中であり、高橋是清蔵相が支払猶予令、いわゆるモラトリアムを断行した歴史的な日でもありました。世間が銀行休業のニュースに騒然…
江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10)

昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄…
農家の売り惜しみで米が出回らず f花巻・稗貫郡

農家の売り惜しみで米が出回らず

昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった…
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報)

昭和元年、岩手県紫波郡では深刻な旱魃(干害)が発生し、農作物に甚大な被害が出た。この災害は新聞などでも広く報じられ、県内外から支援と同情の声が寄せられていた。 そうした中、花巻市湯本地区(当時の稗貫郡湯本村)の湯本尋常高等小学校では、赤十字少年団に所属する5人の児童が「自分たちにもできることを」と考…