i一関・西磐井郡 14 9月 1948 大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ! 昭和23年9月14日の岩手新報より。 盛岡鉄道管理局が発足する昭和25年より以前は、東北の鉄道は仙台鉄道局の管轄であった。 その中でも「仙台管理部」「盛岡管理部」とあったのだが、大船渡線はこの時点では仙台管理部の管轄であった。 これを、盛岡管理部に移管しようという話になったのだが、沿線の市町村会がこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 9月 1948 盛岡の馬検場で自動車祭を開催します!(昭和23年9月14日) 昭和23年9月15日の岩手新報の広告欄より。 盛岡市馬検場にて、市内の各自動車販売店が集まって「自動車祭」を行うという。 トヨタ・いすゞ・日産共に、岩手県内の販売拠点はなぜか菜園にあった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1948 赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) 昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1948 松尾鉱山で従業員募集。月収は1,600~6,000円(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手県と松尾鉱山では松尾鉱山の従業員を募集している。 月収は1,600円~6,000円。 どんな職種なら1,600円で、どんな職種なら6,000円だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
事件・犯罪・司法 26 1月 1948 【参考】帝銀事件 TBSスパークルの画像より。 岩手県には直接関係のないニュースではあるが、時代相を表す参考資料として。 ちなみに、このブログの管理人の祖父は郵便局に勤めていたが、この事件のニュースを聞き「うっかりお茶も飲めないな」と同僚と話していたいたという。 https://www.youtube.com/wat… 続きを読む
m県外・参考 3 12月 1947 アメリカの産児調節相談所(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 広告欄には「アメリカの産児調節相談所」の広告。 別に盛岡など岩手県内に来る訳ではなく、東京の代理店的な所が新岩手日報に広告を出していたというもの。 内容はペッサリーの使い方なので、女性側の避妊方法ということのようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1947 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会を開催するという。 古着に根強い需要があったということだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 9月 1947 トヨタ小型トラック(トヨペット)発表会(昭和22年9月27日) 昭和22年9月27日の新岩手日報より。 広告欄では、岩手トヨタが菜園で小型トラックの発表会をするという。 それなりの規模の事業者が相手であったとおもわれる。… 続きを読む
g北上・和賀郡 24 9月 1947 和賀地区衣料品登録店立候補者名簿(昭和22年9月24日) 昭和22年9月24日の新岩手日報より。 和賀地区(北上周辺)の衣料品登録店立候補者名簿であるという。 立候補というからには投票などがあったのだろうか。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1947 二百十日が無事過ぎる(S22.9.3新岩手日報) 台風の特異日である「二百十日」は、農家にとって収穫を根こそぎ奪われるリスクの高い日で恐れられていた。 この年は、無事平穏に済んだようである。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1947 退蔵物資の摘発隊が盛岡を襲う(S22.9.2新岩手日報) この時期、全国的に「退蔵物資」が問題になっていた。 そこで、仙台地方経済安定局の摘発隊が盛岡に到着、市内各地を回って摘発に回った。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1947 岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) 昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 9月 1946 岩手開拓公社が時局講演会(昭和21年9月9日) 昭和21年9月9日の新岩手日報より。 岩手開拓公社が「時局講演会」と言う戦時中じみた講演会をするのだと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1946 日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) 昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ… 続きを読む
l全県 24 7月 1946 県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) 昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 花巻税務署「供米完納者に所得税がかかるなんてデマですよ!」(S21.7.1新岩手日報) この時期、県内の米どころ・花巻町周辺ではある噂が流れていた。 「米の供出を完遂したら所得税が重くかかる」 この噂を否定するために、花巻税務署員は躍起になっていた。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1946 樺太からの脱出者に聞く樺太の現状(昭和21年7月1日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 終戦後10か月余り、ソ連に占領された南樺太で生活を続け、昭和21年に年が明けてから脱出した宮古市内の30歳の男性に、終戦後の樺太の様子を聞くことにした。 終戦時の混乱 国境近くの気屯飛行場で警備にあたっていた。 その後敷香まで土工を率いて敷香に行くことを命ぜられた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1945 盛岡市本宮で早場米(S20.10.30新岩手日報) 【時をかける盛岡】イオンモール盛岡南の場所は、かつて「希望の米」を運ぶ拠点だった 皆さんは、盛岡市本宮にある「イオンモール盛岡南」によく行かれますか? 今や盛南開発の中心地として、ショッピングや映画で賑わうこの場所。しかし、今から約80年前のこの地には、今とは全く違う、しかし同じくらい切実な「活気」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1945 盛岡中劇・第一劇場で「そよかぜ」公開(S20.10.31新岩手日報) 昭和20年10月31日、盛岡の空に吹いた「そよかぜ」 〜焼け跡に響いた「リンゴの唄」と映画館の紅白模様〜 終戦からわずか2ヶ月半。まだ街に空襲の傷跡が生々しく残る中、人々は何を心の支えにしていたのでしょうか。 Screenshot 手元にある昭和20年10月31日の「新岩手日報」(現在の岩手日報)の… 続きを読む
l全県 17 8月 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む