a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 5月 1952 岩手殖産銀行が創立20周年(昭和27年5月2日) 昭和27年5月2日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手殖産銀行が創立10周年を迎えた事の挨拶広告が掲載されている。 現在でこそ「岩手銀行」となっている岩手殖産銀行であるが、昭和6年当時の金融恐慌から岩手県内の銀行が大同合併して誕生したものである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1952 講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1952 休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 …というか岩手新聞? それはどこの新聞? …と思うところであるが、岩手新報と同じマイクロフィルムのリールに入っていたので、これが4月1日に休刊した岩手新報の後継となるのだろう。 しかし、下の広告には「岩手新報からの復刊」というよりは、全く新しい「創刊」というニュア… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1952 岩手新報は印刷機器の更新のために休刊(昭和27年4月1日) 昭和27年4月1日の岩手新報より。 読者向けに「謹告」が出ている。 それは、輪転機などの印刷機器の更新のために、4月2日以降新聞の発行を休刊すると言うものである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 2月 1952 貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!? 昭和27年2月25日の18時45分、青森発大宮行きの貨物列車が14分遅れで盛岡駅に到着した。 そうしたところ、連結されているはずの貨車の後ろ12両が無くなっているではないか! 調べてみたら、その12両は滝沢駅にあった。 何者かが意図的に連結器を外したに違いない。 事件は盛岡警察署に連絡され、捜査が始… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1951 美空ひばりが岩手県公会堂で東北地方初公演!(昭和26年8月10日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 美空ひばりが東北地方で初めて、岩手県公会堂で公演を行うのだという。 それは突如決まったことのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1951 東京大歌舞伎が盛岡劇場でお盆特別大興行!(昭和26年8月9日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 東京大歌舞伎が盛岡劇場で興行を行うという。 前売券は三百五十円とのこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1951 橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) 昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 8月 1951 「盛岡銀座」肴町納涼祭の広告(昭和26年8月8日) 昭和26年8月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には肴町の納涼祭の広告が。 肴町は「盛岡銀座」をもって自認していたようである。 現在でもあるのは東山堂書店、繁田園、岩舘電気などであろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1951 8月10日に天才歌手・美空ひばり一行が来盛します!(昭和26年8月7日) 昭和26年8月7日の「夕刊いわて」より。 美空ひばり一行が盛岡に来るのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1951 土用の丑の日はみんなで牛肉を食べましょう!(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 8月5日日は土用の丑なので「う」の付く「牛」を食べましょうと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1951 保全経済会の盛岡支部は三戸町(本町通)にあった(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 保全経済会の支部は盛岡にもあった。 三戸町というので現在の本町通2〜3丁目にあったのだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1951 「街の子」は盛岡にもいた(S26.8.3夕刊いわて) 昭和26年、美空ひばりは「私は街の子」をリリース。 「街の子」とは軒先で歌を歌ってお金をもらい歩いていた子供だ。 それは盛岡にもいたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1951 盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて) この当時、盛岡で電報が打てるのは中央通にある盛岡電報電話局の他、駅前・本町・上田・仙北町と、仙北町以外は河北で、肴町・八幡町といった河南は電報の打てる所が無い状態だった。 仙北町駅前にしたって、明治橋を渡っていかないといけないわけで、そういう意味では狭義の「河南」には皆無という状態だった。 それで新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1951 盛岡鉄道管理局1周年のご挨拶(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡鉄道管理局は開設され1周年を迎えた。 そこで幹部が挨拶広告。 当時の盛鉄局の問題も見て取れよう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1951 葺手町不動尊祭典(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡市葺手町(バスセンター周辺)の長福院では祭典を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 7月 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む