橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日)

昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。

現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。

昭和19年10月から橋場線はこの盛岡駅北口を使っていたようであるが、橋場線の通勤者からの要請と経営合理化の観点から、8月1日からこの北口を本駅に統合することにしたのである。

ところが、そのことで、北口に近い新田町、材木町、茅町の商店街は売り上げが半減してしまった。

そこで、盛鉄局に「簡易停車場でもいいから復活してくれ」と要請することになった。

しかし、盛鉄局の答えは、
{北口の本駅との統合は、通勤者の養成と経営合理化から行ったもの。新田町や材木町の商店街が寂れるというのは分かるが、だからと言って復活させるというのは、廃止の趣旨に反するので考えていない。国鉄は公共企業体であるから公共性を十分に考えなければいけないが、公共性は一部の人のためではない。公共性という意味では、北口からずっと歩いて盛岡駅で乗り換えるというのは不便だったのだ」

 

 


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