l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 16 1月 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
l全県 2 11月 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
l全県 20 7月 1939 愛国婦人会岩手県支部が各町村を回り慰問映画会 昭和14年7月20日の岩手日報より。 愛国婦人会岩手県支部では、映画班を組織し応召軍人の家族などの為に映画会をして歩くことにした。 そのことで愛婦精神を高めようという目的もあったのだ。 そこで、6,000円を投じて16ミリトーキー映写機や18編のフイルムを購入、7月17日には上閉伊郡達曽部村で、18… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 愛国婦人会は銃後の母や未亡人に相談会 昭和14年7月1日の岩手日報より。 日中戦争が激化している昨今、愛国婦人会岩手県支部では戦地に大黒柱を送っている、または戦死した留守宅の夫人を相手に相談会を開催するという。 7月中旬から8月にかけて、盛岡市や県下30町村で銃後家庭強化相談会を行うという。 &… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
l全県 7 8月 1938 「シャープ」ブランドは戦前からあった 半濁点売却騒ぎなどでTwitterでは勇名を馳せるあの「シャープ」であるが・・・ https://twitter.com/SHARP_JP/status/649795452095754240 じつは戦前から「シャープ」ブランドはあった模様。 昭和13年8月7日、NHKラジオ盛岡放送局の開局を祝う新岩… 続きを読む
l全県 28 4月 1938 南部鉄瓶は不要不急!軍需工業に転換せよ!(S13.4.28新岩手日報) 商工省は、不要普及の製品の製造を品目ごとに制限して、軍需工業に転換する方針にしたという。 … 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
l全県 3 3月 1935 事変従軍徽章は県内3000名(S10.3.3岩手日報) 「今次事変の従軍者」・・・とあるが、この時点の「事変」とは、昭和6〜7年の満州事変だろうか。 ともかくもその事変に従軍したのが岩手県内では3000名であるとのことで、その徽章が届いたと言うニュース。… 続きを読む
l全県 8 2月 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
l全県 10 9月 1934 東北・北海道の米咲は全く絶望で昭和6年以上の凶作予想(昭和9年9月10日) 昭和9年9月10日の岩手日報より。 昭和9年は、東北や北陸の水害、九州の干ばつ、それに関東・北陸・東北一帯の長雨という常軌を逸した天候で、全国的に水稲も作柄は悪いことがほぼ決定してしまった。 8月になって天候は回復したが、これも焼け石に水であり、場所によっては害虫や稲熱病等が発生し、農林省の調査によ… 続きを読む
l全県 2 3月 1933 ブラジル移民大募集 昭和8年3月2日の岩手日報より。 岩手県庁がブラジルへの移民を募集している。 「3人以上の家族に限る」としているのは、労働力を求めていたサンパウロ州政府側がそのように求めていたため。 … 続きを読む
l全県 24 2月 1933 映画広告より多かったレコード広告(昭和8年2月24日) 昭和8年2月24日の岩手日報より。 戦前の新聞広告は、映画広告よりレコード広告の方が圧倒的に多い印象がある、 これはコロムビアレコードの広告。 … 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年3月1日、日中戦争で山海関の戦いがあったが、本県出身の将兵も戦いに参加していた。 戦死した兵士は新聞に名前が載り、負傷兵は新聞の取材を受けていた。… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金 昭和6年9月11日の岩手日報より。 1931年の中国における大水害は、Wikipedia日本語版にも項目が立っているほどである。 このことは当時の岩手県内でも話題になっており、岩手県社会課では1口1円以上で、9月25日まで義捐金を募ることとした。 岩手県庁だけではなく、愛国婦人会岩手県支部でも同様に… 続きを読む
l全県 6 9月 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
hスポーツ 3 9月 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 女子陸上選手のさきがけ、人見絹枝はこの1ヶ月前に死去し、話題となっていた。 その原因は過労によるものであるから、薬を飲んで体力をつけましょうという広告。 イラストの野球帽に「M」とあるが、東京の薬屋なので別に盛岡中学(現:盛岡一高)のことではないだろう。… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 県内各企業の年始広告(S6.1.1) 岩手県内各企業の年始広告。 岩手軽便鉄道は花巻町に本社があった。 当時の岩手銀行はのちにこの第九十銀行、第八十八銀行と合併し陸中銀行に、それが岩手殖産銀行に岩手貯蓄銀行ともども戦時合併し、現在の岩手銀行となる。 … 続きを読む
l全県 1 3月 1930 岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に… 続きを読む