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岩手県公会堂で県下農民大会(S23.12.11岩手夕刊新聞) l全県

岩手県公会堂で県下農民大会(S23.12.11岩手夕刊新聞)

昭和23年12月11日の岩手夕刊は、戦後の農地改革によって自らの土地を手にした農民たちの歓喜と、新しい時代の責任を静かに伝えています。この記事が発行された当時の日本は、まさに「農民解放」という歴史的な転換点にありました。 Screenshot 同年11月23日、東京では工業倶楽部で農民解放記念祭が開…
ピコちゃん「パパの忘れ物」(昭和23年9月16日) l全県

ピコちゃん「パパの忘れ物」(昭和23年9月16日)

昭和23年9月16日の岩手新報より。 連載の漫画「ピコちゃん」では、パパが会社に行こうとしている。 勤め人より自営業が多かったこの当時、ピコちゃんのパパはサラリーマンだったらしいので、それなりに学識はあったのだろう。 でも注意力は散漫だったようで、傘を忘れてしまう。 でもピコちゃんは「また戻って来る…
政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) l全県

政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日)

昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ…
初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報) l全県

初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報)

【歴史の1ページ】1947年4月7日:岩手初、伝説の「農民知事」国分謙吉誕生! 終戦からわずか2年。それまでの中央政府から派遣される「官選知事」ではなく、県民が自らの手でリーダーを選ぶ、初めての岩手県知事選挙が行われました。 Screenshot 手元にあるのは、1947年(昭和22年)4月7日付の…
県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) l全県

県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報)

昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指…
憲法草案を批判してください(S21.3.17新岩手日報) l全県

憲法草案を批判してください(S21.3.17新岩手日報)

【歴史の深掘り】昭和21年3月17日「憲法草案を批判せよ」という政府の布告 古い新聞を整理していたら、驚くべき資料が見つかりました。昭和21年(1946年)3月17日付の「新岩手日報」の一面です。 Screenshot そこには、現代の感覚では少し意外に思える、刺激的な見出しが躍っていました。 「憲…
列車の旅は「馬小屋以下」(S21.3.16新岩手日報) l全県

列車の旅は「馬小屋以下」(S21.3.16新岩手日報)

【タイムトラベル】昭和21年3月の岩手へ。窓のない列車と「馬小屋以下」の暮らし 先日、激動の時代を物語る貴重な資料を目にする機会がありました。昭和21年(1946年)3月16日付の『新岩手日報』です。終戦からわずか半年、岩手の地で人々がどのような現実に直面していたのか。そこには、現代の私たちには想像…
さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) l全県

さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)

昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では…
仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日) l全県

仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日)

昭和20年7月10日の岩手日報より。 仙台鉄道局では、戦時体制の維持の為に、7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」と定めることにした。 これは、軍需省(昭和18年に商工省から改組)の定める重要資源と、食糧以外の輸送を極力抑制し、それ以外の貨物の受付を場合によっては拒絶するというもの。 また…
県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) l全県

県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日)

昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に…
本土決戦訓と新聞非常措置(S20.4.10新岩手日報) l全県

本土決戦訓と新聞非常措置(S20.4.10新岩手日報)

昭和20年4月21日「新岩手日報」が語る、極限状態の岩手 終戦まであと4ヶ月と迫った昭和20年(1945年)4月21日。手元にある当時の「新岩手日報」を開くと、そこには岩手が置かれていた凄まじい緊迫感が刻まれています。 Screenshot 3月10日の東京大空襲、そして同日に起きた盛岡空襲の記憶も…