l全県 23 11月 1948 岩手県公会堂で県下農民大会(S23.12.11岩手夕刊新聞) 昭和23年12月11日の岩手夕刊は、戦後の農地改革によって自らの土地を手にした農民たちの歓喜と、新しい時代の責任を静かに伝えています。この記事が発行された当時の日本は、まさに「農民解放」という歴史的な転換点にありました。 Screenshot 同年11月23日、東京では工業倶楽部で農民解放記念祭が開… 続きを読む
l全県 29 9月 1948 岩手県「農家の皆さん!供米はお早めに!」(昭和23年9月29日) 昭和23年9月29日の岩手新報より。 この当時は米は配給制であり、闇米が流通しては摘発されていた時代である。 米の早期供出が行政によって奨励されていた。 … 続きを読む
l全県 16 9月 1948 ピコちゃん「パパの忘れ物」(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 連載の漫画「ピコちゃん」では、パパが会社に行こうとしている。 勤め人より自営業が多かったこの当時、ピコちゃんのパパはサラリーマンだったらしいので、それなりに学識はあったのだろう。 でも注意力は散漫だったようで、傘を忘れてしまう。 でもピコちゃんは「また戻って来る… 続きを読む
l全県 12 9月 1948 ピコちゃん「大変なこと」(昭和23年9月12日) 昭和23年9月12日の岩手新報より。 連載されていた漫画「ピコちゃん」では、主人公のピコちゃんがママを大急ぎで読んでいる。 そして新聞を読んでいるパパも呼ぶ。 どんな大変なことが起こったのかと思ったら「アリの喧嘩」。 … 続きを読む
l全県 18 5月 1948 政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ… 続きを読む
l全県 8 12月 1947 お正月の大映映画(昭和22年12月8日) 昭和22年12月8日の新岩手日報より。 大映は、以下のようにお正月映画の案内を出していた。 盛岡で専用封切館を持たなかった大映は、中央劇場(盛岡中劇)で上映していた。… 続きを読む
l全県 3 10月 1947 ゆるがぬ王座!秋の大東宝12大作品!(昭和22年10月3日) 昭和22年10月3日の新岩手日報より。 東宝の映画作品を列挙している。 盛岡では第一劇場が東宝系列の上映館だった。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1947 二百十日が無事過ぎる(S22.9.3新岩手日報) 台風の特異日である「二百十日」は、農家にとって収穫を根こそぎ奪われるリスクの高い日で恐れられていた。 この年は、無事平穏に済んだようである。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
l全県 2 9月 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む
l全県 7 4月 1947 初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報) 【歴史の1ページ】1947年4月7日:岩手初、伝説の「農民知事」国分謙吉誕生! 終戦からわずか2年。それまでの中央政府から派遣される「官選知事」ではなく、県民が自らの手でリーダーを選ぶ、初めての岩手県知事選挙が行われました。 Screenshot 手元にあるのは、1947年(昭和22年)4月7日付の… 続きを読む
l全県 24 7月 1946 県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) 昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指… 続きを読む
l全県 17 3月 1946 憲法草案を批判してください(S21.3.17新岩手日報) 【歴史の深掘り】昭和21年3月17日「憲法草案を批判せよ」という政府の布告 古い新聞を整理していたら、驚くべき資料が見つかりました。昭和21年(1946年)3月17日付の「新岩手日報」の一面です。 Screenshot そこには、現代の感覚では少し意外に思える、刺激的な見出しが躍っていました。 「憲… 続きを読む
l全県 16 3月 1946 列車の旅は「馬小屋以下」(S21.3.16新岩手日報) 【タイムトラベル】昭和21年3月の岩手へ。窓のない列車と「馬小屋以下」の暮らし 先日、激動の時代を物語る貴重な資料を目にする機会がありました。昭和21年(1946年)3月16日付の『新岩手日報』です。終戦からわずか半年、岩手の地で人々がどのような現実に直面していたのか。そこには、現代の私たちには想像… 続きを読む
l全県 17 8月 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
l全県 10 7月 1945 仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 仙台鉄道局では、戦時体制の維持の為に、7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」と定めることにした。 これは、軍需省(昭和18年に商工省から改組)の定める重要資源と、食糧以外の輸送を極力抑制し、それ以外の貨物の受付を場合によっては拒絶するというもの。 また… 続きを読む
l全県 2 7月 1945 「お願い!内地の人!朝鮮で警察官になって!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報の広告欄より。 「朝鮮総督府警察官大増員」という広告がある。 応募資格は「徴兵ヲ終ヘタル満十九歳以上四十歳ノ内地人」。 内地人限定であった。 岩手県下での採用試験は、岩手県警察官練習所と、花巻警察署の2か所であった。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1945 県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に… 続きを読む
l全県 21 4月 1945 本土決戦訓と新聞非常措置(S20.4.10新岩手日報) 昭和20年4月21日「新岩手日報」が語る、極限状態の岩手 終戦まであと4ヶ月と迫った昭和20年(1945年)4月21日。手元にある当時の「新岩手日報」を開くと、そこには岩手が置かれていた凄まじい緊迫感が刻まれています。 Screenshot 3月10日の東京大空襲、そして同日に起きた盛岡空襲の記憶も… 続きを読む
l全県 1 1月 1945 警視庁「お願いだから東京で巡査に応募して!産業戦士やめてでも来て!」 昭和20年元旦の岩手日報より。 東京の警視庁が新聞広告で大々的に巡査を募集している。 この増産報国のご時世に、「産業戦士モ奮テ応募セヨ」となりふり構わず応募かけている。 … 続きを読む