l全県 3 10月 1947 ゆるがぬ王座!秋の大東宝12大作品!(昭和22年10月3日) 昭和22年10月3日の新岩手日報より。 東宝の映画作品を列挙している。 盛岡では第一劇場が東宝系列の上映館だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 9月 1947 トヨタ小型トラック(トヨペット)発表会(昭和22年9月27日) 昭和22年9月27日の新岩手日報より。 広告欄では、岩手トヨタが菜園で小型トラックの発表会をするという。 それなりの規模の事業者が相手であったとおもわれる。… 続きを読む
g北上・和賀郡 24 9月 1947 和賀地区衣料品登録店立候補者名簿(昭和22年9月24日) 昭和22年9月24日の新岩手日報より。 和賀地区(北上周辺)の衣料品登録店立候補者名簿であるという。 立候補というからには投票などがあったのだろうか。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9 9月 1947 松本幸四郎一座が花巻に来ます!(昭和22年9月9日) 昭和22年9月3日の新岩手日報より。 松本幸四郎一座が花巻で公演をするという。 ちなみに「松本幸四郎」とは言っても松たか子の父は9代目で、ここに出ているのは7代目。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1947 二百十日が無事過ぎる(S22.9.3新岩手日報) 台風の特異日である「二百十日」は、農家にとって収穫を根こそぎ奪われるリスクの高い日で恐れられていた。 この年は、無事平穏に済んだようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1947 盛岡市内中等学校水泳大会は岩手中学と盛岡高女が優勝(S22.9.3新岩手日報) 盛岡市内中等学校水泳大会が開催され、男子は岩手中学、女子は盛岡高女が優勝。 それぞれ現在の岩手高校、盛岡二高。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1947 退蔵物資の摘発隊が盛岡を襲う(S22.9.2新岩手日報) この時期、全国的に「退蔵物資」が問題になっていた。 そこで、仙台地方経済安定局の摘発隊が盛岡に到着、市内各地を回って摘発に回った。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1947 天皇陛下が岩手を去る日、フジヤマのトビウオが世界新(S22.8.10新岩手日報) 【1947年の風景】昭和22年8月10日の新聞から読み解く、戦後復興と岩手の鼓動 投稿日: 2026年3月12日(史料参照:新岩手日報 昭和22年8月10日付) 終戦からまもなく2年。手元にある一枚の古い新聞、「新岩手日報」の昭和22年8月10日号。黄ばんだ紙面からは、物資不足の深刻さと、それでも前… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9 8月 1947 天皇陛下が釜石や宮古へ(S22.8.9新岩手日報) 【歴史の1ページ】昭和22年8月9日、新岩手日報が伝える「復興の足音」 投稿日:2026年3月12日 | カテゴリ:郷土史・アーカイブ 終戦からわずか2年。食糧難や物資不足といった困難な状況にありながらも、人々が未来を見つめて立ち上がろうとしていた時代の記録が、ここにあります。 Screenshot… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8 8月 1947 天皇陛下は花巻温泉療養所を行幸(S22.8.8新岩手日報) 【岩手戦後史】昭和22年8月8日、昭和天皇が国立花巻温泉療養所へ ~新岩手日報の紙面から読み解く、復興への希望と慈愛の記録~ Screenshot 昭和22年(1947年)8月、戦後の混乱と窮乏の中にあった岩手県に、昭和天皇をお迎えする「戦後巡幸」が行われました。 当時の『新岩手日報』第2面が伝える… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 8月 1947 天皇陛下が岩手に行幸(S22.8.8新岩手日報) 【歴史の1ページ】昭和22年8月7日、岩手に「希望」がやってきた日 戦後、焦土と化した日本。食糧難とインフレに苦しむ人々が、復興に向けて必死に前を向こうとしていた昭和22年(1947年)。 Screenshot 今回ご紹介するのは、当時の「新岩手日報(昭和22年8月8日付)」です。そこには、前日に岩… 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 4月 1947 第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり 自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が… 続きを読む
l全県 7 4月 1947 初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報) 【歴史の1ページ】1947年4月7日:岩手初、伝説の「農民知事」国分謙吉誕生! 終戦からわずか2年。それまでの中央政府から派遣される「官選知事」ではなく、県民が自らの手でリーダーを選ぶ、初めての岩手県知事選挙が行われました。 Screenshot 手元にあるのは、1947年(昭和22年)4月7日付の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1947 岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) 昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と… 続きを読む
l全県 21 11月 1946 この日から現代仮名遣い(S21.11.21新岩手日報) 昭和21年11月21日、「けふ」が「きょう」になった日。 歴史の転換点は、意外なほど身近なところに現れます。 Screenshot 手元にある昭和21年11月21日付の『新岩手日報』。この1ページには、日本語の歴史における巨大な一歩が刻まれています。 ■ コラムの題字に起きた「大事件」 この日の紙面… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 9月 1946 岩手開拓公社が時局講演会(昭和21年9月9日) 昭和21年9月9日の新岩手日報より。 岩手開拓公社が「時局講演会」と言う戦時中じみた講演会をするのだと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1946 日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) 昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 7月 1946 「星野スミレ」は実在のピアニストだった(昭和21年7月24日) 昭和21年7月21日の岩手日報より。 盛岡の国民劇場で大音楽会が開催されるというが、それより「ドラえもん」「パーマン」でお馴染みの「星野スミレ」は実在のピアニストだったらしい。… 続きを読む
l全県 24 7月 1946 県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) 昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 7月 1946 盛岡・国民劇場で日比親善拳闘大試合を開催します!(昭和21年7月21日) 昭和21年7月13日の岩手日報より。 盛岡の国民劇場で日比親善拳闘大試合を開催するという。 そんなに有名な選手はいるのかな… … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1946 盛岡・国民劇場に藤原義江が来ます!(昭和21年7月14日) 昭和21年7月11日の岩手日報より。 盛岡の国民劇場にテノール歌手の藤原義江が来ると言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 7月 1946 盛岡映画案内(昭和21年7月11日) 昭和21年7月11日の岩手日報より。 盛岡市の映画案内。 封切館は内丸座(松竹)、中劇(大映)、第一(東宝)の3館だったと言うことかな。 … 続きを読む