a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1949 春の消防演習や盛岡市制60周年体育大会(S24.5.6新岩手日報) 春の行楽シーズンにあって、盛岡では消防演習や市制60周年記念体育大会が開催された。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 5月 1949 子供の日に「一日盛岡駅長」や「一日岩手県知事」(S24.5.5新岩手日報) こどもの日は、いろいろな行事が開催され、県内の各官公庁でも、1日駅長や1日知事等の催しが開催された。 … 続きを読む
l全県 1 5月 1949 大蔵省「取引高税が改正になります!」(昭和24年5月1日) 昭和24年5月2日の新岩手日報より。 取引高税が5月1日から変わるというニュース。 「取引高税」とは、昭和23年に物品販売・銀行・製造業・運送業など39業種に課税された税金であり、現在の消費税の走りであるが、中立性を欠くこと、納税手続きが煩雑であることにより批判が強く、昭和24年限りで廃止になったも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 3月 1949 「ミシン税絶対反対」で婦人団体が盛岡市役所に押し掛ける(昭和24年3月17日) 昭和24年3月18日の岩手新報より。 盛岡市では、4月から新財源として「ミシン税」を導入しようとしていた。 しかし、盛岡市の婦人団体は、こぞって反対しており、盛岡市議会の予算議会の17日には、女性市議の案内で、女性団体が小泉多三郎市長に陳情する等のことがあった。 また、午後には「民主婦人協議会」と言… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 3月 1949 大槌港を修築してゆくゆくは「大槌市」に(S24.3.8岩手新報) 大槌港の修築計画があったようで、ゆくゆくは一大漁業基地として「大槌市」にしたいという構想があったようだ。 ちなみにこの時点で岩手県内で市制していたのは盛岡・釜石・宮古・一関の4市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1949 盛岡税務署「税金滞納したら容赦なく公売します!」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 税金を滞納すると、このよう容赦なく公売広告にかけられたようである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4 3月 1949 ヤミ屋「儲からないので開拓農にさせてくれ」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 この時期に、闇屋も生活が厳しかったようで、花巻にある稗貫地方事務所には、そんな闇屋から「助成金はいつでもいいので開拓農にさせてくれ」と言う申し出が相次いでいたのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 2月 1949 県議会で国分知事の冒頭演説(昭和24年2月28日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 県議会は2月28日に開かれ、「初の民選知事」国分知事が冒頭演説を行った。 … 続きを読む
l全県 29 9月 1948 岩手県「農家の皆さん!供米はお早めに!」(昭和23年9月29日) 昭和23年9月29日の岩手新報より。 この当時は米は配給制であり、闇米が流通しては摘発されていた時代である。 米の早期供出が行政によって奨励されていた。 … 続きを読む
m県外・参考 28 9月 1948 岩手県教組が教育委員選挙に関するデマに対する反論声明(昭和23年9月28日) 昭和23年9月28日の岩手新報より。 この頃、教育委員は選挙で選んでいた。 教育委員の選出の対立軸はやはり保守対革新で、組合側も各自治体で教育委員候補を擁立していた。 そこへ「多数の候補を擁立して選挙事務の妨害を図っている」というデマが流されたようである。 … 続きを読む
j東磐井郡 18 9月 1948 あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) 昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1948 赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) 昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も… 続きを読む
l全県 18 5月 1948 政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1947 引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 10月 1947 岩手県公会堂で大防犯展覧会(昭和22年10月6日) 昭和22年10月4日の新岩手日報より。 岩手県公会堂で大防犯展覧会を行うという。 内容は、事件現場の現場写真なのだそうで、小平事件・浅草青酸カリ事件・阿部定事件の現場写真や、角田屋事件などの証拠品であるという。 よくもまあこのようなものが一般の目に触れることができていたものである。 &… 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 4月 1947 第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり 自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1947 岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) 昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 花巻税務署「供米完納者に所得税がかかるなんてデマですよ!」(S21.7.1新岩手日報) この時期、県内の米どころ・花巻町周辺ではある噂が流れていた。 「米の供出を完遂したら所得税が重くかかる」 この噂を否定するために、花巻税務署員は躍起になっていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 6月 1946 盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 開運橋通りのある家に3人の男がやってきて「岩手地方世話部のものだが・・」と言う。 地方世話部というのは県庁に属し、軍人の恩給や復員に関する役所であった。 まだ復員していなかった長男の話でも聞けるのか?と思ったら「ヤミ米に関して調べたいから倉庫を見せてくれ」という。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 17 8月 1945 高村光太郎「一億の号泣」(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 この当時、高村光太郎は、岩手県花巻町の宮沢賢治の弟の家に疎開をしていた。 そこで終戦を迎えることとなり、新聞に詩を寄せたのである。 … 続きを読む
l全県 17 8月 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) 8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 14 8月 1945 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな… 続きを読む