d宮古・下閉伊郡 8月 14日 1945 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 10日 1945 扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。 「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。 どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。 現代語訳するとこんな感じだろうか。 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。 すぐに復帰してほしい。 今日勤務したかしないかは、明… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
l全県 8月 1日 1944 岩手県協和会が朝鮮半島出身労働者を表彰(S19.8.1新岩手日報) 岩手県協和会は、半島出身労働者を表彰した。 このことからも、朝鮮人がどこで多く働いていたかが分かろうというもの。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 6日 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
l全県 4月 28日 1938 南部鉄瓶は不要不急!軍需工業に転換せよ!(S13.4.28新岩手日報) 商工省は、不要普及の製品の製造を品目ごとに制限して、軍需工業に転換する方針にしたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1938 釜石にはびこる鉄屑泥棒 昭和13年3月4日の岩手日報より。 「鉄の都」として軍事的にも重要な位置にあった釜石であったが。釜石製鉄所構内から鉄屑や鉄製品を盗み出す少年窃盗団が検挙されたという。 この少年たちが自白しただけでも75件。200円前後であったというが、この手の被害が増加しており、警察では全滅の為に努力していくとして… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 17日 1937 ヤンマーヂーゼル「原動機の改革時代来たる!」(昭和12年5月17日) 昭和12年5月17日の岩手日報より。 広告欄にはヤンマーの原動機の広告。 この当時の原動機といえば、脱穀やポンプに使っていただろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者(原文ママ)が、従来の汽火熱式の牛乳消毒殺菌器に替えて、昔のかまどを応用した安上がりな殺菌器を発明したのだという。 汽火熱式の殺菌器は300円かかるが、かまど式の殺菌器であれば、3斗で150円程度だという。 そして燃料も半減できるのだとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報) 現在のもりおか歴史文化館のあたりには、かつて「商品陳列所」があった。 現在の岩手県工業技術センターとなる。 ここに雛祭りの雛人形が展示されたというニュース。 … 続きを読む