a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機はナショナル12回払いで!」と広告を打っている。 当時はこうした月賦販売の会社が県域であったのだろうか。 というか、掃除機って月賦で買わないといけないほど高いものだったの??? &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 今でもラジオでやってるかどうかはわからないが〽呉服の亀半~ というサウンドロゴは知っている人が多いのではないだろうか。 呉服の亀半は令和3年現在でも肴町に店舗を構え操業130年になる老舗の呉服店であるが、このように折に触れ「晴着を着ましょう!」と宣伝し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 12月 1958 一関・カンブン商店のお惣菜(S33.12.5岩手報知) 一関のカンブン商店の広告。 この頃のお惣菜は10円程度。 現在はスーパーマーケット「神文ストア」として両磐を中心に盛業中。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1958 江刺市の市制に各社が祝賀広告(昭和33年11月3日) 昭和33年11月3日の岩手民声新聞より。 この日、江刺市が市制。 このため、県内各社が祝賀広告を出している。 ラジオ岩手が県内初の民放テレビ局となるのは翌年9月のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1958 江刺市内の販売店「シンガーミシン現金払いなら26,500円!」(昭和33年11月3日) 昭和33年11月3日の岩手民声新聞より。 江刺市内のミシン販売店ではシンガーミシンが2万いくら。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 11月 1958 一関税務署管内の酒造業は上半期500石の生産増(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 一関税務署管内の酒造業は、昭和33年上半期は500石の増であったという。 まだ尺貫法の時代。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 11月 1958 一関の食堂「鍋焼きうどん始めました」(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 一関の食堂は、季節ものを始めた旨の告知。 物価が時代を物語る。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 10月 1958 一関のお惣菜屋さん「コロッケ5円!肉団子10円!」(昭和33年10月5日) 昭和33年10月5日の岩手報知より。 一関のお惣菜屋さんが広告を出しており、コロッケの5円で肉団子が10円でサラダ50円であると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 9月 1958 釜石市内の事務用品店「東芝レジスター合計加算器付き25万円!」(昭和34年9月28日) 昭和34年9月28日の岩手東海新聞より。 広告欄には、釜石市内のジム用品店が東芝レジスタの広告を打っている。 合計加算機付きで250,000円だと言うことで、令和の現在で言うパソコン以上のお値打ち感である。 それでも、製鉄所のお膝元の釜石と言うことで、そのために事業所があって売れはしたのだろう。 &… 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 9月 1958 一関の食料品店「信州味噌400瓦28円!仙台味噌30円!」(昭和33年9月12日) 昭和33年9月12日の岩手報知より。 一関市内の食料品店の広告では、信州味噌が400瓦で28円、仙台味噌が400瓦で30円である旨の広告を出している。 「瓦」とはもちろん「グラム」のこと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 9月 1958 豚が死ねば文化は高まる!?(S33.9.9岩手報知) 文化程度が高まれば食肉の消費量が増えると信じられていたようだ。 一関保健所管内は県内で最も豚肉の消費が多かったというニュース。 … 続きを読む
j東磐井郡 7 9月 1958 東山村に岩手セメント工場が10月に落成(昭和33年9月7日) 昭和33年9月7日の岩手報知より。 この年の10月10日、東磐井郡東山村では岩手セメント工場の落成祝賀式を予定していた。 岩手セメント工場は、東北開発株式会社が20億円を投じて完成させた。 鉄筋コンクリートの工場では、300人の工員が日夜生産に励んでいると言う。 10月10日の落成式では、東北開発株… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 9月 1958 ヤミ米の主要ルートは花泉か(S33.9.5岩手報知) 当時、米はまだ国が管理していた。 だから、国が管理する以外の米は「ヤミ米」として扱われ、警察署の取り締まりの対象であった。 一関警察署では、その流通のルートは花泉をとってくるのではないかと警戒の網を強めていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1958 萩荘で若杉に甲羅虫大発生(S33.8.26岩手報知) 一関市萩荘の若杉の山林で、甲羅虫が大発生し、被害を及ぼしたという。 この「甲羅虫」とは? 夏なのでコガネムシだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 8月 1958 江刺町内の食料品店「お惣菜始めました」(昭和33年8月19日) 昭和33年8月19日の岩手民声新聞より。 江刺町岩谷堂の食料品店では、お惣菜を始めると言う。 値段も書いている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1958 ライオン石鹸が江刺町内各地で巡業映画会(昭和33年7月26日) 昭和33年7月26日の岩手民声新聞の広告欄より。 ライオン石鹸では、8月に江刺町内各地の公民館や小学校でで巡業映画会を開くようであった。 「ご愛用者を御招待」というよりは、むしろ販促イベントの意味合いが強かったのではないだろうか。 映画としては東宝「無法松の一生」とフランス映画「赤い風船」。 「無法… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 7月 1958 一関専門店会が抽選で飛行機で東京にご招待(昭和33年7月25日) 昭和33年7月25日の岩手報知より。 一関専門店会は、抽選で何時になるかわからないが仙台空港から飛行機で東京に招待すると言う。 一関なので、なんといっても空港は仙台空港が近いのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1958 磐井川川開きの花火大会にちなんで花火の話(昭和33年7月14日) 昭和33年7月14日の岩手報知より。 この日は、磐井川の川開きで花火大会があったようで、岩手報知の紙面でも花火の話をしている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 13 7月 1958 一関の自転車店「タイヤ400円!チェーン200円!」(昭和33年7月13日) 昭和33年7月13日の岩手報知より。 一関市内の自転車店では開店10周年を記念したセールをおこなっていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 13 7月 1958 副業で豚飼育なんてできなくなります(S33.7.13岩手報知) 畜産関係の法律が厳格化し、畜舎の衛生基準等が厳しくなったために、これまで内職で豚を飼育していたのが難しくなってきたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 7月 1958 一関・相川屋ではプリントヤール95円!(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 一関の老舗呉服店・相川屋では夏の大売出しをやっている。 プリントヤール95円という価格。 この鮎川屋、平成27年(2015年)に閉店したのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 一関・北海道屋の雪印アイスクリームは1個10円から!(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関の「北海道屋」とは卸業者だろうか。 80円の「フルーチス」とはどんな高級なものだったのか気になるところ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 冷風麺は「冷芙麺」と書く?(S33.7.4岩手報知) 管理人が子供の頃、夏になるとよく「冷風麺」が出てきたが、あれは岩手独特の表現であり標準語的には「冷やし中華」らしい。 ところが、昭和33年7月4日の岩手報知で出ていた広告ではこれを「冷芙麺」と表記していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 5月 1958 ナイトスポット「ソシュウ」オープン 昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1958 早くもコイノボリ 昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む