e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 29日 1951 遠野で子豚が犬の乳で育つ?(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 上閉伊郡遠野町で、母豚に捨てられた子豚たちが、犬の乳で育つと言う珍しい事例が発生したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 29日 1951 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール。 7月末の時点なので、この時点から8月に服を作ったとしても着るのは秋頃になるわけで、もう「一掃」ムードだったのだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 27日 1951 盛岡市内各病院「赤痢に御用心!」(昭和26年7月27日) 昭和26年7月27日の「夕刊いわて」より。 盛岡市内の各病院が赤痢への警告を発している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 26日 1951 八日町・四ツ家町連合中元大売出し(昭和26年7月26日) 昭和26年7月26日の「夕刊いわて」より。 盛岡の八日町・四ツ家町では連合して中元の大売り出しをするという。 いずれも現在の本町通。 … 続きを読む
l全県 7月 22日 1951 お酒が嫌いになる薬(昭和26年7月22日) 昭和26年7月22日の「夕刊いわて」より。 広告欄には「お酒が嫌いになる薬」なんてのがある。 この当時でも、旦那の酒好きに手を焼いていた奥様方は相当いたのだろう。 … 続きを読む
l全県 7月 21日 1951 朝鮮動乱を受けた物価の変動(昭和26年7月21日) 昭和26年7月21日の「夕刊いわて」より。 マリク声明による朝鮮動乱ノノナナ停戦を受けた物価の動向が表としてまとめられている。 やわらかいもの(繊維・ゴムなど)はそれほどでもなかったが、固いもの(鉄鋼・石炭など)はてきめんに上昇していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 20日 1951 海の記念日は盛岡市内の魚屋で「魚まつり」!(昭和26年7月20日) 昭和26年7月20日の「夕刊いわて」より。 7月20日は昔から「海の記念日」だったようで、盛岡市内の魚屋ではキャンペーン。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 19日 1951 夏は工場直送の生ビールで!(昭和26年7月19日) 昭和26年7月19日の「夕刊いわて」より。 夏だけにビヤホールの広告が出ている。 価格は出ていない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1951 盛岡の呉服店で夏物処分セール(昭和26年7月14日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 盛岡の呉服店では夏物の投げ売りセールをやっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 8日 1951 3,000円もらったら金融機関へ!(昭和26年7月8日) 昭和26年7月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「私が今3,000円もらったら・・・」という広告記事になっている。 岩手銀行は「岩手殖産銀行」、北日本銀行に至っては「北日本相互銀行」「興産相互銀行」どころか「興産無尽」だった頃の話である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 5日 1951 盛岡・穀町の織物問屋では大特売会(昭和26年7月5日) 昭和26年7月5日の「夕刊いわて」より。 盛岡市穀町の織物問屋では大特売会を行うという。 穀町なので現在の南大通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1951 お中元にふさわしい夏の品々(昭和26年7月2日) 昭和26年7月2日の「夕刊いわて」より。 お中元商戦に向け、盛岡市内の各店舗が広告を出している。 … 続きを読む
l全県 7月 2日 1951 「夕刊いわて」は1部3円!1ヶ月配達で70円!(昭和26年7月1日) 昭和26年7月1日の「夕刊いわて」より。 自社の社告で「夕刊いわて」は1部3円、1ヶ月で70円である旨。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1951 盛岡・上ノ橋になぜか白馬に乗った怪紳士が現れる(昭和26年7月1日) 昭和26年7月1日の夕刊いわてより。 県都盛岡は上ノ橋に、シルクハットに真っ赤なモーニングを来て白馬に乗った紳士が現れた。 一体どういうことかというと、「7月5日から8日まで盛岡競馬がありますから老いも若きもイラハイイラハイ」ということであった。 盛岡競馬は前年来の赤字続きで、苦肉の策でこのような広… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 27日 1951 DDTで蠅や蚊を根絶しましょう!(昭和26年6月27日) 昭和26年6月27日の「夕刊いわて」より。 私事ながら昭和26年生まれの拙母も「デデテ」は知っていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 24日 1951 盛岡市営球場で東急対毎日、西鉄対大映の試合をします!(昭和26年6月24日) 昭和26年6月22日の「夕刊いわて」より。 盛岡市営球場でプロ野球の試合。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 17日 1951 女子プロ野球団「マルキンシスターズ」が市内で行列(昭和26年6月17日) 昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。 盛岡に来た女子野球野球団「マルキン・シスターズ」は、薄いグレーのジャンパーと白いユニホームで盛岡市内を行進した。 その後、盛鉄球場で地元名士軍などと試合したが、その試合結果は書いていない。 夕刊誌だったので、入稿時間に間に合わなかったのだろうか。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 16日 1951 マルキン女子野球団来たる!(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」の広告欄より。 岩手新報社の後援で行われるという女子プロ野球の盛岡での試合は、夕刊いわてでも盛んに広告されていた。 また、チームのスポンサーであったマルキン醤油は小豆島の醤油メーカーで、現在でも盛業中である。 「マルキン醤油記念館」というのもあるようだが、女子プロ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 15日 1951 保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内!(昭和26年6月15日) 昭和26年6月15日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内」が掲載されている。 「冷菓」とはアイスキャンデーを指しているようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 11日 1951 大手先の一戸肉店にコツを聞く 昭和26年6月11日の「夕刊いわて」より。 盛岡市大手先(現在の本町通。県民会館と岩手医大の間ぐらい)で20年来肉店を開いている一戸肉店に、商売のコツを聞いてみた。 狭い町では販路も決まっているのでサービスがすぐ利く。 穀物地帯の豚は脂肪が多い。 長く置くとガサガサになるので在庫量は一定量にしておく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 9日 1951 盛岡市内各銭湯が共同広告「旧の5月5日は菖蒲湯です!」 昭和26年6月9日の「夕刊いわて」の広告欄より。 旧の5月5日は菖蒲湯です!と盛岡市内の各銭湯が共同で広告を出している。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
m県外・参考 4月 14日 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 11日 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 4日 1951 ミシンが3千円でお手元に!(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 盛岡市仁王小路(本町通)のミシン販売会社の広告が出ている。 3千円というのは昭和26年だと平均月収に比べてどうだったんだろう。 … 続きを読む