f花巻・稗貫郡 1月 7日 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
l全県 1月 4日 1927 諒闇でも講談社の広告は元気 大日本雄弁会講談社の広告は押しの強さで知られるところ。 https://twitter.com/oldpicture1900/status/1448500002876133376?s=21 それは大正天皇の崩御による諒闇の中でも例外ではなかった。 昭和2年1月4日の岩手日報ではこんな調… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 29日 1926 諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で… 続きを読む
m県外・参考 12月 29日 1926 東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の岩手日報より。 隅田川(墨田川沿い?それとも隅田川貨物駅の近く?)には、岩手県営の木炭倉庫があったのだという。 大正15年の前期は3,000俵が売れたのであるというが、ここ最近の10日間だけで2,500俵が売れたという素晴らしい売れ行きであったという。 これは、中央の木炭問屋が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 29日 1926 大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の岩手日報より。 大正天皇の崩御による第1期喪中(50日間)は、岩手日報で講演する催し物を一切「ご遠慮」することにしたのだという。 「恒例によるもの」という表現の仕方がよく分からないが、以下の行事は自粛しますということ? それとも「他の催しは自粛視点もこれだけは恒例通り行います」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 28日 1926 諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(昭和元年12月28日) 昭和元年12月28日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の中の橋通りにある「大安」という店は、食堂部以外にもいろいろと手広く商売を展開していたようだが、食堂部だけを料理長に任せて「カフェー大安」として独立させるに至ったようである。 「店主自慢の蠣料理」なんて、今どきの洋食店のようなコピーもこの時点であった… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 27日 1926 スキーのシーズン来る!ウインタースポーツメンは花巻温泉スロープへ!(昭和元年12月27日) 昭和元年12月27日の岩手日報より。 花巻温泉のスキー場が広告を出している。 この頃は「ゲレンデ」とは言わず「スロープ」と言ってたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(昭和元年12月26日) この年、紫波郡の干害が非常に県内外の同情を集めていた。 そこで、稗貫郡湯本村の小学生の赤十字団員5名が、学校内で米を集めることにした。 そうしたところ、2斗2升が集まった。 これを、雪道を5里(約20km)歩いて日詰警察署まで届け、「飢えている友達に分けてください」と届けることにしたのだという。 赤… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 第九十銀行「多少ニ不拘御用命願ヒ候」(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 盛岡に本店があった第九十銀行の企業広告が出ている。 支店網は盛岡から北を中心に、青森県の八戸や田子まで展開されていたことを物語っている。 第九十銀行は後に岩手銀行となっている。 また、第九十銀行の本店であった建物は現在でも「もりおか啄木・賢治青春館」として現存し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 当時の川徳呉服店があった肴町では「聯合歳の市」。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 26日 1926 花巻の台温泉に特設電話局が開局・電話番号一覧(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 花巻温泉郷の一角・台温泉に特設電話局が開局し、その台電話局に加入する電話番号一覧も皇国に掲載された。 「特設電話局」とは? 主要な都市にしか電話が無かった当時、地方への電話の設置は後回しになっていた。 そこを、地元住民が資金を負担する形で電話局を開局したのが「特… 続きを読む