d宮古・下閉伊郡 6 5月 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 3月 1952 一関で県南バスが磐井川に転落 昭和27年3月2日朝8時過ぎ、西磐井郡萩荘村黒沢字本町の県道で萩荘行きの県南バスが、前方に止まっていたリヤカーを避けようとして右にハンドルを切ったら雪で滑り磐井川に転落、重軽傷者12名を出した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 7月 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 7月 1951 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 紫波郡乙部村手代森(後の都南村手代森、現盛岡市)部落では、県下一の消防車を買うことにしたと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1951 「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 6月 1951 盛岡に17歳の麗人タクシー運ちゃん登場(昭和26年6月21日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 盛岡の杜陵タクシーに、17歳の女の子が運転手としてデビューするという。 当時は盛岡最大の歓楽街であった八幡町の小料理屋の一人娘でケイ子ちゃんと言ったという。(本名は別) 岩手女子高校ではバレーボール部や水泳部で活躍するほど活発な少女であった。 運転免許を取… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 3月 1951 盛岡から公務で出張上京中に野球見てたら自動車が当たっちゃった 昭和26年3月14日の読売新聞(本紙)より。 盛岡市内の公務員が、公務出張で上京したついでに後楽園の松竹-大映戦を見に行ったのだという。 そうしたところ動物病院設置資金募集のためのくじをやっていたのだという。 400円程度の入場料で1500ドルの英国車・ヒルマンミンクスが当選するというので満場の観客… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 10月 1950 国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 国鉄バス久慈自動車営業所では10月1日からの新ダイヤを発表した。 沼宮内東線 上り 久慈発 7:00、9;30、11:30、16:30 下り 陸中山形発 6:30、9:00、13:00、17:10 軽米線 上り 久慈発 7:05、9:30、12:30、16:15… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 7月 1950 県南バスに35人乗りの大型バス(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県南バスでは35人乗りのいすゞの大型バスを導入するという。 ちなみに180万円とのこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 11月 1949 中央バス上田線がダイヤ改正(S24.11.9岩手新報) 岩手中央バスの上田線がダイヤ改正をするという。 ただし、上田線とはいっても、盛岡バスセンターがある時代ではないので、中の橋の松屋前が出発点だったようだ。 そしてまた、松園営業所があるわけでもないので、終点は上田の師範学校前であったようだ。 2段にわたる記事なので、ついでに他の記事もご覧ありたい。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 11月 1949 いすゞTX80御成約の方に京都奈良伊勢志摩の旅を!(昭和24年11月4日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡のいすゞ販売店では、トラック「TX80」の制約に至った人向けに、京都・奈良・伊勢志摩の旅をプレゼントすることとしたようだ。 この当時であれば、大口の運送業の事業主などではなかっただろうか。 … 続きを読む
l全県 1 11月 1949 全国交通安全週間が始まります!人は右、車は左ですよ!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 11月1日から全国交通安全週間が始まるという。 「人は右、車は左」の対面交通を盛んに喧伝していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1949 国警県本部に60人乗りの出動車(昭和24年8月9日) 昭和24年8月9日の岩手新報より。 国家地方警察岩手県本部に、8月7日仙台管区本部から60人乗りの出動車が配置された。 これは時速80kmで現場に急行するためのもので、全面と後面に昇降口があり、サイレンや投光器も装備しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 1月 1949 岩手中央バスが中ノ橋~上田にバスを運行開始します(昭和24年1月23日) 昭和24年1月19日の岩手日報より。 岩手中央バスでは、中の橋~上田(師範学校前)に路線を新設。 経路としては以下の通り。 中の橋~内丸通り~大手先~本町~八日町~四ツ家~上田組町~高松の池入口~師範学校前 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 9月 1948 盛岡の馬検場で自動車祭を開催します!(昭和23年9月14日) 昭和23年9月15日の岩手新報の広告欄より。 盛岡市馬検場にて、市内の各自動車販売店が集まって「自動車祭」を行うという。 トヨタ・いすゞ・日産共に、岩手県内の販売拠点はなぜか菜園にあった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 9月 1947 トヨタ小型トラック(トヨペット)発表会(昭和22年9月27日) 昭和22年9月27日の新岩手日報より。 広告欄では、岩手トヨタが菜園で小型トラックの発表会をするという。 それなりの規模の事業者が相手であったとおもわれる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通… 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 1月 1940 省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む