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山のボンペイ街のチャコ(353)猫が生のイカ食べちゃいけません l全県

山のボンペイ街のチャコ(353)猫が生のイカ食べちゃいけません

昭和25年10月1日岩手日報より。 当時掲載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、チャコの飼い猫「ニイ」が台所の生のイカを食べてしまう。 このあたりは獣医師による以下のページに書いてある。 いわく、 生のイカを猫に与えるのは絶対にダメです。鮮度が落ちた生のイカには、チアミナーゼという成分が含…
山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日) l全県

山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 当時連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」より。 ボンペイとチャコは七輪での焼き魚を見ているようチャコのお母さんに頼まれる。 ところが焼き過ぎて黒焦げにしてしまった。 それをお母さんは怒るでもなく「がまんしていただきましょうね」と。 後年であれば、発がん性…
東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日)

昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。   まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ…
山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、開墾者の所に行っていたようで、熊の肉でお別れという一幕となっている。 しかし「くまのにぐ かわねスか」とは、声に出して読みたい盛岡弁である。          …
山のボンペイ街のチャコ「スキーはみんな1年生」(昭和25年2月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山のボンペイ街のチャコ「スキーはみんな1年生」(昭和25年2月6日)

昭和25年2月6日の新岩手日報より。 連載の漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、スキーについて扱っている。 山に住むボンペイはカンジキを履いて雪の上を歩いているが、チャコは履いていないので追いつかない。 ではみんなでスキーを、ということになったらしい。 でもみんなスキーは初めてであったと言うオチ。 …
盛岡・松竹内丸座で「番町皿屋敷」「花嫁かるた」公開!(昭和25年2月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・松竹内丸座で「番町皿屋敷」「花嫁かるた」公開!(昭和25年2月6日)

昭和25年2月5日の新岩手日報より。 盛岡の松竹内丸座では「番町皿屋敷」「花嫁かるた」を公開する。 「番町皿屋敷」は昭和12年11月1日公開の松竹作品で、出演は田中絹代・林長二郎など。 「花嫁かるた」は昭和12年1月7日の松竹作品で、出演は上原謙・桑野通子・高杉早苗など。 つまり「封切」と言いつつ戦…
山のボンペイ街のチャコ「色々なランプ」(昭和25年2月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山のボンペイ街のチャコ「色々なランプ」(昭和25年2月4日)

  昭和25年2月4日の新岩手日報より。 この当時連載されていた「山のボンぺイ街のチャコ」では、ランプが話題になっている。 昭和20年代であれば、山奥の集落に電気が通っていたということ自体がまれで、ランプに頼る生活をしていた。 しかし、盛岡視点のチャコにしてみればやはりそれは珍しいものであ…
小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日) b二戸・二戸郡

小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日)

昭和25年1月9日の新岩手日報より。 プロ野球では、リーグ分裂騒ぎとなっていたが、パシフィックリーグのほうに新たに誕生する。毎日オリオンズに福岡中学出身の小田野柏選手が入団することになった。 この小田野柏、長らく「岩手県出身のプロ野球選手」としてメディアなどに名前の出る存在となり続けるが、プロ野球選…
金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日)

昭和24年9月10日の岩手新報より。 9月1日に岩手大学は開校したものの、学長就任問題というのがあったようである。 開校時点では、旧盛岡高等農林学校の鈴木校長が「事務取扱」として学長の業務を行っていた。 しかし、複数名の候補がおり、それぞれについて紛糾しており文部省としても誰にするか決めかねていたよ…