e釜石・遠野・上閉伊郡 16 5月 1937 明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ 明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった… 続きを読む
m県外・参考 8 11月 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 11月 1936 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開(昭和11年11月5日) 昭和11年11月5日の岩手日報より。 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開する。 「男性対女性」は、昭和11年8月29日公開の松竹映画で、出演は佐分利信・上原謙・田中絹代など。 「薔薇はなぜ紅い」(原題:So Red The Rose)は、昭和10年の米パラマウント映画… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 李承喜の撮影会にカメラマン200名(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 朝鮮半島出身のダンサー・李承喜の撮影会が岩手県公会堂で行われ、盛岡内外から200名のカメラマンが集まった。 中には、唐たけし写場やライト写真館など、戦後なお有名な写真館からも来たようである。 その様子を、記事では「甘きに集まる蟻のように」と表現している。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 有名ダンサー・崔承喜が来盛(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 5月1日の1時過ぎ、有名なダンサーである崔承喜が、この日の夜に岩手県公会堂で行われる新作舞踏会に出演のため、一行9人を引き連れて盛岡駅に降り立った。 そして岩手日報本社に訪れ、「5尺4寸(162cm)の長躯」で挨拶をしたという。 いわく「盛岡には7年前に石井(漠?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 9月 1934 盛岡・御園座で「純情の都」公開!(昭和9年9月6日) 昭和9年9月6日の岩手日報より。 盛岡・御園座では「純情の都」を公開する。 「純情の都」は、昭和8年11月23日初公開の作品で制作はPCL写真科学研究所。出演は千葉早智子・竹久千恵子・堤真佐子など。 この時代だったのでオールトーキーだったことも売りだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 9月 1934 盛岡・内丸座で「地上の星座」公開(昭和9年9月6日) 昭和9年9月6日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「地上の星座」を公開する。 「地上の星座」は、昭和9年5月17日初公開の松竹作品で、出演は川崎弘子・田中絹代・岡譲二など。 … 続きを読む
l全県 24 2月 1933 映画広告より多かったレコード広告(昭和8年2月24日) 昭和8年2月24日の岩手日報より。 戦前の新聞広告は、映画広告よりレコード広告の方が圧倒的に多い印象がある、 これはコロムビアレコードの広告。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 一関小学校の児童の家庭で最も多い楽器を調べたら、三味線とハーモニカであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」を公開する。 「野に叫ぶもの 闘争編」は昭和6年7月23日公開の松竹作品で無声映画。出演は鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子など。 「キーンの決死隊」(原題:The Rough Riders)は昭和2年のア… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(昭和7年1月1日) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 岩手日報では写真コンクールを行なっていたようで、「皆で笑って」という作品が入選したようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日は内丸座でコンラート・ファイト主演のドイツ映画「最後の中隊」と、高田稔・田中絹代主演の松竹映画「朗らかに泣け」を公開するという。 やっぱり邦画と洋画の抱き合わせ。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9 9月 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社である諏訪神社では9月7~9日の間、祭典が行われた。 黒沢尻の全町では紅白の幔幕を張ってお祝い気分である。 諏訪神社の境内に小屋掛けした見世物も盛況を博していたという。 … 続きを読む
l全県 6 9月 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 3月 1930 盛岡・御園座で「情恨」「曲馬団の秘密」公開!(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の御園座では「情恨」と「曲馬団の秘密」を公開する。 「情恨」は昭和5年2月7日初公開のマキノ映画。 「曲馬団の秘密」(原題:The Iron Test)は1918年公開というので大正7年となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 3月 1930 盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」を公開する。 「ダンスガールの悲哀」は昭和4年11月1日初公開の松竹映画。 「支那街の夜」は大正14年9月18日初公開の松竹映画。 「伊勢音頭」は昭和4年7月13日初公開の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の夜から、紀年館で日活映画「修羅城」「父」を公開するのだという。 ちなみに紀年館とは、大正4年11月23日開館の盛岡における最初の常設映画館で、肴町~八幡宮の通りにあったらしい。 ともあれ「修羅城」は昭和4年10月1日公開で大河内伝次郎などが出演、「父」は昭和… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 2月 1930 内丸通りで絵を描く人(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 「季節を描く人」として内丸通りで絵を描いている人を撮影している。 この当時、当然道路は舗装されているわけではない。 現在では県庁やら市役所やら県警本部やらでコンクリートしかない内丸界隈も、当時は季節を感じるほどに自然があったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 9月 1929 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。 … 続きを読む
m県外・参考 3 9月 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない… 続きを読む
m県外・参考 2 9月 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 3月 1929 盛岡・内丸座で「明眸禍」公開!(昭和5年3月14日) 昭和5年3月14日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「明眸禍」を公開する。 「明眸禍」は菊池寛の小説の映画化で、初公開は昭和4年11月29日。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の特約販売店では、10月に行われる陸軍特別大演習の地図を販売するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、「続水戸黄門」を上映している。 「続水戸黄門」は、昭和3年4月15日初公開の日活映画で、水戸黄門役を演じたのは山本嘉一。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) 札幌にある岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会を行ったとのこと。 今でこそ盛南地域で発展しているが、当時は純粋な農業地帯。 岩鷲寮は佐藤・新渡戸記念寮として現存。 また、安城こうり詰め事件は岩手県内でも報じられていたようだ。 … 続きを読む