a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(昭和7年1月1日) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 岩手日報では写真コンクールを行なっていたようで、「皆で笑って」という作品が入選したようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日は内丸座でコンラート・ファイト主演のドイツ映画「最後の中隊」と、高田稔・田中絹代主演の松竹映画「朗らかに泣け」を公開するという。 やっぱり邦画と洋画の抱き合わせ。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 9日 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社である諏訪神社では9月7~9日の間、祭典が行われた。 黒沢尻の全町では紅白の幔幕を張ってお祝い気分である。 諏訪神社の境内に小屋掛けした見世物も盛況を博していたという。 … 続きを読む
l全県 9月 6日 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 28日 1930 盛岡・御園座で「情恨」「曲馬団の秘密」公開!(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の御園座では「情恨」と「曲馬団の秘密」を公開する。 「情恨」は昭和5年2月7日初公開のマキノ映画。 「曲馬団の秘密」(原題:The Iron Test)は1918年公開というので大正7年となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 28日 1930 盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」を公開する。 「ダンスガールの悲哀」は昭和4年11月1日初公開の松竹映画。 「支那街の夜」は大正14年9月18日初公開の松竹映画。 「伊勢音頭」は昭和4年7月13日初公開の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の夜から、紀年館で日活映画「修羅城」「父」を公開するのだという。 ちなみに紀年館とは、大正4年11月23日開館の盛岡における最初の常設映画館で、肴町~八幡宮の通りにあったらしい。 ともあれ「修羅城」は昭和4年10月1日公開で大河内伝次郎などが出演、「父」は昭和… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 28日 1930 内丸通りで絵を描く人(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 「季節を描く人」として内丸通りで絵を描いている人を撮影している。 この当時、当然道路は舗装されているわけではない。 現在では県庁やら市役所やら県警本部やらでコンクリートしかない内丸界隈も、当時は季節を感じるほどに自然があったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 3日 1929 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。 … 続きを読む
m県外・参考 9月 3日 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない… 続きを読む
m県外・参考 9月 2日 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1929 盛岡・内丸座で「明眸禍」公開!(昭和5年3月14日) 昭和5年3月14日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「明眸禍」を公開する。 「明眸禍」は菊池寛の小説の映画化で、初公開は昭和4年11月29日。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の特約販売店では、10月に行われる陸軍特別大演習の地図を販売するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、「続水戸黄門」を上映している。 「続水戸黄門」は、昭和3年4月15日初公開の日活映画で、水戸黄門役を演じたのは山本嘉一。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 岩手県公会堂では「音楽と舞踊の夕べ」を開催すると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 14日 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1927 盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(昭和2年4月22日) 昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の内丸座ではこの22日から何と4本立てで「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開する。 「広瀬中佐」は大正15年6月25日初公開のサイレント映画で製作は松竹蒲田。 「幻の賊」は昭和2年12月1日に松竹蒲田で初公開であるというが(日本映画情報… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開! 昭和2年1月7日の岩手日報より。 この日から「カラボタン」「ロイドの初恋」他を公開するという。 「カラボタン」は松竹映画で、諸口十九と筑波雪子の主演のラブコメで、この時代なので無声映画である。 公開自体は前年の大正15年8月30日で、大正15年のキネマ旬報ベストテンで第5位に輝いた作品。 そして「ロ… 続きを読む
l全県 1月 4日 1927 諒闇でも講談社の広告は元気 大日本雄弁会講談社の広告は押しの強さで知られるところ。 https://twitter.com/oldpicture1900/status/1448500002876133376?s=21 それは大正天皇の崩御による諒闇の中でも例外ではなかった。 昭和2年1月4日の岩手日報ではこんな調… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1927 昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) 昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1926 盛岡・内丸座で「蜘蛛」「腕鳴り肉躍る」「母よ恋し」「讐討乙女椿」初春特別大公開!(昭和元年12月31日) 大正天皇の崩御により、その翌日である昭和元年12月26日から5日間の歌舞音曲の禁止が警察から発令された。 その歌舞音曲の禁止が開けて早々、12月31日から盛岡の内丸座では正月映画の大公開ということになった。 「蜘蛛」は大正15年10月1日に松竹で公開した時代物で、主演は阪東妻三郎。 この年のキネマ旬… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 13日 1926 聖上の御脳安かれと盛岡市内各銀行の代表者が八幡宮で祈願(大正15年12月13日) 聖上(つまり大正天皇)は肺炎でご体調が優れず、葉山御用邸で病臥されていた。 それで、毎日の数時間おきの「御体温」「御呼吸」「御脈」が新聞の一面にて報道されていた。 そしてそれはラジオでも報道され、実際にラジオの契約件数が飛躍的に増加した時期でもあったのだという。 聖上の御快癒祈願は岩手県内でも行われ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 11日 1926 吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) 肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。 … 続きを読む