中等教育 1月 19日 1979 【参考】初の共通一次試験(S54.1.19中日ニュース) これまでの国立大学は「一期校」「二期校」であったところ、この年から「共通一次試験」が行われるようになった。 もちろん岩手県内でも行われている。 https://youtu.be/TiQiIZQLUkE… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 31日 1974 屋敷台中学校(松尾村)・鵜住居小学校室浜分校(釜石市)閉校式 IBCの「いわてアーカイブの旅」より。 https://youtu.be/j8_HaA1U06g 昭和49年の内容はもう映像に譲るとして、ここでは個人的な感想や思い出話を。 屋敷台といえば松尾鉱山鉄道の終着駅でもあるので、松尾鉱山だとすぐ分かったが、確か鉱山自体は昭和40年代の前半に閉山したはず。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 23日 1968 「愛の鐘」が鳴ったら小中学生は帰宅しましょう!(昭和43年3月23日) 昭和43年3月23日の岩手東海新聞より。 釜石市内の小中学校は20日に一斉に春休みに入ったが、釜石地区校外生活指導連絡協議会では、以下のお触れを出した。 16:30に「愛の鐘」が鳴ったら帰宅しましょう。 サイクリングが流行しているが、遠乗りは大人と一緒にしましょう。 山遊びは、高い崖に上らないように… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 14日 1968 宮古商業高校で修学旅行を廃止(昭和43年3月14日) 昭和43年3月14日の岩手東海新聞より。 宮古商業高校では、次の年度から修学旅行を廃止するという。 その理由について記事の書きぶりをそのまま抜き出すと、 交通ラッシュやすし詰め旅館に盛りだくさんのスケジュールという心身をすり減らす疲労を敢えてすることの是非について生徒の意思をきいていたが、この結論を… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 8日 1968 難病手術の献血のために37人がバスで釜石から仙台へ(昭和43年3月8日) 昭和43年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石市内に、心室中隔欠損症の中学3年生がおり、手術が必要な状態であった。 このことを昭和43年2月27日の岩手東海新聞で「仙台の東北大学病院で手術が必要だが、愛の献血をお願いします」と呼び掛けたところ、釜石市内の37人がこれに応じ、3月8日の手術に際し、貸し… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 3日 1967 玉山村の幼児餓死事件で久慈の専門学校生が地蔵建立のために寄付(昭和42年12月3日) 昭和42年12月4日のデーリー東北より。 この前の月、玉山村で幼い姉妹が父親に置き去りにされて餓死したと言う痛ましい事件が発生した。 この事件は、全国的な反響を呼んだが、久慈市の久慈文化服装学園の生徒会では、玉山村の村長に当てて「死んだ2人の子供のお地蔵さんを立ててやってください」と4300円を送っ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 21日 1967 釜石予備校「高校合格おめでとう!」(昭和42年3月21日) 昭和42年3月21日の岩手東海新聞より。 高校入試の合格発表もあり、釜石予備校も自分のところで勉強した生徒の名前を張り出して広告している。 予備校とはいっても中学浪人とかではなく、塾の様なものだったらしい。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 14日 1967 宮古海員学校が1年制から2年制に(昭和42年3月14日) 昭和42年3月14日の岩手東海新聞より。 宮古海員学校はそれまで1年制であったところ、国から予算が下り2年制になるという内容。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1967 釜石市内各種学校入学案内(昭和42年3月1日) 昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の各種学校の入学案内。 釜石だけでもこれだけの学校があった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1966 県南バスワンマンカー闘争に釜石市内の高校が抗議(S41.11.2岩手東海新聞) この時期、岩手県南バスではワンマンカー導入をめぐって泥沼の組合争議となっていた。 しかし、利用者からするとたまったものではない。 それで、釜石市内の高校の校長PTA協議会が県南バスに対して抗議することにしたのだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1966 教員団地の建設で「釜石から早く出たい」も減少へ(昭和41年11月1日) 昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石の教育界には、「住宅難」と言う問題があった。 そこで、釜石市と釜石市教育委員会は、釜石市野田に、鉄筋コンクリート3階建てのアパートを建設した。 この教職員アパートは、前年度同様に、富士鉄釜石製鉄所のH形鋼を骨材として使用するもので、建設費は全額公立学校共… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 6日 1966 大槌高校で校庭拡張を祝って9年ぶりに運動会(昭和41年7月6日) 昭和41年7月7日の岩手東海新聞より。 大槌高校では、この当時生徒711人いたようであるが、学校創立47周年と、校庭整備拡張を記念して、9年ぶりに運動会を開催した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1966 釜石地区高校野球大会で熱戦(S41.7.4岩手東海新聞) 夏の高校野球を前に、釜石地区高校野球大会が開催されたようだ。 この頃からチアガールはいたようだ。 どこの学校だろう。女子の多そうな釜石商業とか釜石北高とか?… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1966 宮古二中の生徒が浄土ヶ浜を清掃奉仕(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 宮古の浄土ヶ浜は県内外からの観光客で逃げを始めているが、宮古第二中学校の男女生徒500人は、理科学習の1つとして浄土ヶ浜のゴミを清掃奉仕した。 前年に浄土ヶ浜を訪れた観光客は400,000人であったと言うが、この年はさらに上回る500,000人の誘致が約束され… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1966 釜石市内各高校の女子制服(昭和41年3月7日) 昭和41年3月7日の岩手東海新聞より。 新入学のシーズンを控え、釜石の及新百貨店では、釜石市内の女子制服の売り出しをしていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石市内各種学校入学案内(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の各種学校の入学案内。 釜石には洋裁学校がこれだけあったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石北高校で第1回卒業式(昭和41年3月1日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 3月1日に、釜石北高校で第一回の卒業式が開かれた。 釜石北高校は、ベビーブームを当て込んで、昭和38年に開校した。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 2月 2日 1966 大船渡市立赤崎服装学院が閉校へ(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2日の岩手日報より。 大船渡市立赤崎服装学院は生徒数の不足で3月に閉校するという。 昭和25年に「赤崎公民学校」として当時の赤崎村に開校し、中学校を卒業した女子を対象に洋裁教育をしてきた。 昭和30年には経営が市に移管され、「赤崎服装学院」となった。 定員は2年制の本科が60人、1年間… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2月 1日 1966 県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) 昭和41年2月2日の岩手日報より。 県内の水産高校が共同で利用する実習船「宮古丸」が室蘭港を出航し、宮古港に到着した。 宮古港では宮古水産高校のブラスバンド部など全校生徒や漁業関係者が盛大に出迎えた。 宮古丸は室蘭の楢崎造船で建造され、総トン数190トン、全長31m、幅6.6m、エンジン620馬力、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1966 向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(昭和41年1月12日) 昭和41年1月12日の岩手日報の広告欄より。 向中野学園高校では、新年度より保育科を設置するという。 同校にはこの当時普通科が無く、生活科・家政科・専攻科があった。 同校はその後、平成13年(2001年)に盛岡スコーレ高校として共学化されている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 30日 1965 大槌・金沢中学校では特別教室が完成(昭和40年11月30日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 大槌町の金沢中学校では、11月30日に特別教室の増築落成式が開催された。 金沢中学校では、それまで特別教室がなく、教材がいたずらに積まれていた状態になっていた。 大槌町教育委員会の昭和38年以来の文教整備5ヵ年計画によって、中学校の本校舎に接続する敷地80坪… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1965 盛岡でテレビ授業に1000人が参加(昭和40年10月8日) 昭和40年10月8日の岩手日報より。 10月8日から2日間の日程で、盛岡市を会場に「第16回放送教育研究会東北大会」が行われた。 この大会が岩手県内で行われたのは3度目であるという。 初日は岩大附属小学校・桜城小学校・城西中学校・盛岡二高・東北銀行ホールの5か所で、県内外から1000人が集まって公開… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 4日 1964 中学野球県大会16チームの陣容(S39.8.4岩手日報) この年の中学野球県大会は遠野で開催された模様。 県内16地区から代表が参加。 流石に「日本のチベット」というようないかにも僻地の学校は代表になっていない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 6日 1964 釜石南高校の新校舎落成式(昭和39年6月6日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 かねて松倉に建築中だった釜石南高校の校舎は、6月6日に落成式が行われることとなった。 校庭は41,910平方メートル、鉄筋コンクリートで一部5階の校舎となっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1964 釜石にも近代校舎を!(S39.1.1岩手東海新聞) 昭和39年を迎え、釜石の教育界も夢を語っている。 特に、老朽化した校舎の新築が急がれていた。 … 続きを読む