a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 10日 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1937 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡… 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 18日 1937 帝大の怪腕投手緑川伝作が福岡中学に英語教師として赴任(S12.5.18岩手日報) 東京帝大の怪腕投手として知られた緑川伝作が、福岡中学に英語教師として赴任し、野球部の副部長になったという。 ちなみに緑川は福島・安積中学から山形高校を経て帝大に入学した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 16日 1937 盛岡農学校の寄宿舎で火災 原因は生徒のタバコ 5月15日朝8:05頃の朝礼中、紫波郡見前村の盛岡農学校の寄宿舎で火を噴いているのを教頭が発見した。 直ちに教員・生徒総動員で消火に努め、9時ごろ鎮火した。 寄宿舎の隣には15,000円相当の蚕種があったが、それは無事であったという。 原因は寄宿舎にが行っている二戸郡出身の生徒の煙草の不始末で、朝に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 夏休みが終わり帰省中の生徒が次々と次々と盛岡に戻ってくる(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 学校では夏休みが終わり、帰省していた生徒が次々と盛岡駅に戻ってきた。 この当時、夏休みは関東以南同様、8月31日まであったらしい。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 2日 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) この時期の遠洋漁業の発展に、県内唯一の水産学校であった宮古水産学校の同窓会「二八会」も助力することを誓う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1933 釜石実科高等女学校は孵化場の跡に移転します! 昭和8年3月2日に発行された、3月3日付岩手日報夕刊より。 当時、釜石町立であった実科高等女学校はこの昭和8年度に工費15,000円で新築することが釜石町議会で決定した。 新築場所は孵化場の跡になり、新校舎は2階建て4教室になるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 29日 1932 遠野中学に廃止説!?(昭和7年10月29日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 明治34年(1901年)に開校した遠野中学校は、開校から30年にして財政難から廃校すると言う噂が立った。 それで、遠野町の複数の町議が町役場に集まって協議した結果「阻止運動を本格化させる前に成り行きを静観しよう」と言うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) 盛岡中学校(現:盛岡一高)など盛岡市内の各中等学校では、志願者減となっていたようだ。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 2日 1929 一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 一関中学校(現:一関一高)では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 ところが、この時期、後者の第1期工事が終了したものの、内部が全く完成していなかったので、毎日2時間の野外教練を行うことになった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 写真記事で「豊穣を語る案山子」と書いている。 場所は盛岡農学校であると言う。… 続きを読む