高等教育

⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報)

この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡…
盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」

昭和16年12月5日の岩手日報より。 線前期の岩手県の最高学府と言えば盛岡高等農林学校であり、宮沢賢治もここを卒業している。 また、このブログの「教育」のカテゴリーのアイコンは、この盛岡高等農林学校の本館である。 この盛岡高農の上村勝爾校長は、構内のネグンド楓からヒントを得て、日本で多く産しているイ…
県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業 a盛岡・岩手郡・紫波郡

県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業

昭和14年7月20日の岩手日報より。 この年、戦時中の技術力確保を目的として全国に7校の高等工業学校が開校した。 (室蘭、盛岡、多賀、大阪、新居浜、宇部、久留米) そのうちの1校である盛岡高等工業学校は最初は盛岡夜間中学校(現:杜陵高校)の敷地に仮開校した。 本校舎を上田(現在の岩手大学工学部)に設…
暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報)

昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、盛岡でスケートやアイスホッケーといえば、高松の池が中心的な舞台だった。しかし、この冬は異例の暖かさで氷が張らず、リンクは開設できない状態が続いていた。例年であれば正月を過ぎれば学生たちのインカレ(インターカレッジ)も行われ、氷上は賑わうはずだが、この年はそれも…
「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報) d宮古・下閉伊郡

「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報)

昭和4年(1929年)9月5日、東京帝国大学(現・東京大学)の渡辺助教授が、下閉伊郡小国村での農村調査を終えて盛岡を訪れ、その晩21時28分発の列車で青森へ向かった。その調査結果は、きわめて厳しいものであった。 調査によれば、小国村は原始共産制に近い共同体構造を持っており、さらに「隠し念仏」と呼ばれ…
札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報)

札幌の地にある岩手県出身者の学生寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」が、岩手県内の太田村で映画会を開催したという記事が昭和3年(1928年)9月4日の『岩手日報』に掲載されている。 現在でこそ、太田村周辺――盛岡市盛南地区は都市的に開発され、大型商業施設や住宅地が広がる地域となっているが、昭和初期において…
ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報)

昭和3年(1928年)9月2日付『岩手日報』は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の菊池賢次郎教授が、3年にわたるドイツ留学から帰国したことを伝えています。菊池教授は、家畜病理学の研究を目的に渡欧し、現地での実地研究と視察を重ねて帰国。帰途にはフランス、さらには南北アメリカにも立ち寄り、国際的な…
岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月2日の岩手日報によると、北海道で学ぶ岩手県出身の学生たちが暮らす寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」の寮生が、盛岡市内の桜山神社を参拝した。 これは、夏季休暇を利用して帰郷中の寮生が行ったもので、一行はそろって神社に赴き、拝殿の前で丁重に参拝する様子が報じられている。 写真には、整列した学生た…
盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報)

昭和2年(1927年)3月、岩手県の最高学府として知られた盛岡高等農林学校で卒業式が行われた。『岩手日報』紙上には、教員と卒業生たちの記念写真が掲載され、厳かな式典の様子が伝えられている。 この学校は、旧制時代における農林系の専門教育機関であり、農政技術者や教員、研究者など多くの人材を世に送り出して…
県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報) l全県

県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報)

昭和2年3月16日の『岩手日報』より。 この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。 この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したとい…