hスポーツ 9 12月 1963 一関市民の反対の中、青葉町に市民プール着工を強行(S38.12.9岩手報知) 磐井川に面した一関市青葉町に市民プールを着工すると言うので、市民も市議会の文教委員会も大反対。 しかし着工してしまったという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 9月 1963 江刺で食品衛生業者親睦野球大会(昭和38年9月15日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 9月15日、江刺保険所と江刺食品衛生協会主催で野球大会が開かれることとなった。 組み合わせは以下の通り 理容・映画ーーーーー┐__ クリーニングーーーー┘ ┐ 料理・飲食ーーーーーーーー┘ 酒類ーーーーーーーー┐ 薬品・薬店ーーーーー┘ 菓子ーーーーーーー… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 9月 1963 女子プロ野球が江刺で試合(昭和38年9月3日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 昭和20年代の女子プロ野球はこの時期でもあったようである。 サロンパスのチームが江刺に来て試合をして行った。 結果は以下の通り。 サロンパス0ー1市役所 サロンパス3ー2商工会 サロンパスがいずれも専攻だが、これはホームが地元チームだから、という… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 7月 1962 7月28日に大鵬や柏戸が釜石に来ます!(昭和37年7月16日) 昭和37年7月16日の岩手東海新聞より。 7月28日に大相撲釜石準場所が予定され、大鵬や柏戸が釜石に来るという。 また、前田川など郷土力士も来るということで期待された。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 2月 1962 江刺出身の前田川を激励する会(昭和37年2月12日) 昭和37年2月19日の岩手民声新聞より。 江刺市稲瀬出身の前田川を励ます会が2月12日に江刺市役所ホールで開かれ、130人が集まった。 昭和37年の初場所では、東前頭6枚目で5勝10敗と負け越していた。 それでなくとも好不調の波の激しい力士だったようだ。 前田川は揃いの紋付羽織で威儀を正して参加し、… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 朝鮮では3年後に予定されている東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を、馬産地である岩手まで探しに来たのだという。 記事では「朝鮮」とあるだけで、北なのか南なのかはここからは読み取れない。 まだ日韓国交正常化(昭和40年)前で、韓国は「南朝鮮」とも呼んでいた時… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 5月 1961 水沢一高の隻腕投手(昭和41年5月5日) 昭和41年5月5日の岩手東海新聞より。 釜石で行われた県選抜高校野球大会では、水沢一高から隻腕投手が出て活躍したという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 1月 1961 東北ベスト4まで導いた宮古校の野球部長「根性を叩き直せ」(S36.1.1岩手東海新聞) 宮古高校を東北ベスト4(何の大会で?)まで導いたという野球部長が新春に釜石の球児たちに贈る談話。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 5月 1960 第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 この日、第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝が開催された。 スタートは釜石ビル前であり、13チームが参加したという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 9月 1959 伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行 昭和34年9月29日の岩手日報より。 伊勢湾台風は岩手県内にも被害を及ぼした。 ところが、そのような中、盛岡市中体連は県営グランドで大会を中止しなかったのだという。 26日当日、盛岡市内は朝から風が強く激しい雨だった。 選手たちは待機中は傘を差していたとはいえ、寒さに震えながら、ずぶ濡れで競技をして… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 8月 1959 大槌高校に硬式野球部が誕生(昭和34年8月23日) 昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 大槌高校にはそれまで、定時制の軟式野球部しかなかった。 しかし、甲子園の高校野球や富士鉄釜石の都市対抗野球に刺激され、硬式野球部創部の機運が高まってきた。 それで、8月23日13時から大槌高校で、講演会準備協議会が設置されることになった。 発起人は以下の通り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 5月 1959 新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所のラグビー部が「全国一の強豪チームを目指して」5月21日から小佐野球場外に設けられた特設ラグビー場で練習を開始した。 初練習には岩手県ラグビー協会八幡正会長やコーチ2名も来て熱心にコーチするという念の入りようだった。 創部メンバーは以下の通り。 増… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 5月 1959 釜石一中で運動会(昭和34年5月17日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石一中の運動会は5月17日に開催された。 この日は雨だったようで、開会式は2時間遅れ11時となった。 種目は43種目あり、中には「ミサイルレース」「仙人峠開通記念」などと伊種目もあったようである。 この年の9月には、遠野や花巻に直通する仙人トンネルの開通が… 続きを読む
c久慈・九戸郡 13 10月 1957 久慈・巽山公園で三船久蔵記念館の地鎮祭(昭和32年10月13日) 昭和32年10月15日のデーリー東北より。 久慈出身の柔道家・三船久蔵十段の偉業を顕彰し、久慈市内の巽山公園に三船久蔵記念館を建設しようと言う計画が立った。 その地鎮祭には、三船十段本人も隣席して行われることになった。 席上、三船銃弾は「私は今度建設される敷地に昔建てられた郡役所の給仕を勤めていたこ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 10月 1957 久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日) 昭和32年10月6日のデーリー東北より。 久慈小学校では児童のではなくPTAの運動会が行われることとなった。 いつものPTAの集まりからは、さほど参加者を期待していなかったがこの日は200名も集まったという。 写真は「ミセス・コンテストレース」であるという。 … 続きを読む
hスポーツ 10 8月 1957 江刺で初のボートレース(昭和32年8月10日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 江刺商工会が主催で、人首川で江刺で初のボートレースが開催されたという。 ただし「ボートレース」とは言っても競艇ではなく、優乱用のボートを漕ぐ競技会である。 以下の部に別れて開催されたという。 一般男子200m 高校男子200m 小学校100m 中学校100m… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1957 部活勧誘を拒否した1年生に暴力沙汰(昭和32年1月16日) 昭和32年1月16日の岩手日報より。 盛岡一高で、ラグビー部やスケート部への勧誘を拒否した1年生に暴力を振るうという事件が発生し、警察沙汰となった。… 続きを読む
hスポーツ 4 1月 1957 一関はバトミントンラケットの主要な生産地(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報より。 一関は、須川岳のブナ材によるバトミントンラケットの生産が盛んだったようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1956 高校野球春の布陣(沼宮内高校・橘高校)(S31.4.25岩手日報) 春の高校野球県大会に挑むチーム紹介。 今回は沼宮内高校と橘高校。 橘高校とは令和6年現在の江南義塾盛岡高校。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石製鉄所の運動部がトレーニング開始(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県の実業団スポーツの雄と言うと、なんといっても釜石製鉄所だった。 その釜石製鉄所の各運動部がトレーニングを開始することとなった。 水泳では、鈴子に温水プールがあった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日) 昭和31年1月6日の河北新報より。 盛岡市菜園の石井バレー研究所では70名の少女たちがけいこに励んでいる。 先生の石井智子氏は二戸郡福岡町出身で、日本女子短大を卒業して東京のバレー界で活躍した、と書かれている。 お弟子さんは3つのグループに分かれ。一番けいこを積んだグループを「ハイクラス」と呼んでい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 1月 1956 釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった 昭和31年1月6日の河北新報より。 東北水連と釜鉄真道会が共催で、ヘルシンキオリンピックで800mに出場した谷川禎次郎選手を招き、釜石製鉄所の鈴子プールで水泳教室を開催することとなった。 県内の高校・中学校から60人が参加した。 1月とはいっても寒中水泳というわけではなく、気温は4℃で… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 1月 1956 「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日) 昭和31年1月5日の岩手日報より。 見出しは「岩本(水沢駒形)東映監督に」とある。 この「岩本」とは、元祖「神主打法」で戦前から戦後のプロ野球で活躍した岩本義行その人である。 昭和28年に、洋松ロビンスを最後にプロ野球を引退し、宮城県登米郡上沼村(現:宮城県登米市)で石灰石鉱山を経営していた父の後を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 近く雫石に新スキー場!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 この時期、岩手でもスキーがポピュラーになっていたようであるが、雫石町七ッ森に新たにスキー場が完成するという。 場所としては田沢湖線(当時であれば橋場線)の南側であるが、現在田沢湖線の南側でスキー場というのは聞いたことがない。 田沢湖線の北側だと、雫石スキー場と… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8 10月 1955 国体聖炎旗リレーは水沢へ 昭和47年までは、国体の「大会旗リレー」が前年の開催地からその年の開催地まで行われていた。 岩波写真文庫183「日本 1955年10月8日」より 昭和30年の秋の国体は神奈川で行われる。 その前年の昭和29年の秋の国体は北海道で行われていた。 それで、国体旗が国道4号線を南下して神奈川を目指すことに… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12 8月 1955 金田一温泉プールで第10回東北水泳大会(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 県北は金田一村の金田一温泉プールで、第10回東北水泳大会が開催された。 大会経費は24万円だそうで、この経費を稼ぐために大人30円、子供10円の入場料を取っていたという。 2日間で1万人の入場者があり、経費はトントンとのことだった。 金田一温泉プールはこの… 続きを読む
hスポーツ 3 8月 1955 水沢にプールを新設(昭和30年8月4日) 昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 水沢市体育協会やPTAや校長会などが、水の事故を防ぐために5月末からプール建設準備会を結成していた。 そして市民から寄付を募り、水沢市搦手町の貯水池に工費58万円をかけてプールを建設したのである。 このプールは、長さ40メートル幅25メートルとなっている。 … 続きを読む