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朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日)

昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 朝鮮では3年後に予定されている東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を、馬産地である岩手まで探しに来たのだという。 記事では「朝鮮」とあるだけで、北なのか南なのかはここからは読み取れない。 まだ日韓国交正常化(昭和40年)前で、韓国は「南朝鮮」とも呼んでいた時…
伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行 a盛岡・岩手郡・紫波郡

伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行

昭和34年9月29日の岩手日報より。 伊勢湾台風は岩手県内にも被害を及ぼした。 ところが、そのような中、盛岡市中体連は県営グランドで大会を中止しなかったのだという。 26日当日、盛岡市内は朝から風が強く激しい雨だった。 選手たちは待機中は傘を差していたとはいえ、寒さに震えながら、ずぶ濡れで競技をして…
大槌高校に硬式野球部が誕生(昭和34年8月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌高校に硬式野球部が誕生(昭和34年8月23日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 大槌高校にはそれまで、定時制の軟式野球部しかなかった。 しかし、甲子園の高校野球や富士鉄釜石の都市対抗野球に刺激され、硬式野球部創部の機運が高まってきた。 それで、8月23日13時から大槌高校で、講演会準備協議会が設置されることになった。 発起人は以下の通り…
新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所のラグビー部が「全国一の強豪チームを目指して」5月21日から小佐野球場外に設けられた特設ラグビー場で練習を開始した。 初練習には岩手県ラグビー協会八幡正会長やコーチ2名も来て熱心にコーチするという念の入りようだった。 創部メンバーは以下の通り。 増…
釜石一中で運動会(昭和34年5月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石一中で運動会(昭和34年5月17日)

昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石一中の運動会は5月17日に開催された。 この日は雨だったようで、開会式は2時間遅れ11時となった。 種目は43種目あり、中には「ミサイルレース」「仙人峠開通記念」などと伊種目もあったようである。 この年の9月には、遠野や花巻に直通する仙人トンネルの開通が…
久慈・巽山公園で三船久蔵記念館の地鎮祭(昭和32年10月13日) c久慈・九戸郡

久慈・巽山公園で三船久蔵記念館の地鎮祭(昭和32年10月13日)

昭和32年10月15日のデーリー東北より。 久慈出身の柔道家・三船久蔵十段の偉業を顕彰し、久慈市内の巽山公園に三船久蔵記念館を建設しようと言う計画が立った。 その地鎮祭には、三船十段本人も隣席して行われることになった。 席上、三船銃弾は「私は今度建設される敷地に昔建てられた郡役所の給仕を勤めていたこ…
久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日) c久慈・九戸郡

久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日)

昭和32年10月6日のデーリー東北より。 久慈小学校では児童のではなくPTAの運動会が行われることとなった。 いつものPTAの集まりからは、さほど参加者を期待していなかったがこの日は200名も集まったという。 写真は「ミセス・コンテストレース」であるという。      …
江刺で初のボートレース(昭和32年8月10日) hスポーツ

江刺で初のボートレース(昭和32年8月10日)

昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 江刺商工会が主催で、人首川で江刺で初のボートレースが開催されたという。 ただし「ボートレース」とは言っても競艇ではなく、優乱用のボートを漕ぐ競技会である。 以下の部に別れて開催されたという。 一般男子200m 高校男子200m 小学校100m 中学校100m…
石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日)

昭和31年1月6日の河北新報より。 盛岡市菜園の石井バレー研究所では70名の少女たちがけいこに励んでいる。 先生の石井智子氏は二戸郡福岡町出身で、日本女子短大を卒業して東京のバレー界で活躍した、と書かれている。 お弟子さんは3つのグループに分かれ。一番けいこを積んだグループを「ハイクラス」と呼んでい…
釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった

昭和31年1月6日の河北新報より。 東北水連と釜鉄真道会が共催で、ヘルシンキオリンピックで800mに出場した谷川禎次郎選手を招き、釜石製鉄所の鈴子プールで水泳教室を開催することとなった。 県内の高校・中学校から60人が参加した。   1月とはいっても寒中水泳というわけではなく、気温は4℃で…
「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日) h水沢・江刺・胆沢郡

「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日)

昭和31年1月5日の岩手日報より。 見出しは「岩本(水沢駒形)東映監督に」とある。 この「岩本」とは、元祖「神主打法」で戦前から戦後のプロ野球で活躍した岩本義行その人である。 昭和28年に、洋松ロビンスを最後にプロ野球を引退し、宮城県登米郡上沼村(現:宮城県登米市)で石灰石鉱山を経営していた父の後を…
近く雫石に新スキー場!(昭和30年12月27日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

近く雫石に新スキー場!(昭和30年12月27日)

昭和30年12月27日の岩手日報より。 この時期、岩手でもスキーがポピュラーになっていたようであるが、雫石町七ッ森に新たにスキー場が完成するという。 場所としては田沢湖線(当時であれば橋場線)の南側であるが、現在田沢湖線の南側でスキー場というのは聞いたことがない。 田沢湖線の北側だと、雫石スキー場と…
国体聖炎旗リレーは水沢へ h水沢・江刺・胆沢郡

国体聖炎旗リレーは水沢へ

昭和47年までは、国体の「大会旗リレー」が前年の開催地からその年の開催地まで行われていた。 岩波写真文庫183「日本 1955年10月8日」より 昭和30年の秋の国体は神奈川で行われる。 その前年の昭和29年の秋の国体は北海道で行われていた。 それで、国体旗が国道4号線を南下して神奈川を目指すことに…
金田一温泉プールで第10回東北水泳大会(昭和30年8月12日) b二戸・二戸郡

金田一温泉プールで第10回東北水泳大会(昭和30年8月12日)

昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 県北は金田一村の金田一温泉プールで、第10回東北水泳大会が開催された。 大会経費は24万円だそうで、この経費を稼ぐために大人30円、子供10円の入場料を取っていたという。 2日間で1万人の入場者があり、経費はトントンとのことだった。 金田一温泉プールはこの…
水沢にプールを新設(昭和30年8月4日) hスポーツ

水沢にプールを新設(昭和30年8月4日)

昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 水沢市体育協会やPTAや校長会などが、水の事故を防ぐために5月末からプール建設準備会を結成していた。 そして市民から寄付を募り、水沢市搦手町の貯水池に工費58万円をかけてプールを建設したのである。 このプールは、長さ40メートル幅25メートルとなっている。 …
三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日) hスポーツ

三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日より。 8月30日に一関小学校で開催される予定の「岩手宮城対県柔道試合」に審判長として来る予定であった三船久蔵十段は一関にいたことがある、ということを一関市柔道会長があきらかにしたという。 いわく、 三船十段は久慈で生まれたが、明治23年に小学校5年生の頃実兄の勤め先で…
講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日)

昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 …